彼女、フーレリアにはきっと何か考えがあるに違いない。(by王太子)

 王城の私室だけが私のプライベート空間だ。


 王太子――そういう立場にいると、一歩部屋を出れば護衛に側付きがついてきて取り巻きがやがて集まってきて、人に囲まれることになる。


 一挙手一投足に注意をはらい、発言のニュアンスに気を使い、政治的な立場についても意識しながら、私は王太子として振る舞うのだ。




 そう、まさしく演じる、という表現が相応しいほどにそれは私自身とかけ離れている。




 思わずため息が漏れる。


 ここ最近のため息の原因は、十年来の許嫁だったフーレリアとの別れだ。




 未だに思い出す。


 静かにただ私からの一方的な別れを受け入れた彼女の表情を。


 私は殴られる覚悟もしていたし、泣かれる覚悟もしていたというのに。


 彼女は文句のひとつもぶつけずに、私の前から立ち去っていった。




 そもそもフーレリアとは、私にとっては唯一信頼できる人間だったのだ。




 彼女だけは私の取り巻きたちとは違い、静かで穏やかで、彼女の周囲は静謐に溢れていた。


 学院でたまたま顔を合わせる機会があったとき、慌てて書物を後ろ手に隠したのが印象的だった。


 難解な古代語の書物を読んでいるのが女性らしくないと思ったのだろう、そんな仕草もいじらしいことだ。




 学院の才女と呼ばれるほどに彼女は勉強熱心で努力家だった。


 座学の成績は常にトップを走り、博識で、しかし驕らず誰に対しても丁寧に接していた。


 侯爵家の生まれなのに、だ。


 立派なことだと思う。




 そんな女性との婚約に転機が訪れたのは、国王である父上の命令だった。


 ――神殿の擁する聖女と婚約せよ。




 確かに、神殿の権勢は聖女によりますます隆盛を極め、民草の信仰を集めている。


 その聖女を神殿から引き剥がして王家で囲おうというのは、理にかなった政略だ。




 しかしそのためにフーレリアとの婚約を破棄せざるを得なくなったのは、私にとって痛恨事だった。


 第二夫人として遇するという選択肢があったにも関わらず、聖女からの申し入れでフーレリアとの婚約を破棄しなければならなくなったのだ。




 聖女はその称号に反して傲慢で嫉妬深く、貴族よりも貴族然としている。


 自分よりも出自で優れ、学院の成績優秀者であり、また人格者であるフーレリアと己を比較されるのが堪らなく耐え難いことなのだろう。




 想定外だったのは、婚約破棄に留まらず、王都から彼女を追放せよ、とまでのたまったことだった。


 顔を見るのも嫌だ、とは何様だろう。




 フーレリアは私が聖女と婚約するために、実家であるアルトマイアー侯爵家から追放されてしまった。




 今は迷宮都市で暮らしているとの報告があったが、治安の悪いあの街で彼女がやっていけるのか不安だ。


 いや、きっと大丈夫なのだろう。


 彼女、フーレリアにはきっと何か考えがあるに違いない。




「王太子殿下。聖女様がいらっしゃいました」




「……ああ、いま行く」




 聖女とのお茶会だ。


 あの顔、美貌の裏に透けて滲み出る性格の悪さと正対しなければならないのは憂鬱だった。




 * * *




「今日もお茶が美味しいですわ」




「そうですね。こちらは東方の国から取り寄せたものになります」




「お菓子の甘みを引き立てていますね」




 皿に盛り付けられたお菓子を上品に口に運ぶ聖女クラウディア。


 彼女はこうして頻繁に王城に訪れては、高価な菓子とお茶を楽しんで帰っていく。




「ところで王太子殿下はどこかお加減が悪いのですか? 眉間に皺が寄っていますが」




「え? いえ……別に悪いところはありませんよ」




 思わず眉間に手をやる。


 どうやら不快が表情に出ていたらしい。


 私にとっては珍しいことだ、それほどまでに聖女クラウディアのことを嫌悪しているのか。




「わたくしが治して差し上げましょう」




 クラウディアは右手の人差し指を立て、光属性魔法〈レストレーション〉を唱えた。


 身体が一瞬、軽くなる。




 〈レストレーション〉は聖女だけが扱える最上位の治癒魔法で、あらゆる傷病を癒やすと言われている。


 傷も病も抱えていない私にかけるのは魔力の無駄だが、有り余る魔力があるクラウディアならば大したことではないのだろう。




 断りもなく魔法を使ったため私の護衛が腰の剣に手をかけているが、この辺りの常識の欠如が私を不快にさせる。


 ため息を押し殺して、私はお茶を口に含んだ。




「ご存知かしら? 殿下に捨てられた侯爵家のご令嬢、今は迷宮都市で錬金術師の真似事をしているそうですわ」




「錬金術師?」




「ええ。でも錬金術師の工房を借りているだけで、お菓子を作って売っているのだとか。侯爵家のご令嬢にどれほどのお菓子が作れるのか知れませんが、生活は成り立つのでしょうかね?」




「…………」




 フーレリアはお菓子作りなど出来ただろうか。


 錬金術の方がまだ信憑性がありそうだ。


 しかしお菓子の話と錬金術が上手く繋がらない。




 フーレリアが生活に困っていたら、密かに裏から手を回す準備はできている。


 それよりもクラウディアがフーレリアの近況を知っていることの方に脅威を感じた。




「フーレリアのことはもう忘れました。今の私の婚約者はただひとり。クラウディア、君だけだ」




「まあ。うふふ」




 そうして頭を空っぽにして笑っていろ、余計なことは何もするな。


 私は心中で毒づきながら、フーレリアの無事を祈った。

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