第4話 ジンさんの店

 三隈みくまの自転車は、内心の喜びを表すように県道17号線を軽快に下っている。そして日野春郵便局がある交差点で一旦停車して右に曲がった。横手日野春停車場線に入るためだ。


 県道17号線より傾斜がきつめの下り坂を、スピードを乗せて釜無川にかかっている橋まで一気に降りていく。橋を渡って緩い上り坂を上っていくと、右側にS社の看板を掲げた自動車店が見えてきた。


 三隈は、自動車店前の道路左側に停止して、左右ならぬ前後から車両が来てないことを確認して、道路を渡って店の敷地内に入っていった。店舗建物の出入口のそばに自転車を止めて、店舗の右隣に併設された整備場の建物へと歩いて行った。大きく空いた整備場の入り口で立ち止まって、中に向けて声をかけた。


 「ジンさ~ん、いますか~」


 「いるよー、その声は、三隈ちゃんかー」


 三隈が声がした方を見ると、整備場の奥に積まれた箱の影からツナギを着た、がっしりした体つきの中年男性が姿を見せた。首に掛けたタオルで顔を拭きながら彼女の方に歩み寄りながら訊ねた。


 「三隈ちゃん、今日は何の用だい。耕運機のオイル交換は、今月下旬の予定じゃなかったか」


 「仁じんさん、今日はお客さんとしてきました」


 明るい声で三隈が言うと、仁さんは笑顔を見せて、


 「三隈ちゃん、二輪免許取得の許可取れたみたいだな。そりゃ良かった」


 「仁さんのアドバイスのおかげです、ありがとうございます」


 仁は少し照れたような顔をして、またタオルで顔を拭いた。そして、


 「じゃあ三隈ちゃん、店の方で待っていてくれないか。手を洗ったら、何を買うか聞こうか」


 と言って、整備場の横に付いている扉の方に歩き始めた。店舗の後ろにある自宅に一度戻って手を洗うつもりらしい。


 去って行く仁の背中を見て、三隈は整備場から店舗の扉の方に向かって歩き始めた。


 店舗の扉を開けると、中は店舗内の手前と奥を仕切るようにカウンターがあり、その前に椅子が六脚ほど置いてあった。


 道路側と整備場の壁となる部分のほとんどはガラス板で占められていて、整備場や道路がよく見えるようになっていた。カウンターとガラス板の間に四人掛けのテーブルが二組置いてあった。


 カウンターの奥は事務机が二つ背中合わせに置いてあり、一つの机の上にはパソコンが置いてあった。その奥にはファイルや帳簿をしまう書類棚が置いてあった。


 奥の壁に一箇所扉が有り、その奥は仁さんの自宅につながっている。地方によくある家族経営の自動車・バイク販売店の室内だった。


 三隈は六脚ある椅子の内、横に長いカウンターの中央近くの椅子に座って、リュックは横の椅子の上に置いた。


 三隈が座って事務所内を見回していると、奥の扉が開いて一人のおばあさんがカップをお盆に乗せて出てきて、三隈の方に歩いてきた。仁さんのお母さんだ。カウンターを挟んだ反対側の位置に歩み寄ってきた。カップからコーヒーの香りが漂ってた。


 「ようお越しくださりました、お嬢様」


 そうあいさつを言って、三隈の前にコーヒーカップを乗せたお盆をそのまま置いた。


 「コーヒーを用意いたしましたで、召し上がってくだされ。もうすぐ仁も来るじゃろうて」


 笑顔でそう言って、奥の扉の方へ歩いて行った。


 三隈は出されたコーヒーに口をつけ、一旦ソーサーの上にカップを戻した。


 - お嬢様って呼ぶのはやめてとお願いしたけど、昔の人だから無理なのかな。このコーヒー、香りはいいけどちょっと苦い、まだ大人になっていないから、コーヒーの味が気になるのかな。 - 


 自身の複雑な気持ちを和らげるかのように三隈がコーヒーに砂糖を入れようとした時、奥の扉が開く音がしたので、顔を上げると仁が奥から出て来るのが見えた。服がワイシャツとスラックスに変わっていた。扉から事務所の奥に置いてある書類棚の前に行き、数冊のカタログを取り出した。そしてそれらを持って、カウンター越しに彼女の向かい側に座った。


