確信
「具合はどうだ」
ずかずかと斎藤が部屋に入って来た。
「医者は1ヶ月安静だとよ」
と言いながら庸平はせかせかと中を歩き回っている。宝物庫から帰ってきて二日でこれだ。
「じゃあ寝とけよ。身がもたねえぞ」
「ばーか。身体が動かなくなったら動かないんだ。
俺の身体はまだ動く」
「だがそうやってちゃじきに…」
「動かなくなるぞってか?
そんときはそんときに考えりゃいい。
今、俺が心配すべきは将来の健康よりも目の前の仕事だ。
身体は使うべき時のために保たなけりゃなんねえ。
だからって使うべき時に温存してちゃ何にもなんねえだろうよ」
「まあ、好きにすりゃいいが。
あんま伊藤に心配かけんなよ」
庸平が立ち止まった。
「何か言ってたか?」
「何も言っちゃいねえ。というより、あれから二日間部屋から出てきてねえ」
庸平は床を見つめ考えている。考え事をするときはいつも眉間にこれでもかと皺を寄せ地面を睨みつけるため、周囲からは激昂しているようにも見える。
沈黙の間に斎藤は椅子に座る。
急に、庸平は扉へ向かって歩き出した。
「ん、どうするんだ?」
「千紗と話してくる」
「今はそっとしておいた方がいいんじゃないのか?」
言っている間に庸平は出て行った。
考え込みながら足を引きずって階段を上がっていく。こんなとき何と言って入っていけばいいのか。
斎藤も連れてくればよかったかな。
そう考えながらも心の底では、本人も気づいていないところでは、二人きりで話したい気持ちがあった。
何か、千紗と自分にだけ通ずるものを感じていた。
部屋の前まで来たところで、急に不安に襲われる。ドアを叩こうとした手も止まる。
しばらくドアノブを睨みつけていたが、意を決したように叩いてみる。
「桐野だ」
「え!ちょっと待って!」
という声とともに、中でなにやらバタバタ聞こえる。
やがてドアが開いて千紗の顔が出てきた。
「大丈夫?肩貸す?」
「大丈夫だよ。この通り、自分で歩ける」
と痛みを隠して自然に歩こうとする。が、少し歩き方がぎこちない。
それを見て千紗が顔をしかめる。
「来てよかったかな?もしかすると今は一人で休みたいんじゃとも思ったんだが」
「そんなことないよ。庸平こそ、私のせいでそんな怪我して、私の顔なんか見たくないんじゃないかって…」
ハハハ、と庸平が笑い出した。千紗が怪訝な顔をする。
「そうやってすぐ何でも自分の責任にする。
もっと肩の荷を下ろして。
千紗は千紗の仕事をした。
俺は俺の仕事で怪我をした。それだけだ」
「そうだけど…。
でも私がもっと早く見つけられてたら。傷ついたみんなを見ると、そう思ってるんじゃないかって」
「他人にとってどうかじゃねえんだ。自分の正義に従うんだ。
そうすりゃ否定する奴もいれば認めてくれる人もいる。そんなものを気にする必要はない。
自分が、自分にその行動を誇れるかだ。
千紗はベストを尽くしてくれたろ。そしてちゃんと成功させたじゃないか。
だからそう卑屈にならないでくれ」
「そりゃ私だって庸平みたいに強くなりたいよ」
「まあ無理にとは言わねえよ。
それも千紗のいいところだ。他人のことを気遣い思いやれる。それは大事にしていくべきものだろ。じゃないと俺みたいな、人間らしさを失った人間になる。
だから千紗はそのままでいい。
だが俺の前では…、俺の前では余計なことを考えず、卑屈にならず、自信を持った千紗でいてほしい。卑屈で落ち込んだ千紗は、見ていてこっちも辛い」
「ありがとう…。
でもやっぱりね、自信がないだけじゃない。他人が怖くなるの」
庸平は顎に手をあて天井を見上げて考え込んだ。
「俺は千紗のこと尊敬してんだぜ?
