23 すごいとっくん

 突然だが、俺は運動というものがとにかく嫌いだ。

 身体動かし続けると苦しいし、汗だくになるし、翌日も筋肉痛きついし、それでもこっちは真剣にやってんのに周りの連中から指差されて笑われるし、これで嫌いにならない方がおかしいだろう。

 よく「みんなと汗水流して運動するの最高!」なんて言う奴もいる。申し訳ないが、それも理解しがたい。別にそいつの意見を否定しているわけではない。ただ、それを押し付けがましく主張してくるような奴は滅んでほしい。

 しかし、何故人間は適宜運動をしないと健康を保てないのだろうか。何故健康は苦痛との等価交換でしか得られないのか。これは人体のバグだろう。不具合だろう。早いとこ修正アップデートを実施してほしいものだ。まぁ要するに、「楽して健康保ちたい!」ってことだ。

 そう、健康維持には運動が必要不可欠であることは十二分に理解している。俺のこれはただの我儘だ。俺がいくら「運動したくない!」などと駄々をこねたところで、そんなのは掻き消される。将来のため健康のためと言われたら、それは首肯せざるを得ない。わかっていても、どうも行動に移せない。それこそ〝やらなきゃいけない〟という場合にしか。情けないことに俺という奴は、自分より強い立場にいる人間から命令されると、笑える程説き伏せられてしまうのだ。


 で、何でこんなことを長々と語っているのか。簡潔に言ってしまうと、〝やらなきゃいけない〟場面に、まさに今直面中だからである。俺は現在、ランニングをしている。体育の授業……ではなく、地域サポート会の仕事の一環で。

 もう既に息も絶え絶え、ふらふらしながら走っている。何だか、俄に花畑が見える。体力系は俺が一番苦手なやつだ。最中は毎度毎度「地獄って存在するんだな」と思う。

 授業以外で運動するなんて俺にとっては、やや誇張して言うならば、出し抜けに二次元グッズを捨てた挙句、日焼けサロンに行きその勢いでクラブに直行、くらいの非現実的な話である。じゃあ今回、一体どのような経緯で、二次元グッズを捨て日サロとクラブに行かなければならないはめになったのか。

 事の発端は月曜日の放課後、秋人からの発言だった。

「あの、雫先生! 他の人の代わりに依頼って言うのかな、そういうのって、出来たりします?」

 唐突にそんなことを尋ねる秋人。誰かの代理で依頼したいことがある様子だった。

「代わりに、ですか。特に禁止はしていないはずですが、何か代理で依頼したいことでも?」

「うん、実はそんな感じで。みんなも聞いてくれる?」

「お~、久しぶりの依頼だ~!」

 俺たちにとって久方ぶりの依頼。各々自由に過ごしていたが、皆秋人の方に耳を傾けた。


 と、冬樹が秋人に、一つ疑問を投げ掛けた。

「ちなみに、誰の代理なんですか?」

「俺の妹!」

「妹? 秋人君、妹さんいるんだ! 私と一緒~」

「うん! よく意外って言われるけど……」

 秋人に妹がいるなんて、俺はこのときが初耳だった。同時に、本人も言った通り少し意外だと思った。普段の彼は無邪気かつ無鉄砲で、俺がイメージする〝兄〟の人物像とは少し離れている。寧ろ〝弟〟のイメージの方が近い。まぁ、俺の方が年上ってのもあるんだろうけれど。

