第33話「交錯」
「私は……」
「ダメよ七瀬。道を踏み外しちゃ」
突然廊下の角から恵美が姿を現した。まるで真理亜が来るのを待ち伏せていたように、彼女の前に立ちはだかる。
「恵美?」
「あら、あんた1組の……深田恵美だっけ? 何の用? そこの負け犬を庇いに来たの?」
真理亜は七瀬達に容赦なく吐き捨てる。もはや七瀬の友人の前でも、本性を隠す気は更々ないようだ。今は星も彼女に対して恋心を抱いているため、半ば目を瞑っている。
「……そうよ」
ガシッ
すると、今度は和仁が姿を現し、星に飛びかかって腕を拘束した。彼の腕を背中に回して強く押さえ込む。
「今だ恵美!」
ガシッ
対して恵美は真理亜に飛びかかる。左手で彼女の腕を背中に回して拘束し、右手で口を塞ぐ。あまりのスピードに真理亜は反応できなかった。
「んんっ!?」
「簡単なことよ。口で言わなきゃ願いは叶わないんだから、押さえられたらあんたは何もできないわ」
圧倒的な力で真理亜をねじ伏せる恵美。相手にKANAEの能力が渡った時点で厄介だったが、それを見事に無効化してみせた。
和仁が星を押さえたのは、襲われた真理亜を助けようとするのを防ぐためだろう。いくら運動神経が抜群の星でも、運動部に所属する和仁の腕力には敵わなかった。
「七瀬早く! 一瞬だけだからね!」
恵美の迫真の叫び声で、七瀬は彼女達の意図を察した。先程の迷いを瞬時に捨て去りら覚悟を決めて真理亜に歩み寄った。恵美は真理亜の口を押さえていた右手を僅かに離す。
その瞬間、七瀬は両手で真理亜の頬を掴み寄せ、その唇に自分の唇を重ねる。
「……っはぁ!」
七瀬はすぐさま真理亜から離れ、自分の体を確認する。今度は右手首に数字の2が刻まれていた。再びキスしたことにより、KANAEの能力は七瀬の体に戻った。
「七瀬!」
「うん! 星君の真理亜への恋心が消えますように……」
七瀬はすぐさま手を合わせて願いを唱えた。窓には北の空に輝く一筋の流れ星が見える。七瀬の右手首の数字が、2から1に変わる。そして、和仁が締め上げていた星がぐったりと脱力し、気を失う。
「……っあ、あれ? 僕は……何を……」
星は数秒程で目を覚まし、困惑しながら辺りを見渡す。どうやら真理亜に洗脳されていた頃の記憶は残っておらず、彼女への恋心は完全に消え失せていた。以前の姿を取り戻すことに成功したのだ。
「あぁ……そんなぁ……何てことするのよ! 私にこんなことして、ただで済むと思わないでよね!」
KANAEの能力と星からの思いを奪われ、本性むき出しで叫ぶ真理亜。
「それはこっちの台詞よ。私の親友を酷い目に遭わせたこと、マジで許さないから」
恵美が放った『親友』という言葉。その言葉は七瀬への視線と共に向けられていた。七瀬が真理亜から散々嫌がらせを受けていた様子を、恵美は苛立ちを抑えながら眺めてきた。
しかし、能力を奪ってまで星を手に入れるという度が過ぎた勢いに、とうとう我慢が限界に達したようだ。
「恵美……」
「今度七瀬と宮原君に何かしたら、あんたの本性全校生徒にバラすわよ」
「ひっ……」
恵美の人脈網を駆使すれば、真理亜が今まで男子生徒を思い通りに操っていたことや、女史生徒に悪態をついていたことが白日の元に晒される。真実を知らない男子生徒からは幻滅されるだろう。
「た、助けてカズ君! 真理亜いじめられてる!」
「あ、悪ぃ。お前の本性は最初から知ってるから。俺の演技力、ナメんめんなよ」
真理亜は自分の愛くるしさに惚れている和仁に助けを求めた。しかし、彼は今まで惚れたふりをしていただけのようだ。彼女を油断させるためであろうか。
「真理亜ちゃんだけに、欲深さもマリアナ海溝並みってか(笑)」
和仁の寒いダジャレを華麗にスルーし、恵美は更にどす黒い瞳で真理亜を睨み付ける。
「あんたの素顔知ったら、みんなどう思うでしょうね」
「やめて! それだけはやめて! 悪かったから! もう男に
今までの高飛車な態度とは打って変わり、床に膝をついて懇願する真理亜。恵美の脅しの前に完全に弱腰となる。
「星君!」
「え?」
七瀬は状況が読めない星の手を引き、走り出した。もう二度と真理亜に近付かれるのは御免だ。真理亜が再び抵抗しないうちに、七瀬は星を安全そうな場所へと連れていった。
* * * * * * *
私と星君は昇降口にやって来た。ほとんどの生徒は既に下校している。学校に残っているのは、来る体育大会に向けて最後の追い上げ特訓を行っている熱心な者達だ。
しかし、今ここにいるのは私達二人だけ。
「ハァ……ハァ……七ちゃんどうしたの? 急に走り出して……」
星君は洗脳が解けた時から周りの状況に付いていけず、周りの友人の切迫した表情を見て戸惑うばかりだ。
思いを伝えるなら今しかないと、神様がふと告げたような気がした。視界の隅で右手首に刻まれた数字の1がちらつく。
「……」
もういい加減認めるしかない。私は星君のことを一人の異性として愛している。今も胸の中でうるさく高鳴る鼓動が証拠だ。彼の中から真理亜への恋心が消えた今、千載一遇のチャンスである。
「七ちゃん?」
そして、この恋は自分の力で成就させなければいけない。真理亜のように、天界のアイテムの力に頼るような卑怯な真似はしたくない。自分の思いは自分の力で伝えてこそ本物だ。
そう思っていたはずなのに……
「……星君が私のことを好きになってくれますように」
私は言ってしまった。本当は心の底から口にしたくなかった言葉を。
洗脳されていたとはいえ、あれほど星君と真理亜の近付いた距離を前にして、もはやなりふり構ってられられなくなった。大事な最後の願い事を、最も欲深な方向に使ってしまった。
真理亜の介入によって、私の恋心は黒ずんでしまった。本当に馬鹿な人間だ、私は。
「……ん? 七ちゃん? 何て?」
星君は首をかしげながら尋ねる。
「え?」
おかしい。確かに今、星君が自分に恋心を抱いてくれるよう、言葉にして願ったはずだ。しかし、星君は真理亜の時のような態度を見せず、ポカンと突っ立ったままでいる。
そういえば、願いが叶った証である流れ星も出現しない。右腕を確認したら、数字は先程と同じ1のままだった。願い事を口にしたのに、なぜか叶わない。真理亜が願った時は叶ったのに。
なんで……どうして……?
