第31話・よみがえる伝説

 

「亡くなったって、そんなお年の方だったのか?」

「いやそうでもない、俺らプラス20歳くらいだ」


 他に客の居なくなった喫茶店の中。

 俺とチカの声が、店内に流れるクラシック音楽の中に混ざりこんでいる。


「ふむ、じゃあ今は50歳ってとこか」

「生きてればな。ただかなり若作りだったそうだから……」


 マスターの方を見るチカ。

 そこら辺は実際に会った事のあるマスターの方が詳しいのか?


「ええ、浅香さんはかなり若く見える方でした」


 話を振られたと理解したか、マスターが後を受ける。


「入社時に中卒扱いされたのは、社内では半ば伝説になってましたね」

「じゃあ今ここに居たら私より若く見えるとか?」


 思わず訊いてしまう。

 マスターは、ええ恐らくは、とだけ言った。


「マジですか……」


 唖然とする。

 いや、確かに世間にはそういう若作りな人って居るもんだ。

 祢宜さんとかな。

 しかし女性ではよく聞くが男性となると不思議と聞かない。

 それも実年齢から20以上も若く見えるだなんて!


「あ、そういえば浅香さんが写った写真が……」


 アルバムを持ってきます、と言ってマスターは店の奥に引っ込んでいった。

 ……まあアレだ、男性の場合若く見られるのは必ずしも良い事じゃないからな。


「それで、浅香さんはビデオデッキの設計部門に配属されて、頭角を現して」


 と、チカが続ける。

 最初から基板設計に関しては非凡なものがあったが。

 40歳を過ぎてからも、更に能力を向上させていったのだとか。


 通常、基板設計は若い人間の方が有利だ。

 直観というか、いわゆるひらめく力が連続して必要になるから。

 しかし、この浅香という人は年齢を重ねるごとに閃く力を増したらしい。

 普通は年齢と共に衰える筈の、その感覚を。


「液晶テレビ開発に必要な金も、浅香さんが別製品の設計で稼ぎ出したとか」


 しかし何故そんな必死に頑張ったのか、分かるような気がする。

 見た目が若いからと舐めてかかられると、非常に頭にくるからな。

 だから浅香さんも、仕事で実績を積んで見返してやろうとしたんだろう。


「周囲の人は、浅香さんはクルマを走らせることでその力を得たと言って」


 若い頃からクルマが好きだったらしい。

 まあ、スタリオンをあんな風にするくらいだから相当だったんだろう。


「ええ、クルマは大好きだったようですが……」


 そう言って、戻ってきたマスターが分厚いアルバムをテーブルに置いた。


「やはりプリントアウトした方が見易いかと思って」


 とマスターが言い訳じみたことを言いながら、中ほどを開いて見せる。

 すると。


「おお、これはお店の常連の人たちですね」


 チカが色めき立って。

 知り合いらしい人間が居るとかで、知らない名前を列挙してはしゃいだ。


「ええ、これはたしか10年前の、福島ツーリングのもので」


 福島の山の上なのか、見たことのない壮大な風景。

 青い空に白い雲、その下のアスファルトの駐車場の上に立つ人たちは。

 みな一様に抜けるような笑顔を見せていた。


「写真、お上手ですね」


 率直な感想を述べた。

 いや正直に言うと、このロケーションならもっと空の面積を、とか。

 露出とかアングルとかシャッター速度とか。

 細かいところでは色々と注文を付けたくなったのは事実だ。


 しかしこれらは殆ど全てスナップ写真だろう。

 だからそれは瞬間勝負。

 こんな見事に楽しそうなところや青空の空気感を切り取ってるのだから。

 これはもう上手としか言いようがないだろう。


