その6 音楽会
学校の行事というものに、胸を躍らせる人はどれくらいいるのだろうか。遠足、運動会、音楽会……。様々な行事が行われる学校だが、残念なことに、私は遠足や修学旅行といった遠出する行事はともかくとして、学校の敷地内で行われる行事に関してはことごとく苦手意識を持っていた。今回は、その中でも小学生の頃の音楽会について話そうと思う。
私は昔から音楽というものが、聞くのは好きであれど自分で歌え、演奏しろと言われたら足踏みしてしまうくらいには苦手意識を持っていた。週に2回ペースで行われる音楽の授業では、自分ではうまく歌っているつもりが先生から「音程外れているよ」とか「声が小さい」とかダメ出しが飛んでくるのである。しかし、音程が外れていると言われても音程の調整などどうしたらいいのか具体的な対策案は全く出してくれず、自分なりに試行錯誤するも、先生を苛立たせるだけで一向によくならなかった。声が小さいというダメ出しについても、こんな先生曰く「音程の外れた」音で大きな声を出そうものなら、更なる顰蹙を買ってしまうそうで、せいぜい「小さな声でなくとも合唱すると他人の声にかき消されるくらいの程ほどの声量」をやがて習得することに成功した。我ながらこざかしい手を考えたなと思うが、当時の私の処世術だったのである。
とはいえ、音程が取れない、声が他人のそれに混ざる、という声質はかなり難儀なものである。言ってしまうと、私は声が低いほうであり、低い声というのはよほど個性のある声でなければ周囲の音に紛れてしまうようなものだということを、この身で味わっている。そうなると音楽会に向けての合唱練習は地獄となる。
音楽会というのは、言ってしまえばどの学年のどのクラスが一番うまく合唱や演奏ができるのかということに焦点を絞った学校の催しであった。言ってしまえば競い合いなのだが、実のところ我が学校ではその体を成してはおらず、生徒の合唱等の上手い下手よりも、先生たちのパワーバランスがその音楽会を通じて把握するといった感じであった。根も葉もないことを言うと、生徒を利用して己の権力の誇示をしていた行事である。それゆえ、正直に言わせてもらうと、生徒たちがどれだけ完璧に歌えたり演奏できたりしても、そのクラスを指揮している先生が新米だったりすると、賞も何も取ることはできない。出来レースもいいところである。
それゆえに、音楽会が始まる前からクラスメイトたちから囁かれていたのは、「今回は〇〇のクラスが受賞するだろうね」みたいな話であった。生徒たちからそのような発言がされるということは、すなわち、誰もが音楽会そのものに意味などないということを理解していたことに他ならない。幼心ながらに、先生たちのパワーバランスは見て取れていたのだ。
先生たちも、結果がすでにわかっていたとしても力の誇示をしなければならない。誰に対しての誇示なのか。おそらくは先生たちも先生たちの戦いがあるのだ。しかしそれは、子供がガキ大将に舐められないように立ち振る舞う行動と大して変わらなかった。なまじ、音楽会があるという名目で自身が請負う生徒たちを巻き込むあたり、子供よりもタチが悪い。大人になっても、子供と同じようなレベルの社会の縮図が行われていると悟った瞬間であった。
力の誇示をする以上、先生たちが次に取る行動は決まっている。己の生徒たちを受賞とはいかなくとも次点に付けるくらいの実力を付けさせるのだ。先生たちに生徒を思いやり、のびのびとさせていいじゃないか人それぞれのクラスだよ生徒だよ、と言ってくれるだけの先生が紛れ込んでいたらいいものを、生憎とそんな生徒に気が回るほどの先生はいなかった。
音楽会が始まるまでの期日は1か月あった。その1か月の間、私たち生徒は先生の威厳を保たせるために「なにやってるんだろう」状態のまま合唱に演奏をさせられるのだ。
音楽の世界に体育会系のノリが混ざり合う。音程の取れなさ加減なんぞ、一度注意されてすぐに治るわけでもないのに、合唱練習中にその都度指摘してき、直すように指示をしてくる。だが、そういう激が飛ぶときの大半は校長といった己よりも上位職に就いている者が視察に来たときに発生するイベントであり、言ってしまえば「やっている感」を出すための中身のないものである。実際、音程が外れていると言われた時と同じような音程で歌うと、当の先生は「ヨシ!」などと言っていたのだから、本人も音楽に特に秀でているわけではないのだ。やっている感を出せば済むという、日本の悪しき習慣が小学生に刷り込まれようとしている瞬間であった。
なにもかもが出来レースで生徒の生活習慣と学校での成績の高さがイコール、クラスを請け負う先生のアドバンテージと知った生徒は、当時果たしてどれくらいいたのだろうか。私は頭が悪いのに、こういうところだけ変に頭が回るものだから心底嫌気が差していた。
合唱の時の嫌な記憶に、合唱の最中にもっと声を張り上げろという怒声が飛んできたことがある。私としてはオンチながらも頭ひとつ抜けた大声で歌っていたはずなのだが、そういう指摘が飛んできたのだ。
幼心ながらに憤りを覚えた私は、再度合唱するときに口パクで歌った。すると先生は「やればできるじゃないか」と褒めてくれた。こいつは何も見てない、と思い知った瞬間であった。子供の浅知恵にかの教師はまんまと騙され、愉悦に浸っているのだ。いくらなだめても欲しいものが手に入るまで地面に転がる駄々っ子よりも扱いが楽である。これでは、どちらが面倒をみているのかわからない、といった感じであった。
音楽会の結果は、すべてはシナリオ通りに進められる。生徒の努力とは裏腹に、先生たちのパワーバランスがそのまま順位となるのだ。私たちの1か月は、こういう大人の見栄に付き合わされて消費されていっていた。
そんな経験もあり、私は音楽会が苦手であったし、ついでに言うとカラオケで人前で歌うことも社会人になってまったくしていない。歌ってくれ、とお願いされても頑なに拒否をする。その代わり、ひとりカラオケはたまにする辺り、歌うことが嫌いになったわけではない。おそらく、歌っている最中に変な指摘が入るのを極度に嫌がっているのだろうと、自分でも思う。ちょうど、合唱している最中に注意したいがために強制中断する先生の様な……。
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