俺が他人を尊敬するなんてよっぽどだ」
嘘じゃない。
「だからよ、俺も全力でサポートするからよ。
ゆっくりでいい。無理なときは言ってくれていい。
この任務を通してよ、少しずつ自信つけて、他人を見返していこう」
「ありがと…」
部屋を出た庸平は一瞬立ち止まって首を捻り、また歩き出し階段を降りて行った。
夜、庸平は斎藤を呼び出して近所の牛丼屋に繰り出した。
牛丼が配膳されて庸平が食べ終わるのに五分とかからない。
それを見て斎藤が呆れる。
「お前、それじゃあ流し込んでるだけじゃねえか。
もう少し味わって食え」
「味わってなんになる。
食事なんてエネルギー補給でいいんだ。だからこういう丼はいい。
一気にガッと食うだけだ。
食いにくいもんがあるじゃねえか。骨がビッシビシ入っていたり形が崩れやすかったり。あんなのは意味がわかんねえな。食うためにあるもんが、食いにくくてどうする」
そう言いながら庸平は汁物には手をつけない。
「それ食わねえのか?」
「熱い」
「は?」
「俺みたいな猫舌もいる。それをこんな熱いもんだされちゃあ、食わせる気がないだろ」
「そりゃ温かい方が旨いからだろ」
「だから旨いかどうかじゃねえよ。食えるかどうかだ」
お手上げ、という風に斎藤は自分の汁物に手をつけた。
箸を置いた庸平が本題に入る。
「今後のことを話しておきたくてな」
「そうだな。だがもう政府軍も使えねえ。
こっから勝算があるか?」
庸平がニヤッと笑った。
「この前見てわからなかったか?
たしかに相手はデカい。今は俺たちよりも優勢だ。
だがな、勝てない相手じゃない。
いや、しっかり計画を練れば確実に勝てる」
「ほう」
庸平のこういう勘は、根拠ならある。が、それは本人にも言語化できない、直感的にわかるものらしい。だから指示を出すときも、具体的な根拠を説明しないことが多い。
黙って、従ってろ。そういうことらしい。
「一つはっきり言えるのは、奴らも烏合の衆ってことだ。
宝物庫にいた奴らは指揮系統もまるでなっちゃいなかった」
「つまり情報網も」
「ああ、まだ出来上がってないだろう。そこを突くことができれば。
だがそれは俺たちのチームにも言えるな」
「どういうとこが?」
「まずメンバーだ。
高橋、藤田なんかは権力者にゴマすって自分の出世ばかりだ。
他の奴らにしてもそうだ。勝手なことばかりしやがる。
自分で考えて行動するのは、百歩譲っていいとしよう。だがあいつらは、チームで動くってことをまるでわかってやしねえ」
どんどん庸平の語気が強くなっていく。
チームという自分の作品を、計画を崩されるのが何より腹立たしいのだろう。
「あと上からの制約が多すぎる」
「それは確かにあるな」
「これまでは俺たちのやり方でやってきた。
出世も何も考えずにな。それをいちいちお上の顔色伺いながらやってたんじゃ何にもできねえ。こんなことがやりたいんじゃねえ。
俺は俺の力を、命を使う場をくれるだけでいいんだ」
ふむ…。と斎藤は頷いている。
「だからよ、一度はこの任務を降りることも考えた」
「まあ、それもありだろうな」
「だがそういうわけにもいかなくなった」
庸平が少しうつむく。何か言うのをためらっている。
「なんだ?急に。らしくねえぞ、はっきり言え」
「千紗のことが気になってな」
「まだ落ち込んでるのか」
「それだけじゃねえ。
色々重なって自信を無くしている。少し人間不信気味ですらあるかもな」
「そりゃ大変だな。誰か代わりを探した方がいいんじゃねえのか」
庸平の表情が曇る。
おや、いつもの庸平ならバッサリ切っていたところだろうが、どうも様子が違うらしい。
「なんだ、何かあるのか?」
「任務も大事だ。それを考えるとお前の言うように代わりを探すのが妥当だろう。
だがよ、千紗のことが気がかりなんだ。ここなら、俺が力になれる」
「なんだ、惚れたか?」
「ああ、惚れたらしい」
予期せぬ返答、それもあっさりと。
斎藤は開いた口が塞がらない。耳を疑った。兆候はあった。だがまさか庸平の口からそんな単語が出て来るとは夢にも思っていない。
