訣別
この日も国防省に呼ばれた桐野を前に、川島が詰めよっている。
「何をしたかわかっているのか?」
「ああ。当然、計画通りだ」
桐野は肘置きに乗せた右手にタバコを持ち、足を組んでふてぶてしく座っている。
「他の隊員から報告が来ている。
隊長・桐野の振る舞いはあまりに横暴、我々隊員はいつか殺されるのではと怯えて生活している…と」
「だぁからよ、何が問題なんだ?」
川島は両手を机に叩きつけた。
「ただでさえ王室に味方しようという人間は貴重なのに、お前は味方をさらに減らす気か!」
桐野もカチンときた。
前のめりになって川島の目を覗きこむ。
「味方だったら何でもいいのかよ?
あんないつ裏切るともわからん軟弱な人間を集めてちゃ、数が増えるほど軟弱な王室ができあがっていく。
今の問題は数じゃねぇでしょう?
どんな方針でどんな体制を作り上げていくか、これが今後の王室を左右する」
「そ、それはそうかもしれんが…
聞いたぞ、隊員を軟禁したとか」
二日前の夜だった。
加藤は暗い道をふらふら歩いていた。
もう夜中の3時をまわっている。あたりには人も灯りすらもない。
足元はおぼつかない。相当に酔っている。
「あ~くそ、どうする?」
思考だけはぐるぐると回り続けている。
独り言がブツブツと吐き出される。
「あの頭でっかちをどうにか…」
「そいつは誰のことかな」
急な声に加藤の酔いは一気に覚めた。
「誰だ!?」
「何を興奮しているんだ」
「桐野か?どこだ!?出てこい!」
「落ち着け。話をしようじゃねえか」
あたり一面暗闇の中、声だけが直接脳に響かせるように聞こえてくる。
すると前方でジュッと火が灯ったかと思えば、煙を吐きながら声の主が姿を現した。
加藤は足が震え出すのを感じた。
ベッドの上の伊藤は、下の階の物音で目を覚ました。
誰だろう?と寝巻きのまま廊下に出ると、ちょうど隣から上野も顔を出した。
よく見ると、あちこちの部屋から隊員が出てきている。さて、下を見てみれば桐野に加藤が見えた。
目を凝らすと、加藤は後ろ手で手錠をされている。
「何があったの!?」
ギロリと桐野の目が上がった。
「こいつは今夜、政府の高官と会食に行っていた。
今回は大目に見て、一晩地下室で反省してもらうだけにしよう。
だが今後は日を跨ぐ外出は俺に申請しろ。
政府と繋がりを持つのも、内通行為と見なす」
それだけ言うと、待ってくれと叫ぶ加藤を引きずって地下室へ消えた。
残された隊員たちは、血の気を失い各々の部屋へ帰っていった。
「あんなことをすれば、裏切る気のなかった奴も脱退を図りかねん。
貴重なメンバーをむやみに削るようなことは今後控えろ」
「川島さん…あんた何か勘違いしてねぇか?
俺はRSFを最強の鉄の軍団にしてやろうってやってんだ」
「勘違いしているのはお前だ。
RSFは王室護衛兼治安維持部隊だ。殺し屋集団じゃない」
川島はそれだけ言うと、そそくさと部屋を出ていった。
不覚だった。王室軍強化のためにやっているのに、まさか王室の方から抗議を受けるとは思ってもいなかった。
桐野は後ろ楯を失った。
基地へ帰らず一人昼食をとっていると、野村がやって来た。
桐野がいつもここにいることは野村しか知らない。
「どうした?お前がわざわざここに来るってことは緊急事態か」
「予想していた通りになった。加藤たちが今会議室に集まってるんだがよ、桐野と直接話し合いたいって…」
桐野の目尻がピクリと動いた。
「なんのためにお前がいるんだ。
集会に、それもあいつらの呼び出しでだ。
そこに俺が行くってことは、主導権を禅譲したようなもんじゃねぇか。お前が聞いてこい」
「ありゃあんたが出てこねえと収まらねえよ。とりあえず、来てくれ」
舌打ちをしながら桐野は立ち上がった。
そっと左腕の傷をなぞる。今日が、大勝負になる。今後のチームの方針を決定づける正念場だ。
走って戻ろうとする野村を抑えて、
「急ぐことはない。たっぷり待たせてやるんだ」
と悠々と歩き始めた。慌てて行けば奴らもこちらの焦りを感じ取る。余裕を見せてやるんだ。
「伊藤はいるか?」
「いる」
桐野は目を閉じ深呼吸をした。
会議室では、全員が神妙な面持ちで座っている。
すると勢いよく扉が開いて、桐野が現れた。
入るなりその誰をも見向きもせず、ズカッと腰を下ろす桐野に、口を開ける者はいない。
そのまま桐野は腕を組み、床を睨みつける。
開きっ放しの扉を、野村が閉めた。
沈黙が続き、互いに様子を見合っている。
やっと、代表格の高橋が覚悟して口火を切った。
「桐野…」
「なんだ」
左瞼を吊り上げ視線を上げた桐野の眼に高橋は一瞬ひるんだが、ここまで来たことだ。やるしかない。
「チームの方針について話がしたい」
「おう、なんだ」
高橋もだんだん腹が立ってきた。
「なんだなんだって、もうわかっているだろ!」
「わかっていようがいるまいが、話があるってわざわざ呼び出したのはお前だろ。
はっきりお前の口から言うのが筋じゃないのか」
「そんな態度じゃ話せるもんも話せないでしょ!」
と怒声をあげたのは伊藤だった。
すると桐野は冷たいまなざしのまま伊藤に視線を移した。
「勘違いするな。俺が話してもらっているんじゃない。こいつが聞いてもらっているんだ」
桐野が伊藤にこんな目を向けるのは初めてだった。
そこで初めて伊藤は、桐野がこの狂言に本気で臨んでいること、もう自分の手の届かないところに行ってしまったことを知った。
桐野が視線を高橋に戻し、話を続ける。
「そしてこの組織の方針に、規律に口出しするってのがどういうことか。それだけの覚悟はして来てんだろうな?」
「……」
横から口を挟んだのは藤田だった。
「今のような体制じゃついていけない」
じゃあどんな体制ならお前はついていけるんだよ。
ちやほや誉めてくれるところか?