 実際、年下の美玲と初夏は意外とは思わなかったようで。

「……そう、かな。そんなことない、と思うけど。お兄さんの秋人君、すごく似合ってると思う」

「そう? へへ、ちょっと嬉しいな」

「ゴミ拾いのときも思ったけど、秋人って子供の相手上手いもんな。も見習ってほしいわ」

 初夏の言ったが、俺の同級生の男友達であることは明白だった。てか、普通にそいつに視線向けてたし。

「……何でこっちを見んだよ」

「別にー」

「……確かに、俺も同意見だ。素直にすげぇと思う」

「えっ、光ちゃんまで。嬉しいけど照れちゃうなぁ」

「とても真似出来ねぇよ。ましてや、鹿にまでちゃんと接するなんてな」

「ぐっ……誰のことだよ?」

「別に」

 流れそのままに初夏に反撃した光。この為に秋人を褒めたんじゃないかとさえ思えた。大人気ねぇ。


 ここで、話の核がだいぶズレてきていることに気付いたらしき唯奈が、秋人に優しく促した。

「それで、良いお兄さんの秋人君は、妹さんからどんな依頼を受け取ったの?」

「あ、えっとね、妹──秋葉あきはの通ってる中学校でもうすぐ体育祭があってさ、その為にトレーニングしたいんだって!」

「トレーニング?」

「うん。秋葉、あんま自分の運動神経に自信なくて、それで周りの足引っ張りたくないみたいなんだよね」

「なるほどな。でも、何で俺らに?」

「一人でやったらサボっちゃうかもだからって。俺的には、真面目な奴だし、そんなことないと思うんだけどなぁ。いや真面目だからこそ? とにかく、そういうこと!」

 話からわかったのは、秋人が受け取った依頼は『体育祭に備えての自主練に協力してほしい』といったものであるということ。それと、秋人の妹の名は『秋葉』といい、非常に実直かつストイックな人物であるということ。この二つだった。

「しっかりした子なんですねー!」

「マ~ジでそうなんだよ~。俺が宿題途中で放り投げたりすると、オカンかってくらい叱ってくるし」

「そりゃ、お前が悪いんだろ……。で、依頼のことだが、異議ある奴いるか?」

「なーし! 妹ちゃんムキムキにさせちゃおう!」

「ムキムキにはならないと思うけど、力になりたいよね」

「俺もいーよ。身体動かすのは好きだし」

 ほぼ皆が賛同していて、依頼を承る方向に舵が進んでいくなか、俺は少し考えごとをしていた。


「美玲もだいじょぶ?」

「……うん」

「じゃあ決まりだな。俺らにも丁度良い。日程は──」

「ちょ、ちょっと待ってくれ!」

 その思案の末に、傍から見ればいきなり声を上げた俺。当然周りは不思議がって俺に注目する。集団から視線を向けられるのは本来大の苦手だが、こいつらだし、どうせならニュース番組に出ている専門家の如く言い切ってしまえと思ったのだ。

「どうした?」

「……それって全員参加か?」

「人数は多い程良いって感じだけど、何で?」

「はっきり言う。運動したくない。だから、全員が参加する必要がないなら、俺は不参加の方向で!」

 死ぬ程ダサいことを堂々と言う俺に、周りは呆気にとられていた。一瞬後、光から今まで俺が聞いてきたなかで一二を争うくらいの重く深い溜息が吐かれた。

「お前の運動嫌いも、ここまでくると清々しいな」

 渋い表情のまま続ける。しかし、この中に約一人俺に同意した奴がいた。

「でも、要さんの気持ちわかりますよ~。僕も無駄に身体動かしたくないですし」

「だろ? ほら光、可愛い後輩も言ってるぞ?」

「その可愛い後輩を出しに使ってんじゃねぇよ」

「いやまぁ……それはそうなんだけどさ……」

 光の、後輩には比較的甘い特性を逆手に取ったが、ぐうの音も出ない正論で殴られた。痛いところを突かれた、といった表現の方が正しいか。


 結局、その後俺も冬樹も光たちの押しに負け、一部の方々にしか伝わらないだろうが、俗に言う〝すごいとっくん〟に参加することになった。今ここで走り込んでいることが何よりの証拠だろう。

 ちなみに、場所は近所の公園で、遊具もトレーニングコースも充実している、周辺住民に人気なところだ。ランニングコースもあるので、準備運動した後、そこで走り込んでいる。