「いえいえ、デジカメの性能ですよ」


 謙遜するマスター。

 性能などでフォローできるものでないのは明らかだったが。

 あまりしつこくしてもな、と思って話題を変える。


「それにしても、皆さんクルマやバイクを綺麗にされてるんですね」


 写真の中にあるスポーツカーや大型のバイクはみなピカピカに光っていた。

 その中の一枚に。


「ああ、この写真ですね」


 白いスタリオンが写っている写真を発見した。

 その前に立ってる、大学生くらいの男の子。

 そしてその両脇には、その男の子を取り合うように腕にしがみつく女の子。

 スタリオンの後ろには数人の家族連れの姿も。


 良い季節なのだろう、皆春っぽい服装で。

 その全員が漏れなく笑ったり微笑んでいたりするのが印象的な一枚だった。


「あ、はいそうです」

「へえ、この人ですか」


 チカも興味津々に覗き込んでくる。

 話を聞くだけで、実際に会った事は無いと言ってたからな。

 しかしまあ。


「浅香さんは本当に若く見えるんですね。どう見ても大学生にしか」

「そうそう、それに女の子にモテモテ」


 それほど美男子という感じではないが。

 その視点なら、後ろの左端の子供の方が遥かに写真映えする美少年だった。

 いや決してそういう趣味はないんだが、ヤケに目立つんで。


「モテモテ? ああ、手前の3人は私の親戚の子たちですから」


 見た目通りに(当時)大学生の兄妹たちだそうな。

 え? じゃあひょっとして……いやまさか……


「浅香さんはこの方です」


 と、マスターは写真の左端を指し示した。


「ウ、ウソだろ……」


 素で驚いてしまった。

 目が真ん丸になっているのが自覚できるほどに。

 つまり浅香 純音という(10年前だから40歳の)中年男は。

 このどう見ても中学生、いや、妙に背の高い小学生位の美少年だって事に!


「浅香さんは独身を通したと聞いたが……なるほど……」


 唖然としながらも納得した風でチカが。

 それには俺も同意せざるを得ない。

 ソープに行っても確実に門前払いを喰らいそうな。

 こんな幼く頼りなさそうな風体の少年(中年だが)が相手では。

 どんな物好きな女性でも、生涯の伴侶としては見れなかったのだろう。


「それで近くのミニサーキットのレコードホルダーなのですから驚きです」


 ダメ押しとばかりに、マスターがチカに向かって言う。

 しかし、チカはそれほど意外そうな顔にはならずに。


「その程度は当然でしょう。浅香さんは液晶テレビの中興の祖なのですから」

「ち、ちゅうこうの……?」


 思わず訊き返してしまう。

 つか普通、ああいう世界初みたいな製品ってのは大勢で作り出すものでは?


「そう、浅香さんは一人でテレビ用の液晶の組成そのものを開発したんだ」

「一人で? いやそういうのって実験室で何回もトライアンドエラーで……」

「浅香さんはその工程をすっ飛ばして、自作の計算式だけで編み出したんだ」


 もちろん、実際の試作品は実験室で作ったそうだが。

 それは最初からほぼ要求通りの性能を発揮したのだとチカは言った。


「まさに天才」


 感心したように腕組みしたマスター。

 それは確かに、サーキットのタイムなんて大した事じゃないって話だわな。


 え? いや、もしそうだとすると……


「ひょっとして、あのmist2を設計した頃ってのは……」

「ん? ああ、あの頃には既に基板設計は合間仕事になってたそうだよ」

「ウ、ウソだろ……」


 今夕二度目の驚愕。

 あの多層基板業界のスタンダードと言われた板が、まさか片手間にチャチャッと描かれたものだったなんて!