 「三隈ちゃん、これが三輪スクーターのカタログだよ。どっちを買う気だい」


 仁はそう言って、H社とY社の三輪スクーターのカタログを置いた。


 三隈の頭の中には、H社のスクーターは乳酸菌飲料の訪問販売をする人やデリバリーの配達人が乗っているイメージがある。


 一方Y社の方はCMで人気アイドルが楽しそうに乗っているイメージがあった。


 それに排気量で言えば、原付一種しかないH社と比べてY社の方が原付二種、軽二輪、普通二輪、大型二輪とラインナップが豊富だった。


 三隈はせっかく普通二輪免許を取るのだ、法定速度三〇キロメートルの限定がある原付一種はできれば避けたい。そうなるとY社一択となる。


 「こちらを買おうと考えています」


 三隈はそう言って、Y社のカタログの方を指さした。


 それを見た仁は、カタログのラインナップのページを開き、


 「やっぱりこっちか。まあ普通二輪免許を取るなら、法定速度六十キロ制限のバイクがいいもんな。じゃあ、この中で排気量いくつのを選ぶ気だい」


 どの排気量のバイクを選ぶのか、という仁の質問に三隈は答えた。

 

 「う~ん、軽二輪サイズを買おうと考えています」


 「軽二輪ね、車体は原付二種とほぼ同じサイズで、比較的軽いから女の子でも扱いやすくて、いいチョイスだね。じゃあ車体の色やオプションパーツの取り付けは決めているかな」


 仁の問いに、三隈は答えた。


 「車体の色はブルー系を考えています。オプションはグリップウォーマー、ナックルバイザー、ハイスクリーン、リアボックスを付けてもらおうと考えています」


 「そうなんだ。じゃあ軽二輪なら高速に乗れるじゃない。ETCは付ける、付けない、どっちにしようか」


 三隈は、仁の質問に迷った。バイク購入を考えていた時から付けようと考えていたオプションパーツはすんなり答えられたが、ETCの取り付けまで考えていなかった。未成年の彼女がETCを使用する時必要なカードを作れるとは思えなかったからである。


 迷っている彼女に仁が説明をした。


 「ETCカードは、親に当たる人の同意があれば三隈ちゃん名義で作れるよ。ほら、銀行口座は三隈ちゃん本人の名義で作れたでしょ。アレと同じ事。あと、ETCが付いていると、新しいバイクや車に乗り換える際に、下取査定がアップするよ」


 仁の説明を聞いた三隈は、少し考えて答えた。


 「じゃあ、ETC2.0を付けます。あとスマホホルダーを付けてください」


 仁は、笑顔を見せて、


 「まいど!! ウチとしてはありがたいね~、ご購入ありがとうございま~す」


 仁の少々おどけた答えを聞いた三隈は吹き出してしまった。


 笑っている三隈をチラチラ見ながら、仁は車種、車体カラー、オプションパーツのメモを取っていた。


 三隈が落ちついたのを見て、ヘルメットやウェア類のカタログを出して、彼女の前に置いた。


 「ヘルメットやグローブは、どれにする」


 「えーと、まだ決めていません」


 「じゃあ、ネットでメーカーや型番を調べて、そのデーターをスマホで見せてもらえばウチで取り寄せるよ。ウチとしてはネット通販で買われると、その分売上が落ちるからね、できればウチで買って欲しいよ。


 ただ、サイズは、実際にかぶらないと分からないから、ウチに置いてあるヘルメットを何種類かかぶってみて、どのサイズが頭に合うか判断した方がいいよ」


 仁の話を聞いて、三隈は少し考えた後、教えてもらったとおりにすることにした。 


 ライダーブーツの購入も考えたが、通学時に履くのは校則違反になりそうなので、仁が履いているようなくるぶしまで覆う安全靴を買うことにして、ブーツは後日相談する予定になった。


 「三隈ちゃん、今週中に発注かければ四月初旬にバイクはウチに届くと思うよ。納車はウチに取りに来ることにするかい」


 仁の問いに三隈は、


 「いえ、できれば家まで配送してもらえませんか。ヘルメットやグローブもそのとき一緒に持ってきてください。お店まで自転車で行ったら、自転車を持って帰る方法がありませんので」


 と答えた。


 三隈にとって、家から歩いて店に行くには遠すぎるし、店にタクシーで乗り付けるなど悪目立ちする行為はしたくなかった。


 そして店に取りに行った場合、いきなりバイクで家に乗り付けることになるので、その姿を見た周囲がどんな反応をするのか、予想できないので不安だった。


 三隈の返事を聞いた仁は、少し仕方がないと言う顔をして、それから笑顔を見せて、


 「じゃあ、三隈ちゃんの言うとおりにするよ。明日学校帰りに来てくれれば見積書と保証人の同意書や契約書を作って渡せるよ。それを見て、お金を用意してもらったらいいよ。ただ、保険やナンバー取得のお金は前金なんで、前金の金額は見積書に鉛筆で書き込んでおくよ」


