第2話 生者と死者の間の世界

 熱い、熱い熱い熱い熱い熱い。

 真っ赤な眼前がんぜん、全身にまとわり付きながら身体をこじ開けて入ってくる黒煙こくえん

 死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ、死、ぬ。

 燃え盛る凶器に翻弄ほんろうされ、意識を失った次の瞬間。




「どこやろう、ここ」


「どこだろうな」


 ふと気付くと、謙太けんた知朗ともろうは深夜の様な空間に佇んでいた。周りを見渡しても濃紺の闇が広がるだけで、近くにいる互いはどうにか認識できた。


「俺ら、火事にったよな」


「……うん。焼けたと思う。死ぬほど熱かったはずなんやけど、なんでやろ、あんまり思い出されへんわぁ」


「俺もだ。どういうことだ?」


 知朗がそう言った時、ふたりの目の前にふわりと灯りがともった。そしてその向こうに徐々に女性の姿が浮かび上がる。


「……はぁっ!?」


「うわあぁぁぁぁぁ!」


 大いに驚いて後ずさりすると、まだ半透明の女性が「ああ、驚かせてしまい申し訳ございません」としとやかな声を上げた。


 間も無くその姿が完全になる。細身の小柄な身体に薄いピンクの着物をまとい、真っ黒で艶やかな髪は腰あたりまで伸びている。涼やかでつむっている様な細い目尻がやんわりと下げられた。まるで日本人形の様である。


 灯りを手にした女性はふたりを前に深々と頭を下げ、ゆっくりと口を開く。


「初めまして。おふたりをここに呼び寄せましたのは、私のあるじでございます」


 そう静かに言い、また深く頭を下げる。


「お疲れでございましょう。どうぞお座りください」


 女性はそう言って、床と思われるふたりが足を付けている箇所をてのひらで示す。


 ふたりは顔を見合わせる。ここは従っても大丈夫なのだろうかと不安が過ぎる。するとそれを察したのか、女性がゆっくりとその場に腰を下ろして脇に灯りを置いた。とても姿勢の良い正座である。


 そこでふたりも恐る恐るその場に座った。謙太はぺたん座り、知朗はあぐらをかく。


「まず、この度は誠にご愁傷しゅうしょうさまでございました」


 女性はそう言い三つ指をついた。


「ああ、僕らはやっぱり死んでしもたんですねぇ」


「はい。おふたりは火事でお亡くなりになりました。まだまだお若いですのに、本当に残念に思います」


「そっか」


 知朗は素っ気なく言い、頭をばりばりと掻いた。


「あんま思い出せねぇけどさ、滅茶苦茶めちゃくちゃ熱かったし痛かったはずなんだよな。あんだけ全身を火に焼かれて死なねぇわけが無ぇよな」


「それなのでございますが、僭越せんえつながら主がそのご記憶を消させていただきました。これからおふたりにしていただきたいことに、炎への恐怖は禁物ということでございました」


「してもらいたいこと、ですか?」


 ふたりはかすかに目を見開く。


「はい。その前に、まずはこの空間のことを説明させていただきます」


「そうだよ。ここはどこなんだ。俺ら死んだってことはいわゆる死後の世界ってやつなのか?」


「それは半分正解、半分間違いでございます。ここは確かに亡くなられた方が訪れる場所でございますが、死後の世界というものはこの更に先にあるのです。ここは生者と死者の間の世界なのでございます」


「じゃあこの世界にいる人はどうなるんですか?」


「この世界におられる死者の方々は、何かしらの理由があって転生できない、もしくはしたくないのでございます。ですのでご本人さまが転生したいと思われない限りは、永遠にこの世界に居続けることになります」


「それってええことないんや無いんですか?」


「いいえ、そうでは無いのでございます」


 謙太が戸惑う様に言うと、女性はゆるりと首を振った。


「皆さまこの世界を楽しんでおられます。成仏していないわけではありませんので、大丈夫なのでございます」


「じゃあなんで僕らは揃ってこの世界に来たんですか? さっき何かしてもらいたいことがある、みたいなことを仰ってはりましたけど」


「そう難しいことではございません。おふたりにはこの世界にお住まいの方々に、お飲み物をご用意していただきたいのです」


「ええっと、ドリンクバーみたいってことか? 店か何かか?」


「そう捉えていただいて大丈夫かと思います。この世界には老若男女ろうにゃくなんにょ様々な方がおられますので、ジュースからお酒までいろいろなお飲み物がございます。金銭のやりとりはありませんので、正確にはお店ではございませんが、その様なものだと思っていただけましたら」


「まぁ、僕らができることでしたら」


「まぁそうだな」


 まだどうにもに落ちないがふたりは頷いた。


 ふたりが死んでしまったのは突然のことだ。成仏だの転生だの、これまで考えたことも無かった。死というものを視野に入れるには若かったし、病気知らずの健康体でもあった。


 怪我だって調理中にできる小さなやけど程度だ。今でも現実感が無い。まるで夢を見ているみたいだ。


「あ、でもそれやったら火への恐怖とか関係無いですよねぇ?」


「それに関しましては追々と。さぁ、ではご案内いたします。恐れ入りますがお立ちくださいませ」


 女性が灯りを手になめらかな動作で立ち上がるので、ふたりも腰を上げる。すると女性の後ろにすっと扉が現れた。深い色合いの木造りの大きな観音開きの扉だ。神社や寺を彷彿とさせる立派なものだった。


 その扉がぎぎっと軋んだ音を立ててゆっくりと向こう側に開く。その向こうに見えるのは今いる暗闇と変わらない色だった。


 所作良く歩く女性がためらいもせず扉をくぐるのでふたりも続く。すると驚いたことに扉越しに見えていた闇から一転、途端にそこは明るい空間に様変わりした。ふたりはその光につい目を瞑ってしまう。


 しかし徐々に目が慣れて来てゆっくりと開いて見ると、まるで穏やかなうたげが行われている様な光景が広がった。

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