第3話 爆発するもの
さて翌日。正確には次に明るくなり、皆が起き出して来たころ。まずは並び始める皆の飲み物を作る。その中にはツルさんの
「太郎、これが落ち着いたらカレー作るからな」
「作ってるところ見るか?」
太郎はまたこくんと頷く。
「よし。じゃあ作るか!
「うん。できることやったらなんでもするでぇ〜」
知朗が
まずは米を洗おう。ボウルに米を入れて水を含ませたら、ざっと混ぜて
次にブイヨンを取る。
「謙太、ブイヨンの鍋頼むな」
「うん」
その間にルウを作る。玉ねぎをみじん切りにして、オリーブオイルを引いたフライパンで中火で炒める。
全体にオイルが回ったら軽く塩を振って、とろとろの
そこにおろしにんにくとおろし生姜、種を除いたフルーツトマトのざく切りを入れてさらに炒めて行く。
水分が飛ぶまで炒まったら、小麦粉とカレー粉を加えて粉っぽさが無くなるまでしっかりと炒める。カレーの香りがしっかりと立ったらルウの完成である。
「トモ、凄っごいええ香りするわぁ」
「そうだろそうだろ。旨いカレーができる予感しかしねぇぜ」
知朗は自信満々に楽しそうに木べらを動かして行く。火を止めたら鍋底を濡れ布巾に置いて温度を下げておく。
「謙太、ブイヨンどうだ?」
「こっちもええ香りがしてきたでぇ。灰汁ってほとんど出ないんやねぇ」
「野菜しか入れてねぇからな。ぎりぎりまで煮出すか。それ少しぐらいなら放っておいて大丈夫だから、野菜切るの手伝ってくれ」
「分かった〜」
使う野菜は玉ねぎとじゃがいもに人参。オーソドックスなカレーだ。玉ねぎと人参は既に皮を
知朗はじゃがいもの皮を剥いて、角切りにしたら水に
ほうろう鍋を出してオリーブオイルを引いて、まずは玉ねぎを炒める。オイルが回ったら塩を振って、しんなりと甘い香りがするまで炒める。
そこに牛肉を加えて色が変わるまで火を通す。人参と水を切ったじゃがいもを追加してざっと混ぜて、全体にオイルが回ったら、ブイヨンをざるでこしながら注ぐ。
「これで野菜に火が通るまで煮込んでっと。その間に洗い物、はしなくて良いのか。楽だな」
「そうやねぇ。助かるわぁ」
言いながら洗い物を白い箱に入れて行く。
「煮込んでる間に何か飲もうか。僕入れるで」
「サンキュー。じゃあコーヒーくれ」
「うん。僕もそうしようかなぁ」
謙太はドリッパーなどを出し、コーヒーを
そんな小さな表情の変化も、知朗たちにとっては大きなものだ。太郎の横では付き添う様にツルさんがにこにこと微笑んでいた。
「太郎
優しげなツルさんの言葉に、太郎は小さく頷く。
「太郎、もうすぐだからな。待ってろよ」
知朗が言うと太郎はまた頷いた。まだ声では返事してくれないが、今はこれで充分だ。
見ると、コンロの脇に氷だけになったグラスが置かれていた。底に少しだけ残っているのはオレンジ色の液体だ。
「太郎、オレンジジュース無くなったのか? 新しいの入れるか?」
知朗が言うと太郎はグラスを見て「あ」と言う様に軽く口を開き、次にはまた小さく頷く。
「よし、待ってろな。空いたグラスは片付けてな」
太郎はグラスを手にすると素直に箱に入れた。知朗が準備のためにテーブルに向かうと、ふわりとコーヒーの香ばしい香りが漂って来る。
ドリッパーと重ねたペーパーフィルタの中のコーヒー豆に、謙太がドリップポットで丁寧に湯を注いでいた。下に置いたサーバにとろとろと黒い液体が落ちている。
知朗はグラスに氷とオレンジジュースを入れて、太郎の元に持って行ってやる。「ほらよ」と手渡すと、太郎はぼそぼそと「ありがとう」と礼を言った。知朗はにっと笑って太郎の頭を
「トモ〜、コーヒー入ったで〜」
「おう」
謙太の声にテーブルに戻ると、サーバからマグカップにコーヒーが入れられているところだった。
「あ、謙太、コーヒー少しサーバに残しといてくれ」
「ん、どうするん〜?」
「カレーの隠し味にしようかと思ってさ。太郎は子どもだから少しだけな」
「なるほどねぇ。分かった〜」
そうして入れ終わったマグカップを知朗は持ち上げる。知朗はブラック派だ。甘党の謙太は砂糖とミルクを加える。
「サンキューな」
「どうしたしまして〜」
こくりとマグカップに口を付けると、熱々のコーヒーが口内を温める。知朗はカップを手にしたままコンロに向かい、野菜を煮ている鍋にお玉を入れてかき混ぜた。中身を見るとじゃがいもの角がほろりと崩れ掛けている。
「そろそろ良いかな」
じゃがいもも人参も小振りに切ってあるので、火が通るまでそう時間は掛からない。
知朗はルウが入ったままのフライパンに、鍋からお玉1杯分のスープを入れた。木べらですり潰す様に混ぜながらルウをブイヨンに溶かして行く。
