4章 新旧流行りのカフェメニュー

第1話 夏子ちゃんの事情

 謙太けんた知朗ともろうは、今日も皆のために飲み物を用意する。


 いつもアイスミルクティを飲む、夏子なつこちゃんという少女がいた。夏子ちゃんはいつでもにこにこと笑顔で、今もスキップでもしそうな勢いでテーブルに近付いて来る。


「夏子ちゃん、今日も元気やねぇ」


「うん! 私はいつでも元気でいたいんだ。アイスミルクティちょうだい」


「は〜い。ちょっと待っとってね〜」


 謙太はティポットに紅茶の茶葉を入れ、ポットから湯を入れる。しっかり蒸らしたら、茶こしを使って氷を詰めたタンブラーに最後の一滴までそそぎ、冷たいミルクを追加して、マドラーで全体を混ぜたらストローを挿した。


「はぁい、アイスミルクティお待たせ〜」


「ありがとう!」


 夏子ちゃんはさっそくその場で一口飲んで「美味しい!」と笑顔を浮かべた。


「ねぇ謙太さん」


「ん〜?」


「ここは良いね。だってずっと元気でいられるんだもんね!」


「……そうやね」


 夏子ちゃんの明るい声に裏表は感じられない。ただただ素直にそう思っているのだ。


 謙太も知朗も夏子ちゃんとそう込み入った話をしたことが無いので、夏子ちゃんの死因も知らない。だが今の会話で病死だったのでは無いかと察せられた。


「謙太ぼう大吟醸だいぎんじょうをよろしくの」


 ツルさんが定位置になったテーブルの端で、空になった切り子グラスをかかげる。


「は〜い、お待ちくださいねぇ」


 謙太が新しい切り子グラスを出して、きんと冷えた大吟醸を注ぐ。


「謙太さん、それ私が持って行くよ」


「お願いしてええの?」


「うん!」


「ありがとう」


 夏子ちゃんは左手に自分のアイスミルクティ、右手に大吟醸の切り子グラスを持つと、零さない様にゆっくりツルさんの元へと歩いて行った。


「ツルさんお待たせ!」


「おお夏子ちゃん、ありがとうのう」


 そう言いながらにこやかに切り子グラスを受け渡すふたりは、まるで祖父と孫娘の様に見えた。何とも微笑ましい。ふと横を見ると、知朗は優雅にワイングラスで赤ワインを傾けていた。


「トモ、さぼらんといてやぁ〜」


 そう苦言を呈すると、知朗は「はは、悪ぃ悪ぃ」と悪びれなく笑う。


「いやさ、ここって旨い酒が揃ってるからついな。それに朝、朝って言って良いんかな、起き抜け以外は混むことも無ぇからさ」


「そりゃあそうやけどさぁ。悔しいから僕もなんか飲もっと」


 謙太は苦笑いしながらウォッカのボトルを取る。氷を入れたコリンズグラスにウォッカを入れ、オレンジジュースを注いでマドラーでくるりと混ぜる。スクリュードライバーという定番のカクテルだ。


 甘党の謙太はこれを飲みながら刺身だって食べられる。知朗には渋い顔をされるが。


 ツルさんと夏子ちゃんはまだ話し続けている。内容は聞こえないが楽しそうだ。時折こちらを見るのが少し気になる。何の話しをしているのだろうか。


 やがて夏子ちゃんはミルクティを手に、皆の輪の中に走って行った。


「ツルさん、夏子ちゃんと何話しとったんです?」


 謙太が聞くとツルさんは一瞬きょとんとした顔をし、すぐに笑顔を浮かべた。


「ほっほっほ、内緒じゃ」


「え〜、余計に気になるや無いですかぁ」


 謙太が唇を尖らすと、ツルさんはまたおかしそうに「ほっほっほ」と笑う。


 夏子ちゃんに視線を移すと、夏子ちゃんはミルクティを手に眉間にしわを寄せていた。


 もしかしたらまずいミルクティを作ってしまったかと不安になったが、ストローに口を付けた途端にぱあっと笑顔になったので、安心のかたわら、原因は別にあるのかと、それはそれで心配になる。ツルさんと話していた時はご機嫌だったのに。


 夏子ちゃんだってここにいるということは、何か心残りがあるということだ。それに関係があるのだろうか。


 しかしこちらから立ち入るのはさすがに躊躇われるので、話してくれる機会があれば聞かせてもらおうと思う。


 しかしその機会は間もなく訪れた。ツルさんと話し終えた夏子ちゃんは、空になったグラスを箱に入れテーブルへとやってくる。その表情は鼻息も荒くなかなかの気合いが感じられた。