「会社の先輩たちに言ったらガッカリするだろうが、言わないわけにも……」


 思わず頭を抱えてしまった。

 そんな俺を見ながらチカが言う。


「浅香さんが辞めた後、残された資料や計算式に抜けが有るのが分かって」


 早河の矢板工場では困っていたらしい。

 なんせ天才が考え出した数式。凡人たちには穴埋めや修正など不可能だ。

 それで浅香さんを呼び戻そうと行方を追いかけたのだが……


「すでにこの世にはいなかった、ってとこか」


 俺の予想にチカは重々しく頷いて。


「辞めて間もなく、羽田に向かう高速道路上での派手な事故だったらしい」


 と言った。

 生前には、幽霊には足が無いから逝く時はクルマと一緒でないと不便だな。

 と、口癖のように言っていたそうな。

 だからほぼ本望だったのだろう、とも。


 いやしかし、なんか引っかかるものがあるな、その話。


「そもそも浅香さんはなんで早河を辞めてしまったんだろう?」


 足が無いならアクセルもブレーキも踏めないだろ、ってツッコミではなく。

 純粋に単純にまずそこが気になった。


「分からない。それは誰も訊けなかったらしい」


 天才ならまあそうなんだろうな、と思ったところで。


「ただ、辞める際に本部長へ“約束は果たされましたから”と言ったそうな」

「やくそく? なんだそれ? 早河電機に特有の何かか?」

「いや俺も詳しくは知らんのだが、それを聞いた本部長は一言唸ったきりで」


 辞職届けに判をついたのだという。

 なんだよそれ。何かの脅しか殺し文句なんだろうか?


「約束は果たされた、と仰ったのですか?」


 しかしマスターには思い当たるところがあるのか。

 おうむ返しにチカへ訊き返した。


「え、ええ、そう聞きましたが」

「うむ、なるほど……」


 戸惑うチカの返事に、マスターはまたも腕組みをして感嘆を漏らした。

 そして、話し始めのチカの様に、重い口調でこう切り出した。


「これは早河の矢板工場が建設される前の話になるのですが、まずは関西地盤の早河が何故こんな関東の外れに工場を建てたかという所から」


 マスターは、テーブルに向かって話しているように見えた。

 だが、内容からチカは自分に質問をされたと思ったようで。


「え? ああ、創始者は元々東京の出身ですから、その流れでは……」


 と答えた。何故そんなことを訊くのか、という表情で。

 そこら辺は早河の社員なら常識の範囲なのだろう(俺は初耳だったが)。


「東京から離れすぎてますし、当時の創始者には縁も伝手も無かった筈です」

「そ、それは……きっと当時の好景気に乗る形で……」

「当時は不景気でした。その後の好景気は当時の人たちの頑張りの結果です」


 意外に深く突っ込まれて、チカはたじろいでいる。

 しかし、マスターは何を言わんとしてるんだろう?


「敷地の中には公園がありますね、古い城跡の。何故そんなものが有るとお思いですか?」

「それは、それこそ昔からあるものだから……」

「あそこら辺は、戦争中には陸軍の飛行場があったのです。そこを使って」


 現在の国道4号線を通したのだと。

 早河の工場を建てたのは、どうやら戦後20年余り経ってからの事らしい。


「単に雑木林だったのですから、城跡を避けて敷地を作るのも容易でしたが」

「…………」


 つまり工場を作るのではなく城跡を保存するのが目的だったと?

 それこそ、なんでそんな大げさなことを?


「今の形になったのは時の政府からの要請があったからと聞いてます」

「政府から、ですか」

「復興事業としての絹生産から電気製品の製造へと舵を切った、時の政府が」

「なんか社会主義みたいですね」


 割って入った。

 戦後はアメリカ主導の自由経済になったと教わってたので、少し意外で。


「そ、そう感じますか……」


 すると、マスターは意外そうな顔をこちらに向けてそう言った。

 そんなに変な事言ったかな俺?