 仁のていねいな説明を聞いて、三隈は、


 「何から何まで、教えて頂いてありがとうございます」


 とお礼を言った。


 仁としては見込み客だから、何が何でも購入させたい下心があったが、商売に関して適当なことを言うと、田舎の自動車・バイク販売店は信用をなくして商売あがったりになってしまうので、誠実に対応しただけのことだった。


 「これで、一応バイク購入の話はおわったよ。そうだ、ウチのばあさんが入れたコーヒー、冷める前に飲んでってよ」


 「ありがとうございます」


 仁に勧められて、三隈は冷めかかったコーヒーを飲むことにした。シュガースティック一本分とクリームをコーヒーに入れているとき、仁がおもむろに話し出した。


 「三隈ちゃん、バイクの運転に慣れたら、俺が所属しているツーリングクラブに一度参加してみない」


 「えっ、ツーリングクラブですか」


 「そう、バイクってツーリングであちこちに遠出するのも、楽しみ方の一つだし、ウチのツーリングクラブ、のんびり系なんで女性も結構いるから、若い女の子も安心して入れるよ」


 「ツーリングクラブですか、まだ早い気がしますが・・・」


 三隈は、話が面倒な方向へ行きそうになっているので、黙ってしまった。


 ツーリングクラブに参加することは、バイクに慣れたら適当なクラブを探してみようと考えていた。しかし、地元の住人と一緒のクラブに入るのは、三隈にとって少々問題があった。


 三隈が黙ってしまったので、仁は続けて言った。


 「三隈ちゃん、すぐじゃないよ。バイクに慣れてからだよ。それに学校の夏休み以降に考えて欲しいって事だから、あわてなくていいよ」


 三隈が黙ったことで、仁は勘違いして余計なことを言ってしまっていた。これでは自分のいるツーリングクラブにぜひ入って欲しいと誤解されても仕方がない発言だった。


 さらに固まってしまった三隈を見て、仁は慌てて、


 「知り合いなんだけど、甲府の方に女子だけのツーリングクラブがあるんだ、良かったらそこに紹介してあげるよ」


 「・・・」


 仁は、完全にナンシーおじさん的発言をしてしまった。


 二人の間に気まずい沈黙が訪れようとした時、


 「こらっ、仁、何をしてる!!」


 と、大きな声がした。


 三隈が声をした方を見ると、奥の扉が開いて、さっきのおばあさんが仁王立ちをしていた。


 おばあさんは、仁のそばに駆け寄ると、頭を一発たたいて、


 「お嬢様が困っているじゃろ、必要な話が終わったら、さっさと切り上げんかい」


 「痛ってー、かあちゃん、俺は悪いことしてないよ」


 「悪いも何も、お嬢様を困らせているじゃろ」


 おばあさんは、三隈と仁の話が長引いているのを気にして、店の方に見に来て、さっきのツーリングクラブの話を聞いて、割り込んできたようだ。


 「まったく、仁、結婚しているお前がお嬢様に言い寄ってどうする。お客様であるお嬢様を、気分良く帰らせないといかんじゃろ」


 といって、仁の頭をつかんで、三隈の方を向き、


 「ウチのバカ息子が、お嬢様に言い寄るなど無礼なことをして、申し訳ありませんて」


 といい、仁の頭を無理矢理下げさせて、おばあさん本人も頭を下げた。


 三隈はあわてて、


 「そんなに仁さんを責めないでください。さっきの話も親切心からツーリングクラブの話をしてくださっただけですから」


 と言った。それを聞いたおばあさんは、


 「お嬢様の優しいお言葉、ありがたいことです。ウチの仁には後で言い聞かせますので、許してくだされ」


 といい、また頭を下げた。


 三隈は、一旦諦めた表情をしたが、すぐに元の表情に戻して、


 「おばあさま、これからもバイクのメンテナンスなど、お付き合いが続きますので、安心してください」


 と言った。


 お礼を言うおばあさんを見ながら、三隈は内心ため息をついた。


 そして、椅子から立ち上がった。


 「明日、見積書を受け取りに来ます。今日はいろいろありがとうございました」


 と言って、お辞儀をして早足で店を出て、家に向かって自転車をこぎだした。


 - まったく、イヤになっちゃう。これからも”お嬢様”と呼ばれ続けないといけないのかな、あーやだやだ -


 三隈は、仁の店をたずねるまでのごきげんな気分は吹っ飛んでしまい、代わりに増えた不満を解消するかのようにペダルを強く踏み続けたので、自転車はかなりのスピードで店から離れていった。

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