 どうしたことかと思いながらも、ご注文のアイスミルクティを入れてやると、夏子ちゃんはその場に留まり薄っすらと赤い顔でもじもじと身体を揺らす。


「あの、あのね、前にケーキとかカレーとか、作ってたでしょ?」


「うん、そやねぇ。アリスちゃんと太郎たろうくんの心残りやったからねぇ。僕たちで作れるもんで良かったわ」


「あの、えーっと」


 夏子ちゃんは言い淀む。謙太と知朗は夏子ちゃんが話してくれるのをじっと待った。夏子ちゃんはぎゅっと目をつむり、「んんー」とうなると弾かれる様に目を見開いた。


「あのっ! 私が食べたいのも作ってくれる!?」


 夏子ちゃんは早口で叫ぶ様に言うと、「はぁー」と大きな息を吐いた。


 夏子ちゃんはこれを言うために緊張していたのだろうか。何ともいじらしいことだ。謙太は夏子ちゃんを安心させてやるためににこっと笑った。


「トモか僕が作れるもんで材料を揃えてもらえたら作るで〜」


「本当!?」


 夏子ちゃんは嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。


「あのねあのね、私ティラミス食べてみたい!」


「ティラミス?」


 謙太と知朗は顔を見合わせる。


 ティラミスはイタリア発祥のチーズケーキだ。数10年前に日本で大流行して、あちらこちらで販売されたらしい。


 まだ若い謙太たちが生まれる前の出来事ではあるが、作り続けてくれるケーキ屋さんはまだまだあるので、甘党の謙太が見逃すはずが無い。家で作った時にはマスカルポーネチーズを奮発したものだ。


「私ねー、生まれつき腎臓じんぞうが悪かったの。だからご飯もおやつも食べない方が良いものが多かったの。入院も何回もしてた」


 では重症だったのだろう。生まれつきだと慢性だろうから、進行を止めるためになるだろうが、大人でも大変な腎臓病の治療は、子どもの夏子ちゃんには大変な負担だっただろう。


「入院中にねー、ママがいつも読んでる雑誌を買って来てくれてたの。少女漫画と地元の情報誌。情報誌に遊園地とかの記事とか載ってたから、退院できたら行きたいって思いながら見るのが楽しくて。その情報誌にはその時人気のデザートとかも載ってて、流行ってたティラミスが美味しそうだなーって。私たんぱく質を控えなきゃだったから、チーズ使ったデザートなんて食べられなかったもん」


 夏子ちゃんが生きていたのはティラミスが流行っていたころ。もう30年以上も前になる。


 なら長ければ夏子ちゃんは30年はここにいることになるのか。今なら若い子ならスイーツと言うのが一般的なところを、デザートと言うのも時代を思わせる。


「そのティラミスを、雑誌にも載ってたお洒落な喫茶店とかで食べたかったなーって」


 その雑誌に掲載されていたのだろうカフェの内装でも思い出しているのか、夏子ちゃんは両手を組んでうっとりと目を輝かせた。


「ティラミスかぁ……」


 謙太は指を顎に添える。考える素振りだったので、夏子ちゃんは不安になったのか「だ、駄目?」と眉尻を下げる。


「ううん。ティラミスの作り方は知ってるんよ。でも材料の分量がうろ覚えでねぇ。作ったの結構前やったからなぁ」


「俺はケーキとかはからっきしだからなぁ」


「私は少しぐらい違ってどんな味でも大丈夫だよ。だって一度も食べたことが無いから、比べるものが無いもん」


「初めてやからこそ、ちゃんと美味しいのを食べて欲しいねん。思い出してみるねぇ」


「ありがとう。楽しみに待ってるね!」


 夏子ちゃんはにこっと笑ってアイスミルクティを手に、空いた手をひらひらと振ってその場を離れる。謙太も手を振って見送った。


 とりあえずサヨさんに材料を用意してもらって、味見などをしながら作って行くことにしようか。幸いにも冷菓なのでそれが可能だ。


「カフェでティラミスか」


 知朗も考える様子を見せる。


「うん、サプライズでも仕掛けてみるかな」


「サプライズ?」


「おう。まぁ大したもんでも無ぇけどよ」


 知朗はそう言ってにっと歯を見せた。

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