「本気か?」
「俺がそんなくだらん冗談を言うか」
それもそうだ、と斎藤が頷く。
「お前が他人の力になりたいなんて初めて聞いた。
仕事のためなら平気で人を蹴落とすお前がな」
「俺が失くしてきたものを、彼女は持っている。憧れに近い。
だから俺は、彼女には彼女のままでいてほしい。
俺も千紗の前では、人間でいられるんだ。
こんな感覚は何年も前に失くしていた。
彼女といるとゆっくりした時間に生きられる」
そう話す庸平の表情が穏やかになっていく。
「今まではよ、戦う理由は、強さを求めるのは、血が騒ぐのを抑える、自分の快感のためだった。
でも初めて本気で、人を守るためにと、人のために血が騒いだ」
「ぞっこんだな」
「うるせえ」
庸平がまた仏頂面に戻った。
「まあそういうことだからよ、千紗には笑っていてほしいんだ。
彼女が笑顔でいるとこっちも明るくなる。
彼女の沈んだ顔見てると、こっちまで沈んでくる。なにもできない自分が情けなくなってくる」
「お前が笑顔にできるのか?」
「同じものを感じた」
「何が?」
「はっきり言えんが、俺は彼女が人間を怖がる理由がわかる気がする。
俺なら、彼女を理解できないかな」
「ほう」
まず庸平の方が、理解されているのか。
「じゃあ任務も頑張らなけりゃな」
「ああ。お上の顔色伺いながらってのは流儀じゃねえが、やってやろうじゃねえの」
「できんのか?」
斎藤はずっとニヤニヤしている。
「誰だと思ってんだ。俺の勘ははずれたことはねえ。
これは勝てる」
「で、勝ってプロポーズってか?」
「ばーか。男はやることやったら身を引くもんだ。
終わったら身を引いて、さっき言ったようにまたフリーで私設軍でもやるさ」
「何言ってんだお前。伊藤と付き合いたくねえのか?」
「千紗といたいってのはただの俺の欲だからな。
千紗のためには、何も関係のないことさ」
「けどよ…」
「それにだ。今もその気があるが、千紗に現を抜かして任務に支障が出ちゃいけねえ。
俺はこんなことのためにこのチームにいるわけじゃないからな」
「まだそこまで考えなくても…」
「俺の人生に欲はいらない。やるべきことをやるだけだ」
「毎度言うが、そんなこと言ってるのはお前だけだぞ。そんな生き方して何の意味がある?」
「問題は意味じゃなくて、美しいかどうか、それだけだ」
ふむ、と斎藤が考えている間に庸平が汁物を飲み干した。
「さっきあれだけ食いもんには理屈並べて文句言ってた男がよ、人生は意味じゃないなんて言い出しやがる。
これだけ合理的な人間が、生き方だけは不器用だ。
そうやって理屈なく美を求められるんなら、なんで理屈抜きで欲を求められない?」
「なぜ人類の歴史上、芸術というものが産み出されてきたと思う?
美を求めるというのも、人間の立派な欲求なのさ。
食欲が強い人間もいれば、性欲が強い人間もいる。ただ俺の場合、美への欲求が強かったのさ。そして俺の美は他の欲と対立している。
美ってのは要するに俺の美的センスだ。美しいと感じるかどうかに理由はない」
「わからねえ。何がお前の美学に反する?」
「何が美しい、何が反するって定義があるわけじゃないんだ。そりゃ俺の感性だ」
「そんな感性だけで人生を台無しにすることになってもいいのか?」
「この美ってやつが俺を、俺の人生を作っている。
俺だけじゃねえ。人間を決めるのは幸福も、地位も、人それぞれだ。要するに何を心に持って、何のために行動したかなのさ。
俺の人生はこの美にある。こいつが無くなれば俺の人生は終わるのさ。身体が生きていても、そいつはもう俺じゃあない」
斎藤も長い付き合いになるが、理解しきれているのか。
庸平自身が、他人に説明できるほど理解していないかもしれない。感じるがままに動いているだけなのだ。
「じゃあ仮に伊藤と上手くいって結ばれたら?」
「俺じゃない」
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