2章 いちごのケーキで祝いたい
第1話 気になる男の子
大きなテーブルの端がツルさんの定位置になっていて、
大人はお酒やコーヒーに紅茶、お茶の注文が多く、子どもはジュースや
若い人はカクテルやサワーなどを好む人も多いが、そのままグラスなどに注ぐだけのお酒も多く、そして皆ペースがゆっくりなので、ふたりは予想以上に暇な時間が多いのだった。
「謙太さまも知朗さまも、お好きなお飲み物をお飲みください。お酒でも大丈夫ですよ」
サヨさんがそう言ってくれていたので、甘党の謙太はカクテル、酒飲みの知朗はワインやウイスキーの水割りなどをちびりと傾けていた。
飲みすぎてへべれけになってしまったら目も当てられないので、薄く作って加減しながら飲んでいる。
「わしはここで1番の古株と言ってもの、何100年とかいる訳じゃ無いんじゃの。ほんの数10年じゃ。その間に色んな人が来て、何人かの人が次に進んで行った」
「ここで心残りとかそういうのを満足させてる訳か」
「いいや、単に飽きるんじゃよ。ここでできることと言えばの、飲んで喋ることだけじゃからのう。心残りはあるが、それを埋める手段が無いし退屈じゃから、じゃあ次に行くか、となるんじゃの。ここにいて悪いことは何も無いが、良いことも無いからの。わしなんかは、大好きな
ツルさんは言って、切り子グラスに半分ほど残っていた大吟醸を一気にあおった。
「ツルさん、一気飲みは身体に悪いですよ」
謙太が慌ててたしなめる様に言うと、ツルさんは「ほっほっほ」とおかしそうに笑う。
「もう死んでおるのに身体に良いも悪いも無いものじゃ。それにいくら飲んでも不思議と酔わんからのう。けど心配してくれてありがとうのう。そういやぁ娘にも「お父さん飲み過ぎよ」なんて叱られとったのう。懐かしいのう」
ツルさんはそう言って目を細める。
「へぇ、娘さんがいたのか。男親にとっての娘は、目に入れても痛く無い、なんて昔から言うよな」
「おお、若いのによくそんな言葉知っておるのう。そうじゃのう、確かに可愛かったのう。わしは仕事仕事でろくに遊んでやれんかったがのう、寝顔を見ると疲れも吹っ飛んでのう。まだまだ娘のために働けると思ったもんじゃ」
ツルさんはそう言って懐かしげににこにこと笑う。
「うちに来てくれるお客さまがそんな話をしてはったんですよ。娘の寝顔見てるだけで幸せだーって」
「うち?」
「ああ、俺らラーメン屋やってたんだよ。そこに来てくれるお客さんな」
「ほうほうラーメン屋か。それは良いのう。ラーメンなんて死んでしもうてからとんと食べて無いのう」
「そりゃあそうだろ」
知朗は言っておかしそうに笑った。
「……あの」
その時男の子の小さな声が謙太の耳に届く。謙太は「はぁい」とにこやかに返事をした。
「オレンジジュースください……」
がりがりの小さな男の子は、またぼそぼそ声で注文をする。
どうにか聞き取った謙太は「はぁい、ちょっと待っててね〜」と応えてオレンジジュースを準備する。
ここで用意されているのは、ストレート果汁100パーセントの美味しいものだ。氷を半分ほど入れたタンブラーに、既に冷えているオレンジジュースを8分目注いでストローを刺す。それを手渡してあげた。
「はぁい、どうそ〜」
受け取った男の子は「ありがとう」とぽつりと言うと、とろとろとゆっくりその場を離れて行く。
皆が集まっているところでは無く、隅っこの誰もいないところに三角座りで座り込んで、ストローに口を付ける。つと一口飲んだ男の子はぼんやりと
他にも少ないが子どもはいて、大人たちに遊んでもらっている子がほとんどだった。だがその男の子はひとりぽつんと離れているのだ。
「小せぇな。4、5歳ぐらいか?」
「いいや、最低でも8歳のはずじゃ。7歳までは神の子と言ってのう、7歳までの子は心残りがあってもの、ここには来ず転生の流れに行くんじゃ」
「8歳ってぇと……小学2年とか3年か? ん? それにしちゃあ小さくねぇか?」
「そうやんねぇ。成長の差はあるやろうけど、あの子はそれを差し引いてもがりがりやし、背も低い感じがするやんねぇ」
「ああ。ちょっと気になるな。謙太悪りぃ、ちょっと行って来て良いか?」
「うん。ここは僕ひとりでも大丈夫やでぇ」
「サンキュー」
知朗は言うと、男の子の元へとぶらぶら歩いて行った。
「あの子はここに来てからずっとああでのう。誰とも関わろうとせんのじゃ。わしも心配だったんじゃが、話し掛けても返事してくれんでのう」
「そうなんですか」
「うぅむ、トモ
「トモは面倒見も良いし子ども好きなんですよ〜。少しでも話ができたらええんですけどねぇ」
「そうじゃのう」
謙太とツルさんはそんな話をしながら知朗を見送った。
知朗はふらふらとゆっくり男の子に近付いて行く。
近くまで行くと、男の子は落ちた影で知朗に気付いたのか、ゆっくりと顔を上げてぼんやりと知朗を見る。が、すぐにまた頭を下げた。
知朗は適度な距離を取って、男の子の横に
「オレンジジュース好きか?」
知朗が聞くが男の子は応えない。
「坊主、歳はいくつだ?」
やはり男の子は沈黙のまま。取り付く島もないとはこのことなのだろう。しかし知朗は根気良く話し掛ける。
「好きなゲームとかあるか?」
そう言いつつ、応えてはもらえないだろうと予想している。やはり男の子は口を閉じたまま。知朗は次は何と話しかけようかと思案し、ふと思い立つ。
「おっとそうだ、悪りぃ、名前を言って無かったな。俺は
すると男の子はゆるりと顔を上げて知朗を見る。その目には生気がまるで無かった。
死者に生気もなにもあったものでは無いだろうが、例えば今若い女性に遊んでもらっている女の子は、楽しそうな笑い顔で目を輝かせている。言い方はおかしいかも知れないが、まるで生命力に溢れている様だ。
多くの子どもはそういうものだと知朗は思っている。もちろん全員が全員笑顔でいられる状況にいられるわけでは無いだろう。だがこんな
「……
男の子は知朗に聞こえるか聞こえないかの小さな呟きで名乗った。知朗は応えてくれたことに嬉しくなって、満面の笑みを浮かべた。
名乗られて名乗らないのは失礼かと思ったのか、たまたま気が向いたのかは分からないが、声を出してくれたと言うのは良い傾向なのだと思う。
「太郎か。よろしくな」
知朗は太郎の頭を撫でようとすっと手を上げた。すると瞬間太郎の表情が
知朗は
「また後でな」
そう笑顔で言い残し、テーブルへと戻るためにまたふらふらと足を動かした。
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