16 バイトと仲間と
例の遊園地での仕事から一夜が明けた今日、俺は現在、バイトに精を出している。
そう、俺はこう見えてバイトをやっている。人に言うとかなり意外そうな顔をされるし、俺自身も意外だと思う。こんな根暗で無愛想な人間がバイト、それも、コンビニといったバキバキの接客業をやっているなんて誰も思わないだろう。
理由はというと、単純に、母さんだけでは生計が立てられないから。俺は今の今まで、母さんに支えられてきている。なら今度は俺の番だ、これが少しでも母さんの支えになればと思い立ち、このバイトを始めたのだ。母さんにこれ以上負担をかけさせないために、俺は今日もバイトを頑張っている。
始めた当初は大変だった。慣れない接客や棚出し、さらには客のクレーム対応と、何度心が折れかけたことか。それでも努力を積み重ね、今はもう、苦手だった接客も慣れた。棚出しもテキパキと出来るようになった。店長や先輩たちの献身的なサポートのおかげだ。
しかし、世の中にはどう足掻いてもどうにもならないことがある。クレーム対応だけは、いつまで経っても苦手なままだ。より正確に言うと〝頭のおかしい〟クレームへの対応である。個人的に、クレームというものは大きく二種類に分けられると思っている。一つは、至極真っ当であるもの。明らかにこちら側の過失である場合に当てはまる。もう一つは、「お前脳味噌詰まってんのか?」と言いたくなる程の、理不尽極まりないもの。これが俺たち店側の悩みの種だ。
恐らく、これに関しては一生慣れることはないのだろう。事実、先輩も店長も未だに得意にはなれていないと言っていた。割り切っていくしかない、と頭ではわかっているのだが、そういうクレームを目の当たりにすると、ついバイトを辞めたくなってしまう。
現に今、現在進行系で理不尽クレームを聞かされている。相手は、そこそこ高齢の男性の客。内容は「弁当を買ったら箸がついてなかった!」といったもの。一見普通だが、実はこの客、直前に俺がレジ応対しており、俺は確かに「お箸はお付けしますか?」と聞いた。だが、確かに「あーいいいい」と言った。「お箸はお付けしま」くらいで食い気味に言っていた。それも、誰かと通話をしながら。だというのに、本当に何を言っているのだろうこのハゲジジイは。そもそも、通話をしながらレジに行くという行為自体がおかしいだろ。
滲む苛立ちを必死に抑えつつ、営業スマイルのまま対応を続ける。
「……確認はちゃんと致しましたが、お客様がいいと」
「あぁ!? 声小さくて何言ってんのかわかんねぇよ!!」
あーどうしよう、マジで殴りたい。『理不尽なクレーマーに遭遇した際は殴っても良いものとする』って法律改正されねぇかな。
そんな現実逃避をしている暇はない。さっさと目の前にある人の形をした喋るゴミを処理しなければ。
そう思っていたら、店長が割って入ってきた。
「大変申し訳ございません。今すぐお付けします」
「おう、早くしろ!」
さすが、店長はクレーマー対応が上手い。けれど……こちらが謝るというのが、どうしても腑に落ちない。
クレーマー野郎が無事帰ったあと、俺は店長にお礼を告げた。
「すみません、ありがとうございます」
「いや、良いんだよ。でもね一宮君、クレーム対応はちゃんと出来るようになろうね。ゆっくりで良いからさ」
「はい……」
社会とはこういうものなのだろう。こっちが悪くなくても、謝らなければいけないときがある。それが暗黙の了解なのだ。……おかしいよな、そんなの。理にかなってない。そう思ってしまう俺は、働くのに向いてないんだろうな。
「……まぁ、君の気持ちもわかるよ」
「……いつになったら、店長たちみたいに割り切れるようになれるんですかね」
「うーん……申し訳ないけど、その質問には答えられないな。僕は、いつの間にかそうなってたから」
「そう、ですか」
「さっ、仕事中だから、話は終わり! 切り替えていこー!」
「……はい!」
それでも俺は、なんだかんだここでのバイトを続けている。恐らくこの店長じゃなかったらすぐに辞めていただろう。そのくらい俺は、店長の明るい人柄に救われている。将来は、こういう人が一人でもいる職場で働きたいものだ。
✴
「それじゃあ一宮君、お疲れ様。またね」
「はい。お疲れ様です」
今日のシフトが終わった。何だか今日は、一段と疲れた気がする。十中八九あのクレーマーのせいだ。
……腹が減った。確かリュックにサンドイッチを入れたはずだ。それを……あれ? ない? 嘘だろ?
何度も何度もリュックの中を探してみるが、やはりない。クソ、家に忘れた……。
幸い財布はあったので、今日は外で食うことにした。でも、何を食おうか……。まぁ、近くのコンビニで適当に買うとするか。俺のバイト先はもうだいぶ離れてしまったし。戻るのもめんどいし。
そう考えていたところ、突如スマホが揺れ始めた。そうか、バイブはオンにしてたっけ。てかこれ電話だよな? 誰だ?
