1.かくして天使は少年と少女に最悪な出会いをもたらす。

(-_-メ)和) ナガサ、お前はフランケンシュタインなのかもしれないな。

 春。


 五月も終わりかけの朝。


 まだ誰もいない2年4組の教室で、本を開く。


『創造主よ、土塊つちくれからわたしを人のかたちにつくってくれと頼んだことがあったか?』


 頭にネジの刺さったツギハギだらけの巨体として知られる怪物モンスター小説『フランケンシュタイン』(※1)の書き出しは『失楽園』第十巻の引用から始まる。


 有名な勘違いだが、敢えて指摘させてもらうと『フランケンシュタイン』は怪物を創り出した博士の名前である。


 人造人間として生み出されておきながら、愛情も、真っ当な人生も、生きる権利も与えられなかった憐れな怪物に名前はない。


 そして、最期は。

 ……話はぜんぶ知っている。

 もう、何度も読み返しているからだ。


 でも。


 細かいエピソードまで覚えてしまったのに、こうしてまた読み出してしまう。


 ただの感傷だ。

 少なくとも、俺には名前がある。


 相楽そうらく秀和ひでかず


 そして、日本の愛知県立栗武くりむ高校二年生として、真っ当な人生は歩めている。


 だが。

 その姿かたちは。


 自分の顔の鼻から下をすっぽりと覆っている、真っ黒なマウスガードに触れる。


 愛情は。


 家族はいる。まだいる。俺を嫌ってはいない。はず。

 だから俺は、怪物ではない。まだ。

 でも、その時が来たら―――


「カーズくん」


 小説の一ページ目で止まっていた視界に、ショートボブの丸顔と、整った位置に配されたこれもまたまんまるな瞳が飛び込んで来た。


「わー」

「とってもリアクションが薄いね。ひょっとして気付いてた?」

「気付かん方がおかしい。早朝ドッキリなら、そのカバンに付けた大量の鈴を取ってから仕掛けろ」

「はっ!? そうだったぁ……でも仕方ないんだ。すぐ道に迷っちゃうわたしにみんなが付けてくれたやつだから、外すの申し訳なくて」

「カタログスペックが3歳児か猫くらいに思われてるな。もう教室の椅子もプープー鳴るやつに変えてもらったらどうだ、

「ん~、授業の妨げになっちゃいそうだからそれはお断りしようかなぁ」

「間違えたわ、カタログスペック聖女だわお前」


 いや。


 と、俺はフェイスガードから唯一出ている目を細めて言ってやる。


「天使、だったな」

「うぃぃ……カズくんはそれ禁止ぃ」


 永作ながさく瑠璃るりは恥ずかしいのか、妙な鳴き声を発する。


 通称、『栗武グリ高の天使』―――うむ、とてつもなく恥ずかしいな。


 確かに小柄で愛嬌のある顔と可愛らしい声をしているし、先ほどのやり取りでも分かるようにとても純粋で心優しい性格ゆえに、異名に負けているわけでもないのだが。


 命名したやつに物申す権利くらいはあると思う。


 と、思っていたら。


「相楽秀和ゥ!!」


 来た。


 朝っぱらから俺の名を叫びながら、背の高い黒髪セミロングの女子がやってきた。


 二俣ふたまた吏依奈りいな


 18歳だが、いろいろあったらしく俺たちと同学年。


 同じクラスになったのは今年からなので話したことはなかったが、永作瑠璃とは仲がよく常に一緒だというのは知っていた。


「この男、私の愛するを連れていくなんて良い度胸しているじゃない! 裁かれる覚悟はできてる!?」


 これは知らなかった。


「別にお前の彼女を連れていきやしないさ。この通りちゃんと帰国しただろ」

「きゃ……キャノジョなんて、フヒヒ……しょんな関係じゃにゃいわよぇ」

「照れ過ぎて口の中ネチャネチャになっとるがや」


 ロックシンガーみたいな噛み方から、最終的に発音困難な語尾へと行きついた百合女子に俺は言う。


「吏依奈。心配かけてごめんねってうわぁ!?」

「くるりぃぃぃぃ!!!!」

「お前の情緒、遊園地のフリーフォールかて」


 先ほどまで怒髪天をいていた表情が泣き顔に変わり、ナガサにひしと抱き着いた。


「良かったわぁ無事でぇ。ソウルにいたのにプサンで迷子になったって聞いたときはどうなってるのかと思ったけどぉ」

「ほんとにごめんね」


 一昨日から昨日にかけて起こった韓国修学旅行での“迷子事件”。その元凶は二俣にむぎゅっと抱かれながら、言い訳もせず平謝りだ。


 俺はそんな迷子を偶然ピックアップしたのだが、結局帰国の便に間に合わず、そのままプサン港から船で日本へ二人きりで帰ってきたのだった。


 今日は旅行明けの休みだったが、こうして登校し、教師陣からのお説教を待つ身である。


 で、こちらの二俣吏依奈はなんか勝手に来た。


「ああ、くるりぃ、昨日はずっと寂しかったわ。もう一日だって離れないわよ」

「わたしもだよぉ。えへへ、また今日から一緒だねぇ」

「……」


 ぎゅううううう。


「もう私はくるり無しでは生きられない身体になってしまったの。あの桜舞う入学式の日からね」

「う、うん、わたしもあの日から吏依奈にはいっぱい助けてもらってる、けど」

「……」


 なでなで。


「ああ~くるり成分が全身にスーッと効いて寿命伸びるわガン細胞にも効くようになるわ~」

「あ、あの、吏依奈、なんか手つきが変じゃない、かなぁ??」

「……」


 さわさわ。すりすり。


「くるりくるりくるりくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくるくる」

「ちょ……吏依奈……こわ……」

「お時間でーす」

「きゃあああああ!!!!」


 俺は二俣を後ろから掴んでそのまま後方に投げ飛ばした。


「なにするのよ相楽秀和!」

「ヤバいと思ったので性欲を引き剥がした」

ってなに!? 私のこと!? 人を性欲の塊みたいに言うのやめてくれるかしら!?」

「でも実際ヤバかったし」

「くるりと私は一番の親友よ。それ以上ではないわ。そんな、下心なんて……ウヘッ……ないわよ」

「漏れとるぞ」


 床にべちゃりとカエルのように這いつくばったまま抗議を続ける二俣を無視し、俺はさきほどからセクハラ被害を受けていた少女にこう言う。


「ナガサ、お前はフランケンシュタインなのかもしれないな」

「え? なにそれどういうこと?」

「だってこんな親友を名乗る哀しき怪物モンスターを生み出してしまったんだぞ」

「怪物呼ばわりはやめたげてほしいなぁ。あと親友なのはほんとだよ。……ほんと、だよ?」

「ブレとるやないか」


【続く】



※1 『フランケンシュタイン』シェリー著 小林章夫訳 (光文社古典新訳文庫) より

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