少しずつブイヨンを足し、とろとろに溶けたら鍋に移す。お玉でルウが全体に行き渡る様に大きく混ぜ、弱火に落としてもう少し煮込んで行こう。
その間に米を炊く。炊飯器は無いので土鍋を使う。
ざるに上げておいた米と分量の水を入れて、蓋をしてコンロへ。まずは強火に掛けて、
知朗はコーヒーを傾けながら、ふたつの鍋の世話をする。カレーの鍋は焦げ付かない様に鍋底から混ぜてやらなければならない。もう完成が近い。
そうしているうちに、土鍋から小さくちりちりと音がして来たので火を消す。蓋を開けると炊き立てのご飯の甘い香りが辺りに充満した。
カレーに負けないその香りに反応したか、太郎の鼻がぴくりと動く。知朗はそれを見てにっと微笑んだ。
しゃもじで底から返しながら切る様に混ぜてふんわりと均すと、濡れふきんを土鍋に被せてその上から蓋をする。このまま少し蒸らしてやる。
「よし、カレーも仕上げだな。太郎、良い匂いだろ」
太郎はふたつの鍋をじっと見ながらこくんと頷いた。その頬が少し赤らんでいる様に見える。興奮しているのだろうか。
「謙太悪ぃ、サーバのコーヒー持って来てくれ」
「分かった。そろそろ食器も用意しようか〜?」
「助かる。頼むな」
知朗は謙太が持って来てくれたサーバから、少量のコーヒーを鍋に垂らす。全体を混ぜ合わせると、また濃厚なスパイスの香りが周りを包み込む。食欲を刺激する匂いに、知朗の喉も鳴りそうになっていた。
ご飯もそろそろ良いだろう。土鍋の蓋を開けふきんを取ると、
それを少し深さのある器の半分ほどにふわりと盛って、その横にカレーをとろりと掛けた。
器は太郎が食べやすい様に小さめのものにした。足りなければ何度でもおかわりしてくれれば良いのだ。
「太郎、できたぜ!」
スプーンを添えて言うと、太郎は嬉しそうにほわっと小さな口を開ける。その目は輝いている様に見えた。太郎の元へ行き、その背をぽんぽんと促す様に軽く叩く。
「座って食おうぜ」
太郎は素直にその場に腰を下ろすので知朗も横に掛け、カレーの器を「ほらよ」と差し出した。
太郎はおずおずと遠慮がちにそれを受け取り、まるで知朗に問う様に目を見る。知朗はにっと口角を上げた。
「たくさん食って良いんだぜ。このカレーは、謙太と俺が太郎に食べて欲しくて作ったんだからな」
太郎はそのせりふを聞いてそっとスプーンを取る。そして呟く様に「いただきます」と言うと、ご飯とカレーを一緒にスプーンに乗せ、ゆっくりと口に運んだ。
もぐもぐとじっくり噛みながら、感動した様にきらきらした目を見開いた。ごくりと飲み下すや否や、今度はがっつく様にスプーンを動かした。謙太とツルさんもすぐ近くで、そんな太郎を緊張した面持ちで見守っていた。
器が小さめなので1杯目は程なく無くなった。行儀よく食べていたがカレーがほんの少し口元に付いている。その食べっぷりに「凄ぇな! 良い食いっぷりだ。偉いぞ」と知朗は声を上げた。すると。
太郎の両目にじわぁっと涙が滲み、すぐにぼろりと溢れた。
「……太郎」
謙太と知朗は驚かない。このカレーが太郎の感情吐露の起爆剤になるのでは無いかと踏んでいたからだ。ツルさんは慌てておろおろしていた。
太郎は両手で器を握り締めながら「ふぐっ、ふっ」と声を漏らす。知朗は太郎からそっと器をもらって謙太に渡すと、太郎をぎゅっと抱き締めた。
あやす様にぽんぽんと背中を軽く叩きながら、胸元で太郎の涙を受け入れる。
「太郎、多分生きてる時我慢してたんだよな。頑張ってたんだよな。偉かったな。もう大丈夫だからな。もう喋ったって笑ったって、好きなもん食ったって良いんだぜ」
太郎は「んふ、んっ」と声にならない
「だからな、でかい声で泣いたって良いんだぜ」
知朗が優しく言って少し強く背中を叩くと、まるで弾かれる様に肩を震わせる。そして「ふあ、あ」と震える口を開いたと思ったら。
「うあ、うわあぁぁぁぁぁん!」
大声を上げて泣き出した。それは太郎の初めての「子どもらしさ」だった。
出会った時には無表情でほとんど口を開かなかった。それをここにいる皆が少しずつ解してくれた。知朗も謙太もツルさんも心を砕いた。
ただカレーを食べさせるだけでは、太郎はこうして感情を
太郎の口元のカレーや涙や鼻水で知朗の割烹着が汚れるが、そんなことはどうだって良い。汚れたら洗えば良いだけだ。
太郎はなおも大声で泣き続ける。太郎が落ち着くまで知朗は「うん、うん、偉かった」と太郎を
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます