第7話 スクーターのエンジンをかける

 三隈みくまはじんと一緒に止めてある三輪スクーターの周囲をぐるりと回って各部の傷の有無を確かめた。


 その後、仁からエンジンのかけ方など各種操作の説明を聞いた。


 「じゃあ三隈ちゃん、エンジンをかけてみるかい」


 仁の問いに三隈は、


 「ええ、かけてみたいです。けどガソリンはどのくらい入っていますか」


 「三分の一位だね、軽トラで運ぶため、ガソリンは満タンに出来ないんだ」


 「お気遣いありがとうございます、敷地の中を走るには十分ですね、じゃあ、エンジンかけてみます」


 と答え、三隈はスクーターに跨がった。


 エンジンキーをONにしてメーターが正常に表示されるのを確かめた。燃料計は約三分の一を差していた。


 両手でハンドルグリップを握ってから、左手のレバーを握り込み、右手でスタータースイッチを押した。


 キュルキュルとセルが回り、パンという軽い音をたてて、エンジンが回り始めた。シートの下からくぐもったアイドリング音が周囲に広がっていく。


 三隈は少しの間、アイドリング音を聞いていたが、やがてパーキングブレーキがかかっていることを確認して、サイドスタンドを立て、スクーターから降りた。仁の方に振り向き、


 「靴を履き替えてきます」


 と言って、玄関に歩いていった。


 玄関で、スニーカーに履き替え、手にはイボ付き軍手をはめ、下駄箱の上に置いているヘルメットを持って、スクーターのシートに跨がった。


 それを見ていた仁は、


 「ずいぶん慎重だね」


 と言った。三隈は、


 「はい、敷地内でも転ぶと怪我をしますから」


 と返事をして、ヘルメットを被り、スタンドを上げてハンドルを握りなおし、右手のスロットルを開け始めた。


 エンジン音が大きくなり、スクーターは進み始めた。


 - 思ってたよりずっと安定している。でも、上手く曲がれるかな ー


 三隈が左に体を傾けハンドルを左に切ると、スクーターは弧を描くように旋回した。そして、軽トラを中心にした大回りで一周してもとの場所に戻って停車した。


 彼女は、ヘルメットのバイザーを上げ、仁の方を向いて言った。


 「このスクーター、すごく安定していますね。それに思っていたより曲がりやすいです」


 「結構走らせやすいだろ、納車した他の客も安定しているって好評だったよ、ところでみくっ、・・・」


 仁が急に話を止め、後ろを振り返った。


 視線の先には、怖い顔をしたおばあさんがこっちを見ていた。


 仁は、一つ咳払いをして、三隈がいる方に向き直った。


 「お、お嬢様、一つ聞いてもよろしいでしょうか」


 「なんでしょうか」


 「お、お嬢様は、オートバイに乗られた経験があるん、ありませんか」


 仁が、慣れない敬語でつっかえながら言った質問の意味が分かったとたん、三隈の顔色が変わった。


 「な、なんで、そ、そう思うのでしょうか」


 三隈は、ひきつった表情になり、逆にたずねた。


 仁は、自分の質問が相手を動揺させている事に気付いて、あわてて、


 「無理して言わなくていいよ」


 と言った。


 しかし、三隈は、ひきつった表情のまま顔をそむけ無言だったが、やがて口を開いた。


 「・・・、いえ、答えます、ですがその前に、私がバイクに乗った経験があると思った理由を教えて下さい」


 仁は、少しためらったが、理由を言い始めた。


 「まず、その服と靴だよ。上に着ているトレーナーはそのままで乗る人は多いけど、普通の人は綿百パーセントのカーゴパンツなんかはかないよ。それにスクーターで敷地内を走るだけなのにわざわざ靴に履き替えるとか、転んでケガする事を気にしない限りしない。最後に、スタートボタンを押す時、左のブレーキレバーを握り込んでスロットルを少し開けただろう。あれは、キャブレター・クラッチ付きのバイクに乗った経験があると、出るクセなんだよ。・・・なんかやぶ蛇になってごめん」


 理由を聞いた三隈は、少し沈黙した後、諦めた顔で話を始めた。


 「仁さんが見抜いたとおりです。私は小学生の頃からバイクに乗っていました。父がアウトドア好きだったので、主にオフロードコースをモトクロッサーで走っていました。それ以外にジムカーナの初心者向け教室に参加させてもらっていたので、普通二輪のMTバイクも走らせた事があります」


 「やっぱりそうなんだ・・・。なんか余計な事を聞いてごめん」


 仁の申し訳なさそうな返事を聞いた三隈は、無表情になって言った。


 「いえ、バイクの乗車経験を言っていなかった私が悪いんです。でもこれだけは信じてください、私は、クローズドコースでしかバイクを走らせた事はありません」


 「三隈ちゃんが言った事を信じるよ。バイクの危険性を知っていないと、靴に履き替えたりしないもんな、ホント立派だよ」


 仁が褒めたが、三隈は硬い表情のままだった。


 「じゃあ、仁さん、これから領収書のサインを書きますから、縁側で座って待っていてください」


 そう言って、三隈はエンジンを切り、スタンドを下ろしてヘルメットを脱ぎ、バイクを降りて玄関へと歩いて行った。


 三隈は、下駄箱の上にヘルメットを置き、代わりに置いていた封筒を手に取って、一旦奧の部屋へ歩いた。


 部屋の中にある押入から小さな座卓を出して、その上に封筒を載せ、そのまま縁側まで運んで仁とおばあさんの近くに置いた。


  もう少し待ってくださいと二人に言って、二階に上がり、ボールペンと鉛筆を持って、縁側へ戻り、待っている二人の側に座った。


 「お待たせしました、受取書にサインしますから」


 三隈は、そう言い座卓の上で受取書の記載を確認して、サインをした。


 「これでよろしいでしょうか」


 と言い、仁に差し出した。


 受取書に目を通した仁は、横にいるおはあさんに視線を飛ばしてから、三隈の方を向き、


 「ありがとうございます、お嬢様」


 と言って頭を下げた。そして頭を上げた後、


 「お嬢様、ウェア類は試着してみて、サイズが合わないなら、ウチに持って来て下さい」


 「たぶん大丈夫だと思いますが、合わないときは、交換よろしくお願いしますね」


 三隈は、仁との話をやめ、おばあさんの方を向いた。


 「おばあさん、お茶とお菓子は、お口に合いましたでしょうか」


 「ええ、美味しいお茶でございました」


 おばあさんは答えた後、しばらく三隈を見つめた後、言った。


 「お嬢様、"くろーずどこーす"とは何のことじゃろか」


 その質問を聞いた三隈は、予想通りだと暗い気持ちになっていくのを感じながら、答えた。


 「クローズドコースというのは、一般の人が入れないように区切った場所の中に、バイクが走れる道を作って、入場料を払った人が安全にバイクを走らせて、楽しむところです」


 「そうでございますか、ですが子供が無免許でバイクを乗り回してよいものじゃろか」


 「公道ではないので、無免許で走ってかまいません。でも、運転会の主催者やコースの持ち主が、必ず初心者に運転講習をして、安全運転できると認められた人しか、走れない決まりになっています」


 「ほんとうですかの」


 「本当です、信じられないのなら、私が小学生の頃、出場した草レースの動画があります、それを見てください」


 そう言って、三隈はスマホを取り出し、動画の再生を始めておばあさんに見せた。


 画面に、彼女がオフロードコースをバイクで走る姿や、レースが終わって母親と話をしている姿が映り、それをおばあさんはじっと見ていた。


 動画の再生が終わり、三隈はおばあさんに尋ねた。


 「信じて頂けましたか」


 「どうやらバイクで悪さはしてないようじゃ、やはり跡取り様だけのことはあるの。そうじゃ、お客様にお茶まで用意して頂き、ありがとうございます」


 おばあさんは、納得した顔でそう言い、三隈に頭を下げた後、仁に向かって帰る旨を伝えた。


 仁は縁側から立ち上がり、三隈の方に向き直り、申し訳なさそうな顔をしたまま頭を下げ、


 「お買い上げ、ありがとうございました」


 と言い、おばあさんに帰るように促した。おばあさんも縁側から立ち上がり、三隈にお礼を言って、仁と一緒に歩いて行き二人とも軽トラに乗った。


 三隈は、軽トラがバックで門の外に出て、走り去るのを見送ってから、縁側の窓を閉め、その後玄関から門へ歩いていき、外を見回してから門扉を閉めた。


 そして、玄関に戻り扉を閉めた後、上り框に疲れたように座り込んだ。


 「まったく、余計なことを聞くなんて~、ほんっと、やめて欲しい!!」


 そう独り言を言い、ため息を吐いた。


 - うっかり変な返事をしてしまった後、あのババアの顔をチラ見したら、何かを疑っている目をしてこっちを見ていた。仕方がないから疑いを晴らすための動画を見せなきゃいけなくなった。まったく、田舎者は訳あり客への配慮が出来ねえな -


 三隈が悪態をつきそうになるのはもっともな事である。


 例の騒ぎのせいで、高校生がバイクに乗ること自体タブーとされている中、"お嬢様"が無免許でバイクに乗っていたと噂が広がった日には、ここでの生活がしづらくなる。


 だからと言って当てもなく逃げ出しても、未成年のホテル住まいは従業員に怪しまれる。そして警察に不審者として通報されて、"保護"されるのは目に見えている。


 警察沙汰になれば、前科ものと見られ、さらにこの土地で暮らしにくくなる。


 三隈としては、この地から周囲が納得する形で離れられる高校卒業時まで、どんなに辛くても辛抱するしかない。


 仁たちに、バイク経験者と疑われた時の言い訳として、草レースに参加した時の動画を用意していたのは正解だった。


 "目"に見える事実ほど、人を納得させるものはない。


 しかし、三隈にとって両親との大切な思い出を他人に見せる事は、とてもつらい事だった。


 だが、それをしなければ悪い噂が立ってしまう。彼女にとって苦渋の決断だった。


 仁が余計な事を聞かなければ、この動画も見せる必要がなかった。


 そう考えると三隈は腹立たしい気持ちになった。だが、あの質問は人の良さの裏返しでもある。


 - 怒ってもしょうがない、これから何をすればいいか考えよう、それに今日もやることはたくさんある。 -


  三隈はサンダルを履き直した。


 まず、中庭に出したままのスクーターが、日に焼けないように納屋に一回仕舞う必要がある。その後も、出したお茶の片付けをはじめ、残った家事を終わらせる必要がある。


 三隈は、重い気持ちを振り払うように、玄関を出て歩き始めた。

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