第6話 「お前らじゃねえのかよ」

 開店初日。


 かつて剣聖と崇められたガラドさんの人望は凄まじく、まだ午前だというのに、店の盛況ぶりには目を見張るものがあった。僕は【マナ無し】として国に指名手配されている身だから、あくまで裏方として厨房で働くことになった。……のだが、なぜかヘンリまでこちら側である。


「ヘンリ、お前は接客に回れよ。看板娘みたいになれるぜ、可愛いんだし」

「え?」


 呆然とこちらを見つめる彼女。あれ、僕、結構恥ずかしいこと言ったんじゃ……。


「い、いやっ、なんつーか、その……!」

「……うん、ありがとね。でも接客は苦手、かな」

「そ、そっか」


 予想に反して暗い顔をする彼女。なんだよ、僕だけ照れ損じゃないか。お前もちょっとは照れろ。


「お、おい! 【耳無し】だ! 【耳無し】がいるぞお!」 


 それは、酔いがまわって厨房に入ってしまったらしいドワーフの声だった。ばれた? 咄嗟に身を屈めたけれど、僕は厨房の入り口とは対角線上の一角に立っていたから、中央に吊られている巨大な換気扇に隠れて顔までは見えないはずだ。それに今、【耳無し】って。


溝鼠どぶねずみが。食いっぱぐれているんだか何だかしらねえが、ここがガラドさんの店だって分かってんのかよ!」


 そう言って男が摘まみ上げたのは、僕ではなくヘンリだった。ひどく怯える彼女。その顔は、僕が彼女を初めて見たときの、あの臆病に襲われた顔だった。


「ご、ごめっ……なさいっ! あたし、あたし……!」


 赤髪を掴まれたまま無抵抗に泣きじゃくる彼女。なんで。なんで彼女が泣いているんだ。


 遅れて厨房に走ってきた、青ざめた顔をしたガラドさんは、隠れていた僕を見て、それから、男に乱暴に掴まれている彼女を見て、「お客様」と、あくまで穏やかに尋ねた。


「おうガラドさん。【耳無し】だ。害虫が紛れていやがったんでな。こいつを摘まみ出してやってくれ」

「そう……でしたか、いえ、大変申し訳ありません。戸締りが甘かったようで」


 は? 何言ってんだよ、ガラドさん。意味わかんねえよ。


 ガラドさんはあくまでも笑顔を張り付けながらゆっくりと彼女に近づき、そして、――――パチン、と。彼女の頬に鈍い音を響かせた。平手打ちを受けたはずの彼女は、ガラドさんに反撃するわけでも、睨み付けるわけでもなく、ただその頬を赤く腫らして泣くことしかしない。


「外に出しておきます」


 彼女の手を取り、男に背を向けたガラドさんの頬に、一筋の涙が流れた。泣いている。彼女に暴力を振るったはずのガラドさんが、泣いている。


 ……ああ、そうか。【耳無し】か。【マナ無し】ではなく、【耳無し】。確かに、大抵の種族には先が尖った立派な耳があるよな。それが無いのは人族くらいのもんだ。


 でも、そんなことで? いや、差別というのは元来、そういうものなんだっけ。性別とか肌の色とか、たぶんそこに決定的な意味なんてなくて、ただお前らが弱者を作りたいってだけなんだよな。


 ガラドさんは【耳無し】の彼女を保護しただけだ。


 彼女は【マナ無し】の僕を保護しただけだ。


 なのに、どうして彼らが泣かなきゃならない? 


 あたしは面倒くさい人間だ、なんて彼女は言っていたけれど、彼女をそんな風にしたのは。


 ――――彼女に臆病の苗木を植え付けたのは。


「…………じゃねえのかよ」

「晴太、やめろっ!」


 ガラドさんの声。聞こえねえよ。何も聞こえねえ。コイツに一発くれてやるまでは。


「だ、誰だ貴様、【耳無し】、いや【マナ無し】か⁉」

「お前らだろうが! 全部お前らのせいだろうがよッ!」


 ――――――――。


 ――――――――。


 ――――――――そこから先は覚えていない。気付いたときには、僕は彼女に手をひかれて路地裏を走っていた。あの日と同じように息を切らして、壺や酒樽にぶつかりながら。違うのは、死体が転がっていなかったことと、逆方向に走っていたことだ。まるで、店から逃げるみたいに。


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