スマホを手に取り、画面を見る。冬樹の名前が書かれていた。何の用かと思いつつ、通話に応じる。
「もしもし、冬樹?」
『要さーん! バイト終わりました?』
「終わったよ。今昼食いに行くところ」
今日も今日とて、俺は冬樹と遊ぶ約束をしている。しかし、そうか。こいつはこんな連絡を寄越すくらい、俺と遊びたくて堪らないのか。そういうことだよな~きっと。うんうん。
で、要件は。
『今、駅前のショッピングモールにいるんで、お昼はそこで食べましょう! 来てください!』
「う……ん?」
思わず耳を疑った。ショッピングモールだって……?
「え、お前今家にいるんじゃ……」
『違いますけど? 何でです?』
「何でって、午後からゲームで遊ぶし」
『誰もゲームでなんて言ってないじゃないですか~。今日は外ですよ!』
「そうだったの!? マジかよ……」
こいつから切り出す〝遊ぶ〟の選択肢は昔からほぼゲーム一択だし、今回もそうなのだろうと勝手に解釈していた。まさか、ショッピングモールだとは、思いもよらなかったわ。てかそういう大事なことは早く言えよ。
「わかったわかった。で、どこで待ち合わせる?」
『う~ん、じゃあ、ショッピングモール内にあるゲームショップ前で!』
「了解。今行く」
『はーい! 待ってます!』
会話に一区切りついたようなので、冬樹が通話を切るのを待つ。が、一向に切ってこない。
「……え? 切らねぇの?」
『そっちこそ、切らないんですか?』
「いや、何か、別に……」
かく言う俺も切りかねていて、我ながら、何が〝別に〟なのかわからない。このおかしすぎる状況に、俺たちは思わず笑いあった。
こいつと通話を終えようとすると、大体こうなる。本当、おかしな話だよ。
✴
結局、俺たちは互いに通話を切れないまま合流した。
「要さん! こっちです!」
「おーう」
電話越しの冬樹の声とリアルの冬樹の声が重なって、変な感じだ。もうさすがに切るわ。
「さてさて、どこで食べましょうかね~」
「なるべく空いてるところがいいけど……」
「僕、今ファストフードの気分です!」
「じゃあ、あそこにあるな。少し混んでるけど、大丈夫か?」
「全然、大丈夫ですよ~! あそこにしましょうか!」
そういえば、こうして二人だけで出掛けるのって、かなり久しぶりな気がする。冬樹は少し前まで受験生真っ只中だったし、お互い忙しかったからな。そうじゃなくても、基本自分のお家大好きの引きこもりだし。今日は楽しもう。
「何食べます?」
「うーん……ベーコンレタスバーガーセットで。ポテトとドリンクはM。ドリンクはスプライト。冬樹は?」
「僕も同じので! あ、ドリンクはコーラにしたいです」
「そうか。よし、行こう」
注文も決まったところで、俺たちはレジへ並ぶ。昼時なため、やはり混んでいて、レジの人も大変そうだった。
と、そこであくせく働いている店員の一人に目が引き寄せられた。レジ応対もポテト作りも両方やっていて、かなり大変そうに見えるが、常に素敵な笑顔を浮かべている。
バイトの身としては、ああいう店員に憧れる。俺もあの店員さんみたいになれるかな。なれる気はしないけど。
……ん? てかあの顔、どこかで……。
「次の方、どうぞ~」
「あ、はい!」
呼ばれて、俺たちはレジヘと向かった。
「ご注文は?」
「ベーコンレタスバーガーセットを……ん? あれ?」
目の前にいるレジの人を見て、思わず目を疑う。やけに既視感がすると思ったら……その店員は、昨日一緒に遊園地へ行ったばかりの人物だった。
「侑さん!?」
「あ、ようやく気付いた~?」
「侑さん、昨日ぶりですね~!」
「やっほ~! ここで会えて嬉しいけど、雑談はあとにして、まずは注文!」
「そ、そうですよね。えっと……」
聞きたいことは山程あるが、後ろいっぱい並んでるし、さっさと注文を済ませた。
✴
注文したものを二人でしばらく食していると、今日のシフトを終えたらしき侑さんが、どこからか椅子を持ってきて俺らの近くに座った。
「お待たせ~」
「どうも」
「いや~、二人とも、びっくりしたでしょ? たまたま寄った飲食店に顔見知りがいるんだから」
「そりゃ、まぁ……」
それはもう、びっくりしたなんてもんじゃない。まさか、ここで働いているなんて。俺もよく来るところだし、世間は狭いな。
「ほんとにびっくりしましたよ! 侑さんって、ここで働いてたんですね!」
「うん! まぁバイトだけどね」
「僕もバイトなんで、お互い様ですよ! 最近始めたばかりですけど」
冬樹も、ファミレスでバイトをしている。高校進学を期に、心機一転始めたらしい。幸い、バイト先は良い人たちばかりで充実しているっぽい。