桐野は滲み出る苛立ちをなんとか抑えた。
「俺は他人が怖いんだ。特に力で人を従わせようとするお前みたいな怪物が!
ほら、その目だよ!」
吠える藤田を見つめながら思わず笑ってしまいそうだった。
情けない野郎だ。
お前と違って俺は、狩る側に回ることにしたんだよ。
お前と違って、戦うことを選んだんだ。
だが結局は、こいつのように戦いに怯え、逃げている方が、同情を得られる。救いの手をさしのべられる、勝ち組じゃないか。
悪者になるのはいつも俺のように狩る側に回った人間だ。
吐き出しきった藤田を見て今度は高橋が口を開く。
「だから桐野、今のままなら俺たちは抜けようと思う。
ここは俺たちのチームじゃない。お前のチームだ」
桐野の表情に変化はない。
元々そのつもりだ。こんな奴らなら全員抜けたっていい。一から作り直した方が楽だ。
「抜ける分には止めはしねえ。だが政府のとこに行くとなると、当然始末する」
何人かが息を吞んだ。だが高橋も引き下がるわけにいかない。
「いつから俺たちは王室の軍になった。それは勝手に決められたことだろ!」
「寝ぼけたこと言ってんじゃねぇぞ。誰のおかげでこのチームがやれてると思う?
政府の下で働きたいんだったら、そういうチームを自分たちで作ることだ。それは各々自由にやればいい。
そうやって政府のチームを作るのは勝手だが、俺たちの敵になることは忘れるな」
そこで、伊藤が立ち上がった。
「私も、抜けようかなと思ってる」
この日初めて桐野に衝撃が走った。
「今の体制にはついていけない気がする」
当然の答えだった。が、いざ言葉にされると桐野の思考は停止した。
「最後に一ついいか?」
黒田が声をあげた。
「桐野についてだが、こんな情報が入っているんだ」
「なんだ?」
皆が前のめりに食いついたところで、黒田は写真をばらまいた。
「これが、桐野が政府の機関に出入りしている写真、これが、桐野が政府の高官と会食しているところだ」
「確か政府との繋がりは…」
全員が桐野の方を見る。
「ああ、隊規違反だ」
その顔は意外に落ち着いていた。
部屋が静寂に包まれる。
外で鳴く虫の声だけがやけによく聞こえた。
「どうやら邪魔なのは俺の方らしいな」
桐野は口角をつり上げた。
「今日はここまでにして、一旦全員持ち帰って頭を冷やそう」
慌てて野村が打ち切った。
全員が出て行く中、桐野は腕を組んで座ったまま動かない。
その横で、伊藤が立ち止まった。
二人だけが部屋に残される。
「どういうつもり?」
「俺は信念に従って仕事をしただけだ」
「自分が言ったことも守らないで何が信念よ。
最低…」
顔は伏せて見せないが、桐野の瞳孔が大きく見開かれた。
「あなたは人のことを物としてしか見てないのよ。私のことも…」
桐野はピクリとも動かず俯いている。
「何とか言ったらどう?」
「……」
伊藤は深くため息をついた。
「もういいわ。
期待した私が馬鹿だった」
その言葉を残して、伊藤は出ていった。
その目は潤んでいたように見えた。
一人になった桐野はしばらく動こうとしなかった。
動けなかった。
やっとのことで立ち上がると、重い足取りで荷物をまとめ外へ出る。
階段を下りて門を出ようとするところで、野村が引き止めに来た。
「待てよ、どうすんだ?」
「見ての通り、終わったんだ」
「あれでよかったのか?
あの写真だってちゃんと理由が…」
「もういいだろう。事実を言っただけだ。
言い訳なんてみっともない真似はこれ以上したくない」
その声は妙に朗らかだ。
だがそのひきつった笑顔がひどく痛々しかった。
「で、何してたんだ?政府の奴と」
「なんでもないさ。
個人的な問題だ」
と話を打ち切り背中を向けた桐野だったが、ふと野村へ振り返った。
「お前はどうする?」
「俺はここに残るよ」
「そうか、頑張れよ。あとは任せたぜ」
最後にかろうじて笑ってみせると、桐野は雨の街中へ消えていった。
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