「政府が一企業に工場建設を命令するのは、自由主義っぽくないっていうか」

「ああ、そういう事ですか」


 マスターはすぐに察してくれたようで、軽い笑顔を見せて。


「政府では漠然としてますね、すみません。具体的には神社本庁です」


 と言った。


「よ、余計にヤバくなったような」


 チカが唖然として。

 俺もまったく同感だった。


「戦後復興にあたって日本を霊的スピリチュアルに強化するのは、神社本庁の隠れたテーマだったと聞いています」

「どういう事です?」

「結界とか魔法陣とか、そういうのじゃないかな」


 思わず訊いてしまった俺に、チカが応えてくれる。

 そんなマンガみたいなと思ったが、マスターは黙って頷いていた。

 マジですか……


 だがそれならば、古い城跡を保存するというのも分からない話じゃない。


「早河の工場も、その一角を成しているというのですか?」

「そうです。あそこは主に玉を保持することが目的だったと」


 喉が枯れたのか、マスターは自分用に持って来ていたお冷を一口飲んで。


「ブラウン管の事を玉と言うでしょう。ああいや、そう言ってたのですよ」

「え、ええ、そうでしたね」

「それを龍が持っている玉になぞらえて、テレビの生産工場にしようと」


 チカには分かるのだろう、その呼び方が。

 しかし門外漢の俺にはピンとこない。

 それにしても、ここでも龍か。北関東って龍の話ばっかりなのな。


 とか考えて変な顔をしてたせいか、マスターが追いかけて説明してくれる。


「あの工場ではブラウン管は作ってなくて、他所から購入してたんですよ」

「そうですか……でも何故?」


 早河は関西の方で液晶パネルからテレビまでの一貫生産工場を建てたはず。

 そんな会社なのに、なんで儲けが少なくなりそうな形態にしたのか?


「ふむ……加治屋さんは“農家の次男坊”の話をご存じですか?」

「? いえ、知りませんが」

「農作業を手伝えば家族は楽になりますが、次男坊は外へ働きに出て……」

「他所からの収入を得る方が、家計がより健全になるという話ですね」


 チカがマスターの後を継いで。

 ああ、そういえば大学の政経でそんな事を学んだような気がするな。


「ブラウン管やその他の部品を外部から購入すれば、外部でも金が回ります」


 なるほど、そうすることで経済を活性化させるのが主目的だったのだな。

 あ、でもそうすると、今の早河のやり方って……


「早河の創始者は、経済に明るい人物だったという事ですよ」


 つまり、今の早河の経営者たちは独善的だと言いたいんだな。

 この老紳士は穏やかそうに見えて、結構キツいものを持ってるようだ。


「……話が逸れてしまいました、申し訳ありません」


 ああ、いえいえとチカと二人で首を振った。

 なかなか興味深い内容だったし。


「それで、“約束”というのは一体何の事だったのでしょうか?」

「ええ、それでしたね……」


 もう一口、お冷を飲む。

 つられて俺もチカもコーヒーではなくお冷を飲んだ。


「以上の事から、当時の政府とは念入りな契約が交わされ、その契約書が」

「あ、その噂は聞いたことがあります。工場建設の時の契約書が金庫に厳重保管されてるとか」

「そう、その話です。それは事業所の長でないと見ることは出来ないと」

「……ひょっとして、浅香さんはその契約書ってのを見たんでしょうか?」


 なんか話の輪に入れなかったんで、強引に質問を挟んだ。

 しかしそれは正鵠を射ていたようで。


「そういう事だと思います。しかし、私が当時の常務から聞いた話では」


 その契約書の中は霊的に強力な呪文で形成されていて、普通の人間が読んだら、発狂するか自我を失うと言われているのだと。

 そんなヤバいものが有り得るんだろうか?


「半分は一般の目にとまらない様にする為の方策だと言ってました。そして」


 じゃあ残りの半分はマジなのか。

 いや怖えよ。


「契約を強力にする為に、達成条件を極端に難しくするのはよくある事です」

「なるほど、それが浅香さんの言った約束なのですね」


 との、チカの念押しに。


「私はそう思いました。つまり――」


 マスターは答えたのだ。


「創業者が交わした約束とは、壁掛けテレビの実現、だったのではないかと」


 そうか、確かにその昔なら薄型テレビなんて夢のまた夢だったろうからな。

 それが実現するのは、きっとずっと先の未来に違いないと思って。


 いや、しかしそれじゃあ……


「では、矢板工場は潰れてしまうという事なのでしょうか?」


 チカに先に聞かれてしまった。

 まあ自分が勤めている会社に関わる事だからな、真剣味が違うか。


「そうならない事を祈ってますし、上の人間も手はうってるでしょう」


 慰めるようにマスター。

 さあ、何か食事になるものを用意しましょう、とも言って。

 それに対しチカは、ああそうですねとホッとした顔をしたが。


 俺は、何か得体の知れない嫌な予感に包まれたのだった――



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