第7話 立つ鳥跡を濁さず
「さてと、アリスも無事行ったことだし、俺らもケーキ食おうぜ。ツルさんも食うだろ?」
「構わんのかのう」
「もちろんですよぉ。ぜひどうぞぉ。すぐにお皿に移しますねぇ」
新しい皿を出してケーキを移し、フォークと一緒にツルさんに渡すと、ツルさんは「綺麗じゃのう、美味しそうじゃのう」と嬉しそうに目を細めた。
残りの一切れはそのままで、これは
「ああそうか、わしがもらったら、お前さんたちの分が足りなくなるのう」
ツルさんが焦ると、
「大丈夫だって。食ってくれ。その方が俺らも嬉しいしよ」
「はい。作ったものを美味しいって、食べてくれるんが嬉しいですよぉ。アリスちゃんほんまに良い笑顔で食べてくれたもんねぇ」
謙太と知朗が笑いながら言うと、ツルさんはほっと口元を綻ばせた。
「じゃあありがたくいただくとしようかの。太郎
「そうだぜ。食いたいもんは食いたい、欲しいもんは欲しい、子どもは少しぐらいわがまま言ったって良いんだ。ま、過ぎたら少しは注意もするけどな」
「トモ、僕たちも食べよう。スポンジはデコレーション前に少しつまんだけど、完成品がちゃんと美味しくできたんか気になるわぁ」
「そうだな。けどこんなん不味いわけが無ぇわ」
「そうじゃの。アリスちゃんもあんなに嬉しそうに食べておったんじゃからのう。じゃあいただくとするかのう」
ツルさんは言って、フォークですくったケーキを口に入れた。そして「んん!」と声を弾ませる。
「これは美味しいのう! 甘さも上品で良いのう。のう太郎坊、美味しいのう」
太郎くんは少し照れ臭そうに小さく頷き、少しずつケーキを口に運んだ。
ふんわりと焼き上がったスポンジは、ラム酒入りのシロップをたっぷりと含み、しっとりとしていて風味も良い。
生クリームは塗った分は6分立てにし、グラニュー糖の量も抑えたので、舌触りも良く甘さ控えめで上品だ。
絞ってある分はもう少し固めの8分立てにしてあるが、それでも充分に滑らかだった。
いちごは甘みと酸味のバランスが良く、生クリームとの相性が良かった。それをごろごろと使っているので、豪勢な気分も味わえる。
いちごは普段の謙太にとっては贅沢品なので、自分でケーキを焼いてもここまで量を使うことは無かった。
「旨ぇな。さすが謙太」
「ありがとう。うん、良かったぁ、ちゃんと美味しくできとるわぁ」
謙太は満足げにケーキをもぐもぐと噛んだ。
「ほら、最後のいちご食えよ」
「ええん?」
「ああ。俺もうたっぷり食ったからよ」
「ありがとう」
謙太は最後の大粒いちごを口に放り込んだ。噛むとじゅわっと中から果汁が溢れ、なんとも甘くも爽やかな味わいだ。上等ないちごである。
謙太と知朗はふたりで一切れを食べていたので、無くなるもの早い。ツルさんはお年寄りだからかペースは緩やかだが、「美味しいのう」と順調に食べている。
太郎くんはと見ると、手は動いているのだが、ツルさんに負けず劣らずゆっくりだ。先ほどのアリスちゃんでは無いが、子どもらしくがっぷりと食べてくれたらと思ってしまう。
まるでまだ迷っている様にも見える。本当に食べて良かったのか、これは本当に自分のものなのか。
知朗は新しいフォークを出すと太郎くんに寄る。そして太郎のケーキをごっそりすくうと、驚く太郎くんの口元に「ほら!」と近付けた。
「もっとでっけぇ口でいっぱい食うともっと旨いぜ。ほら、あーん」
すると太郎くんはおずおずと口を開ける。が、遠慮がちな小さなものだった。
「ほらもっとでっかく行こうぜ。ん? あーん」
知朗が懐っこい笑顔で言い大きく口を開くと、太郎くんは顔を少し赤くして精一杯の大口を開けた。
「よーしよし、ほれっ」
知朗がケーキを口に入れてやると、太郎くんはわずかに目を白黒とさせながら、それでももぐもぐとケーキを食べた。
「どうだ、旨いだろ」