 このコースを一人五周というプログラムなのだが、如何せん広い場所なので小走り程度でもめちゃくちゃきつい。お陰で俺はほぼ最下位に近い。もうやだ。今すぐやめたい。

 あと、蛇足だが、依頼を受け取った際に光がぽつりと言った「俺らにも丁度良い」の意味について。実は、秋人の妹だけではなく、俺たちも身体を使う系のイベントが控えている。体育の時間内にやる、所謂『体力テスト』というやつだ。俺と冬樹はそれを引き合いに出され、今回の件を渋々了承した。

 更に蛇足だが、六月末という体育祭のタイミングとしてはなかなか珍しい時期での開催について、気になったので秋人に尋ねてみたところ、どうやら諸々の事情で延期になってしまった為で、本来の時期は五月末頃だったらしい。開催が一ヶ月もずれ込むなんて何があったんだと新たな疑問も生じたが、秋人もその辺は詳しく知らず『機材トラブル』とだけ聞かされているとのことだった。


 そうこうしているうちに、もうすぐゴールだ。向こうで皆が待ってる。皆、と言っても俺以外の全員がそこにいる訳ではなく、数名が俺と一緒に走っている。例えば、俺よりだいぶ早くに完走した秋人は「あと少し!」「頑張れー!」などと俺らを応援しつつ並走している。なんて体力お化けだ。妹さんの特訓付き合うのこいつ一人で良かったんじゃないかな。

 また、冬樹や美玲、肝心の秋人の妹もまだ未完走で、秋人がまとめて相手をしている。やっぱこいつ一人で良かったよね?

「四人ともー! もうすぐゴール! あとちょっと! 最後の力を振り絞って……よーし!! お疲れー!! 頑張った!!」

 そんな秋人の某熱血すぎる元テニス選手並みの声援を聞きながら、俺たちは無事完走した。

 やばい、マジで吐きそう。気持ち悪い。頭が痛い。俺もうこのまま死ぬんじゃないかな。あれ、何か走馬灯みたいの見えるな。死ぬなこれ。

「お疲れさん。取り敢えず水分とれ」

 意識があやふやなまま項垂れていると、光にペットボトルで頭を小突かれた。

「ありがとう……うぇっ……」

「おい大丈夫……そうじゃねぇな。一旦日陰で休むか」

「うん……」

 ぜぇぜぇ言いながら、冬樹たちと陰になっているの方へ向かう。冬樹たちも、俺と同じくらい疲れ果てていた。

「冬樹君もお疲れ!」

「うぅ~、疲れました~……」

「美玲もすげー頑張ったじゃん」

「……うん、ありがとう、初夏ちゃん」


 暫し休憩していると少し楽になってきた。楽になってきたと言っても、じきに魂が空へ昇っていきそうとか、自分の生い立ちからのメモリアルがより鮮明に見えるようになったとか、そういう意味ではない。単純に息が整ってきただけだ。

 ふと、隣から今回の依頼主を気遣う声が聞こえてきた。

「秋葉もへーき? 途中すげー苦しそうだったっしょ」

「う、うん……。やっぱり私、体力が足りないみたい」

「秋葉ちゃん、頑張るのはすっごく良いことだけど、無理だけはしちゃダメだからね!」

「うん、小春の言う通り。適度に休憩をとりながら、一緒に頑張ろう」

「はい。ありがとうございます。皆さんの足を引っ張らないよう、頑張ります」

 まだ切れ気味の息で、中学生にしては少々堅い口調で意気込んでみせた彼女こそが、秋人の妹である小坂秋葉だ。

 俺は彼女と出会って数分しか経っていないが、今までの言動から事前に聞かされていた彼女の真面目な性質が手に取るようにわかった。顔のパーツ一つ一つこそ秋人によく似ているものの、その他は百八十度真逆と言っても差し支えない。

 例えば、ファーストコンタクトの際も彼女は、

「初めまして、小坂秋葉と申します。いつも兄がお世話になっております。運動は不得意なので、皆さんの足を引っ張ってしまうかもしれませんが、本日は何卒よろしくお願いします」

 と精悍な顔立ちで言って、雫先生に負けず劣らずの綺麗なお辞儀をしてみせた。こんなにもしっかりとした挨拶は彼女より三年程長く生きているはずの俺でも出来ないと、そのとき深く感心した。それと同時に、この子は話に聞いた通りの兄よりしっかりしていてクールなタイプの妹だとも思った。


「それで、次は何をやるんですか?」

 その妹さんが、早くも次のプログラムについて問いただした。おいおい、ちょっと気が早くないか? もう少し休んでからでも良いんじゃないか? いや、もともと彼女のための特訓だ。俺が文句を言う権利はない。

「秋葉ちゃんやる気だね~」

「勿論、やるからには本気です。ねぇ、お兄。これのプログラムを組んだのってお兄と高崎さんだよね」

「うん、そうだけどそれが?」

「……いや、ごめん何でもない。それより、次は……」

「まぁまぁ、そう急かすな」

 光が答える。

「次は、ここの遊具を使って……と思ったが、この気候じゃ皆倒れちまうな」

 光の言った通り、今は朝方の時間帯であるにも関わらず、太陽がすこぶる絶好調で非常に暑い。このままこの炎天下で運動しようものなら、こまめに休憩をとる前提だが、それでも熱中症は免れないだろう。

「どうする。涼しくなるまで待つわけにもいかねぇし。何かあるか」

「あー、ならもうやめに」

「やめにする以外でな」

 代替案に困っている様子なので半分冗談で提案してみたら、即却下された。うん予想は出来てたけどね?

「冗談だよ。屋内で出来たら一番良いよな。俺としても嬉しい」

「僕も同感です! こんな暑さじゃやってられませんよ~。移動しましょ~!」

「室内か~……」

 秋人が何か心当たりがあるような素振りを見せる。それに気付いた妹さんが話し掛けた。

「何か思い付いたの?」

「あ~うん。皆が良かったらなんだけど……」

 どうやら、良い案があるらしい。前置きをして話を始めた。


「最近、この近くにでっかいスポーツ施設が出来たのは知ってる?」

 でっかいスポーツ施設……? そんな話は聞いたことがない。しかし、他の面子は知っているようだ。

「あ~! 屋内で色んなスポーツが出来るっていうあそこでしょ?」

「確か、アミューズメントも充実してるっていう。小春も行きたがってたよね」

「うん! 確かにあそこなら、気持ち良く運動出来そうだよね!」

「そうそう! だから、どうかな?」

 なるほど、それは良いことを聞いた。俺は賛成だ。でも、大事なのは俺の意見ではないだろう。

「もち、秋葉の意見優先だけどさ! それでも良い?」

「私なら大丈夫。熱中症で倒れるなんて御免だし。だけど、皆さんは如何ですか」

「秋葉ちゃんが良いなら私もそれで平気だよ!」

 小春に続いて、皆「私も大丈夫」「僕もですよ!」「俺もー」「……私も」と賛同の返事をしていく。俺も「異議なし」と続いた。

「よし、なら今からそこに行くか。で、どこら辺にあるんだ」

「こっちこっち! 皆ついてきてー!」


 スポーツ施設か。どんな場所なんだろう。そう考えながら、俺は秋人を目印に歩いていった。

 ここでふと、自身の心持ちに違和感を抱いた。運動は嫌いなはずなのに、体育の授業時に比べ、無理矢理大勢の前に晒されて笑い者にされているような、そんな不快感が少ない。というか、ないに等しい。これもわりと、身も蓋もない言い方をしてしまえば強制参加に近いはずだ。けれど明らかに、授業とは〝違う〟……。

 これは、何だ?

「要さーん?」

「あ……悪い。ぼーっとしてた」

 冬樹からの呼び掛けで、漸く我に返った。心に微かなしこりを残したまま、俺は再び歩き出した。

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