つまり、この場にいる三人全員がバイトをしているってことだ。しかも接客業。そんなわけだからもちろん、それ関連の話に花が咲く。
「いや~、それにしても接客って大変じゃないですか?」
「ほんとそれ! 態度悪い人にも丁寧に接さなきゃダメでしょ? それがしんどいんだよね~」
「あぁもうマジでわかります……」
侑さんの発言に首を何度も縦に振る。先程経験したばかりのことだ。
「ああいう人たちって、本当何がしたいんでしょうね?」
「偉ぶりたいだけか、ただ知能指数が猿並みなだけかのどっちかだろうね~」
侑さんは言ったあと「おっと、今のは口が悪かったかな。反省反省」と呟いた。確かに、侑さんらしからぬ口調だとは思ったし、目を丸くしなかったと言えば嘘になるが、案外これが素の侑さんなのかもしれないとも思った。それに、言ってることは全面的に同意だ。
「俺のバイト先の店長や先輩は割り切ってる風でしたけど、どうすればああいう風になれるんですかね……」
「それ気になりますよね! 侑さんは、何かわかります?」
「こればかりは、何とも言えないなぁ~……」
侑さんはワンテンポ置いたあと「ただ」と続けた。
「楽しくて心強い仲間たちがいるから、なんとなく、大丈夫かなって思えてくるんだよね」
「……!」
それは俺も、思っていたことだ。
つらいことがあっても、頼れる仲間がいれば切り替えることが出来るし、安心出来る。バイト以外でも言えることだろう。同時に、店長が言っていた「いつの間にかそうなってた」という言葉の意味もわかった気がした。
「確かに、そうですね! 言われてみれば、僕もそんな感じします!」
「はい、俺も」
「だよねだよね~! ……あ」
「ん?」
侑さんが店内に設置されている時計を一瞥する。もう、随分と時間が経っていた。
「ごめんごめん、長話に付き合ってもらっちゃって」
「いえいえ、とても有益な話を聞けました」
「これからも、お互い頑張りましょー!」
「うん! それじゃあ、まったね~!」
侑さんが帰ったあと、俺たちは片付けをしながら話していた。
「いや~、思わぬところで仲間を見つけたって感じでしたね~」
「本当だな。まさかあんな身近に頑張ってる人がいるなんて」
「あ、そういえば小春ちゃんもやってるみたいなんですよ! たぶん接客業、になるんですかね?」
「へぇマジで? 明日にでも話聞いてみようかな」
「聞いてみましょう! どんな話が聞けますかね~?」
「……俺たちは、一人じゃないってことだな」
「ふふ、そうですね」
✴
俺たちはその後、ショッピングモールを周った。
とは言っても、ほとんどはゲームやアニメの専門店に入り浸っていた。互いに良い収穫が出来たし、来てよかった。
そして帰り道、不意に冬樹から聞かれた。
「要さんって、侑さんのことどう思ってます?」
「……えっ? ど、どうって……」
……何か、どう答えても角が立ちそうな質問だなおい。ここはまぁ、無難に答えておくか。
「まず、明るい人だよな。いつも笑顔で」
「それはわかります! ああいう感じになりたいですよね!」
「俺からすりゃお前もそんな感じだよ。あとは、その……やわ、柔らかそう、っていうか……」
「へぇ……最っ低ですね」
「ばっ、ふ、雰囲気のことだよ雰囲気! 変な意味じゃねぇっつーの!」
「ソウデスカ」
「やめろ何だその疑いの眼差しは」
いやそもそも、何でこいつはこんなこと聞いてきたんだ? まずそこからだろ。
「つーか、それがどうしたんだよ? 何でそんなこと」
「うーん、正直僕、侑さんのこと誤解してたんですよね」
「誤解?」
「悪く言っちゃうと、最初はちょっと不真面目な人なのかなって思ってて」
「あぁ……」
俺も、光との掛け合いも相まって、初対面のときはそんなイメージがあった。
でも──。
「けれど、今日しっかりわかりました。侑さんは、とても真面目で真摯な人なんだって」
「──うん。そうか」
俺は今、真剣にバイトに取り組んでいる彼女を、心の底から応援したいと思っている。その前に、俺が頑張らないといけないけどな。
「侑さんを見習って、僕たちも頑張らなきゃですね!」
冬樹も同じ気持ちなようだ。
「だな。あ、そういやお前も、今日シフトあるよな」
「そうなんですよね、あー面倒くさい」
「お前数秒前に言ったこともう忘れてる?」
「忘れてはないですけど」
「気持ちはわかるけどな」
──頑張ろう。頑張るんだ。どれだけ面倒でも、やりたくなくても。きっと出来るさ。俺らは一人じゃない。仲間がいるんだから。
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