知朗が言うと太郎くんは眸を微かに
「よしよし、偉いぞ。まだ食えるか?」
太郎くんはまた頷く。
「全部食って良いんだからな。これは太郎のケーキなんだからな」
太郎くんはまた小さく口角を上げて頷いた。まだそう声を出してくれないが、こうして感情を表に出す様になってくれている。上等だ。
何もアリスちゃんみたいに、無邪気に遊べと言っている訳では無い。太郎くんが本来ならどんな子どもだったのかは誰も知らないのだから、今の太郎くんのできる限りで関わり合えたら充分だ。
太郎くんは知朗ほどでは無いが、それまでよりは大きくケーキをすくって食べ始める。良い傾向だ。知朗は太郎くんの頭を
「ほっほっほ、太郎坊ももりもり食べておるの。無理も無いのう。本当に美味しいケーキじゃ。わしは生きておるころ、こんなハイカラなもんはそう食べんかったからのう。わしが若い頃は砂糖なんかは高級品でのう、手軽に手に入る様になってもその意識が強かったのかのう、ケーキなんかに使われとった生クリームは凄く甘かったもんじゃ」
「ああ、そういう時代があったのか」
「僕、父ちゃんに聞いたことがあるわぁ。父ちゃんさすがにその時代には生まれてへんかったけど、若い頃ケーキとかめちゃくちゃ甘かったって。だからあんまり好きや無かったって言うとった」
「へぇ、今は甘さ控えめが当たり前だもんな」
「その方がわしも好みじゃのう。あんこなんかも甘かったからのう。高級品時代の名残りだったんじゃのう」
そんな話をしている時、知朗の
「あの」
小さな声。知朗に向いていた視線がそのまま謙太に移ると、太郎くんはぺこりと頭を下げた。
「あの、ごちそうさまでした」
「はい、どういたしましてぇ。お皿はまとめて箱に入れてまおう。もらうねぇ」
謙太は言って皿を太郎くんから受け取った。自分たちが使った皿と重ねて箱に入れる。ツルさんも食べ終えた様で「これもじゃ」と箱に入れた。
「ふう、太郎坊、美味しかったのう。良かったのう」
ツルさんがにこにこと笑顔で言うと、太郎くんは嬉しそうに少し表情を緩めて頷いた。
「甘いもんの後はお酒じゃな。
「はいはぁい。太郎くんはどうする? いつものオレンジジュースが良いかなぁ?」
謙太が聞くと太郎くんはこくりと頷いた。謙太が大吟醸、知朗がオレンジジュースの準備をする。
「ほら太郎、オレンジジュースな」
そう言って渡してやると、「ありがとう」と呟く様に言う。
「おう。それにしても太郎はいつもオレンジジュースだな。かなり好きなんだな」
知朗が言うと太郎くんは一瞬はっと目を軽く見張り、口をぱくぱくと小さく動かした。
しかし結局何も言うこと無く、空間の隅に行こうとする。なので知朗は太郎くんの手を繋いだ。驚いて見上げる太郎くん。
「行こうぜ。送ってやる」
そう言うと太郎くんを皆の元に連れて行った。大人たちは太郎くんを受け入れ、また一緒に遊び始める。知朗はそれを見届けてテーブルへと戻った。
「太郎、何か言いたそうだったな」
「そうやねぇ。僕にもそう見えたわぁ。オレンジジュースに何かあるんかなぁ。実は好きや無いとか?」
「だったら他のもん飲めば良いじゃねぇか。ここにはコーラだってジンジャーエールだって、りんごジュースだってあるんだぜ。酒はさすがに駄目だけどよ」
「それもそうやねぇ」
「まぁ大吟醸ばかり飲んどるわしが言うのもなんじゃが、わしも好きじゃから飲んどるんかと思うんじゃがのう。好きで無かったらこんな毎日何杯も飲めんと思うのう」
「だよなぁ。何が言いたかったんだろ」
「そのうち聞けたらええよねぇ」
「そうだな」
知朗がそうしめた時、「ビールちょうだい!」とご機嫌な中年男性がジョッキ片手に近付いて来た。
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