第2話 「人類、半分死んでんじゃねえかああ!」
扉の先は酒場、らしかった。今は閉店中なのか客の姿は見えないし、店内は薄暗いが、二十畳ほどの空間にカウンターやら酒瓶やらが並んでいる。
「無事でよかった。俺は獣人のガラド。長い付き合いになる、と良いんだが……とにかくよろしく頼むよ」
僕と彼女をこの店へ招いた彼は、開口一番にこう告げた。握手を求める紳士気質の彼に対して、僕は確実に失礼にあたる秒数で、彼を値踏みするようにしげしげと見た。見てしまった。だって、全身がびっしりと体毛に覆われていたのだ。……いや、決して人の身体的特徴に対して差別的な視線を送ったのではない。
びっしりと、というのも本当にびっしりの中でもかくやというようなびっしり加減で、顔や腕、両足に至るまで体中に狼のような動物的体毛が備わっていたのだ。
獣人、と言ったのか、この人は。そうか、それでは、やはり。
ここは異世界なのか。
そう結論付けた途端、法定速度を遥かに超えたトラックが突撃してくる映像がぱやぱやーという感じで脳裏に浮かんだ。
そうだ、記憶が曖昧だったが、僕はトラックに轢かれて死んだのだった。
死んだ、という事実はもちろんショッキングなもので、形容しがたい重たいものに圧迫される感覚はあったが、しかしまあ、前世では嫌な思い出ばかりだったから、案外胸にストンと落ちる感覚もあった。
僕の十五年の人生を、既に前世の二文字で処理してしまうくらいには。
「
「お、驚かないの……?」
「え?」
震える声で問いかけたのは、赤髪の彼女。ひどく警戒した様子で僕を見ている。
「だ、だって、あなたも転生者なんでしょう? ガラドの姿を見た人は、みんな驚いて逃げ出したのに。それか、恐い目をして、チートがどうとか、ハーレムがどうとか言って……」
ああ、そういう……。
「確かに僕も、そういう憧憬がなかったわけじゃないけれど、でも」
あんな景色を見てしまった以上は。やれチートや、ハーレムだなどと呑気に言っていられない。
「あの光景は、一体」
「ああ、そうだね、君にも語らなければならない」
伏し目がちに言った彼は、それから「落ち着いて聞いてほしい、そして間違っても、疑心暗鬼になってここから出ていってはいけない」なんて大仰な口上を述べてから、僕に告げた。
この世界の、大仰な真実を。
「転生者、と名乗る人族の方が十日前から出現していてね。それも同時多発的に、さ。その数があまりに多いってんで、今じゃ国中で転生者狩り、という騒ぎになった。いや、これはもうそんな次元の話じゃない。世界的大粛清、だよ」
「……………………馬鹿な」
「信じるかどうかは君次第さ。だが、君をここから出すわけにはいかないな。さもないと、君が次に出会うのは獣人ではなく本物のケダモノということになる」
違和感がなかったわけではない。路上に死体が転がっているなんて有事下であるとしか考えようがないが、どういうわけか、倒れている人はみな人間、すなわち人族だった。前世でコツコツと培ってきた異世界常識をどこまでこの世界に当てはめてよいのかは不明だが、僕のよく知る異世界は、ガラドさん然り、様々な種族が共存しているものだ。獣人、エルフ、ドワーフ、数えだしたらキリがない。
様々な種族が共存しているのだから、戦時中においては、むしろ様々な種族が共滅している方が道理にかなっているはずなのだ。しかし、あの現場にはそれがなかった。
なにも、倒れていたのは日本人だけじゃない。年齢も性別も肌の色さえもバラバラで、しかし、彼らは一括りに人間だった。人間で、人族で、異世界転生者で、異端者だった。
故に、大量虐殺。
「……現在の犠牲者は何人ですか」
規模感が不明すぎる。元来、異世界転生とは一人で孤独に行うものではないのか。せいぜいクラス転生くらいに抑えなければ収集がつかないというものだ。
僕の問いに、ガラドさんはその曇らせていた目をより一層曇らせる。そんな彼を
「四十五憶人です」
「…………はい?」
「よ、よよよん」
「…………」
「よんじゅ、ごおく、にん……」
「…………」
「で、ですっ!」
「…………」
「あ、あのう」
「…………なんというか、僕達はまだ自己紹介も済ませていない間柄だから、こんな風に思われても迷惑かもしれないけれど、路地裏から連れ出してくれたあなたのことを、僕は命の恩人のように感じている。そんな人に不撓不屈の精神で嘘をつかれるというシチュエーションには心がすさんでしまうのだが、しかし僕は仮にも異世界転生者だから、難聴系主人公として覚醒してしまっている可能性があるから、もう一度だけ、聞き直す許可が欲しい。現在の犠牲者は何人だろうか」
「だだだからっ、四十五億人、っですうう!」
すんごい怒鳴られた。難聴系とて限度があると言わんばかりに。
しかしこのまま引き下がるわけにもいかない。嫌われたくはないけれど、うーん、だってこのままじゃあ、文字通り世界が滅んでるし。チートもハーレムもどこへ行ったのだ。なにがどうなったら路地裏で戦争することになるのだ。
仕方がないのでいっそのこと憎まれ口を叩いてやることにした。
「おいおいお嬢ちゃん、キミが臆病なのは分かったけれど、なにもドジっ子属性まで披露する必要はない。キミは数字を間違えるどころか、桁を間違えてるぜ。それも八桁だ」
「ど、どなたのモノマネをしているのかわかりかねますが、間違えていません」
力強く断言する彼女。完全に僕が悪役だった。
「じゃ、じゃあ、マジで」
マジで。聞き間違いでも数え間違いでもなくマジのマジの大マジで。
「人類、半分死んでんじゃねえかあああああ!」
――――こうして僕の異世界転生物語が幕を開けた。チートもハーレムもスローライフもないし、人類は思いっきり粛清されているし、もう無茶苦茶である。しかし真に恐ろしく、真に無茶苦茶なアイツらが登場するのは、ここから半年後のことであった。
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