第19話 プロレスラーではない親父の側面 その2
ドラマの主演を務めるのは、あの篠宮恵歌だったからだ。
そうか……これ、以前篠宮恵歌が主演として番宣をしていたドラマか。
「人気あって、テレビシリーズ化したみたいだね」
俺に微笑みかける結愛だが、極力主演には触れないようにしている気遣いが見て取れた。
俺は、腑に落ちなかった。
『篠宮恵歌と共演するとわかっていて、どうして引き受けたんだよ?』
そう訊きたかったのだが、俺は親父の前で、篠宮恵歌の話をほとんどしたことがない。あまりにハードルが高い質問だった。
離婚した家庭では、親権を持った親が、別れた相手を悪く言って、子どもがそちらに悪感情を持つこともあるそうだ。
だが俺は、親父が篠宮恵歌を悪く言ったのを聞いたことがなかった。
別れた相手とはいえ息子にとっては母親だから悪く言うなんてもってのほか、と、親父が考えている可能性はある。今でこそ豪快で粗野なイメージで売っている親父だが、元々育ちはいい。自分の感情に飲み込まれることなく、冷静に判断した結果かもしれない。
親父の真意がわからないからこそ、篠宮恵歌のことを訊けずにいた。
いや、訊こうとしたことはある。
俺まだ5歳で、親父と篠宮恵歌の離婚を東ス◯で知ってしまった直後のことだ。
どうして母親がいなくなったのか、俺は泣きながら理由を訊ねた。
『ごめんな、慎治。全部オレの力不足だから、それ以上のことは聞かないでくれ』
その時の親父は、篠宮恵歌を一切責めることなく、ひたすら俺への謝罪を繰り返した。
一般男性よりずっと大きな体を持ったヤツが、俺に頭を下げる姿を目の当たりにして、5歳ながら俺は、篠宮恵歌の話を父親の前でしてはいけないのだ、と悟ってしまった。
今の俺が同じ状況に置かれても、きっと理解はできないだろう。
だから俺は、親父の前で篠宮恵歌への不満を口にできなかったのだ。つまり、長い間、不満や疑問や怒りを誰にもぶつけられなかったということになる。
別に、一緒になって悪く言いたいわけではないが、篠宮恵歌のことを親父がどう思っているのか……本心を知る機会がないのだった。
そういえば親父は、あの時、謝罪の言葉以外にも何か言おうとしていたな。
親父が弱気になって頭を下げまくるなんて異様な光景のせいで、すっかり忘れてしまったけれど……なんて言おうとしていたんだ?
「おい慎治ぃ! 久しぶりに帰ってきたんだから、酒注いで親孝行しろよ。結愛ちゃんばっかやってんじゃねぇか。結婚する前に亭主関白とはおめぇも大物になったもんだな!」
「うるっさー……」
いい感じに酔いが回ってバチクソ煩い親父のせいで、どうでもよくなった。どうせ、謝罪の続きの言葉だろうし。謝罪も度が過ぎるとかえって鬱陶しいんだよな。
仕方なく俺は、結愛の代わりに親父の酒汲み係りになる。
「帰ってきたばっかで悪いけどよ、そんなわけで、また巡業やら撮影やらでちょくちょく家を空けることになるんだが」
親父は俺と結愛に交互に視線を向ける。
「結愛ちゃんがいるんなら、何の問題もねぇよな」
「結愛がいるのは、俺の怪我が治るまでだぞ?」
「おっ、慎治。じゃあ結愛ちゃんがもっとうちにいてくれるようにするか?」
「さらっと腕を破壊しようとするなよ」
手四つの構えを始めた親父の額に、空になったビール缶をコツンと当てる凶器攻撃を敢行した。
こうして、名雲家一騒々しいヤツが帰ってきた日の夜は、賑やかに過ぎていくのだった。
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