「七ちゃん?」
彼に聞こえない程度の小さな声で言ったことが原因だろうか。いや、スターは口で出た願いは必ず叶うと説明していた。まさか、KANAEの能力でも叶えることができない例外があるのか。
だとしたら……
「……!」
「七ちゃん!」
私は逃げるように昇降口を飛び出した。そのまま泣きながら家まで駆けていった。
「待って! うわぁっ!?」
追いかけようとした星君は、扉の段差につまづいて転倒した。私は彼を置いてがむしゃらに走る。悲しくて悲しくてたまらない心を、無理やり押さえて足を伸ばす。
嫌だ……嫌だ……信じたくない……
「うぅ……」
KANAEの能力でもどうにもならないくらいに、私の恋は叶わない運命だなんて……そんなの酷すぎるよ……
なんで……なんでなのよ……
「馬鹿……馬鹿ぁ……」
なんで星君は……私のこと好きになってくれないの……
「七ちゃん……」
転んだ僕を置いて、七ちゃんは走り去ってしまった。一体どうしたというのか。さっき彼女が何か呟いていたと思うけど、声が小さくて上手く聞き取れなかった。彼女は再び悲しそうな表情を浮かべていた。
「なんで……」
「……呆れたよ」
すると、背後から聞き覚えのある声が飛び込んできた。振り向いてハッとした。2組の平居昇君だ。
「星君、彼女と幼なじみなんでしょ? 彼女の気持ち分からないの?」
いきなり話しかけてきたかと思いきや、昇君は説教口調だ。彼がなぜ怒っているのかも、七ちゃんがなぜ悲しんでいるのかも分からない。
「彼女は好きなんだよ。星君のことが」
「えぇ!?」
そんな……まさか。七ちゃんが僕のことを好きだなんて。彼の真剣な瞳から、友達としての『好き』ではないことが伺える。だとしたら、異性としての『好き』ということだ。
「やっぱり気付いていなかったんだね。小さい頃からずっと彼女のそばにいたのに。いつまでも察してくれなきゃ、そりゃ七瀬ちゃんもあんなふうに泣きたくなるよ」
昇君に指摘されても、いまいち実感が湧かない。まさか七ちゃんが僕のことを好きだなんて、そういう考えに至るように僕の脳は造られていない。一体僕のどんなところを魅力的に感じているのだろうか。
「やっぱり君には任せられない」
「え……?」
「星君、七瀬ちゃんと付き合うのは俺だ」
彼の言葉を聞いた瞬間、僕の全身の鳥肌が立ち上がった。
「俺、七瀬ちゃんを本気で愛してるから。俺は君みたいに彼女を傷付けさせないよ。もう本人に好きだって言ったから。返事は先伸ばしにされたけど」
「え……えぇ……?」
「君は力はあるみたいだけど、本当に強い男なのか? いつまでも自分の思いを告げられないで、彼女の方から言わせておいて、それでも男か?」
次々と衝撃的な事実が目の前に並べられて、理解が追い付けない。七ちゃんの恋心に気付いてあげられなかった罪悪感が、心に引っ掛かっているからだ。
「俺は言ったよ。ちゃんと口にして伝えた。彼氏になって、七瀬ちゃんを守るって決めたから」
僕は圧倒された。昇君が見せつける何もかもが、覚悟の強さを証明している。きっと僕なんかよりも何百……いや、何千倍も男としての使命感に熱を上げ、七ちゃんへ永年の愛を誓うつもりなんだろう。
「……ダメだよ」
でも、だからって諦められるわけないだろ。
「僕だって……七ちゃんのことが好きだよ。君に渡したくない。いや、渡さない!」
ずっとずっと七ちゃんに助けられてきた。今まで同じ時間を共に過ごして、いつの間にか彼女に惹かれていた。散々ヘタレな一面を見せてきたけど、昇君という恋敵が現れたことで目が覚めた。
七ちゃん、気付いてあげられなくてごめん。今度こそ勇気を出して君に好きだと伝える。七ちゃんを守るのは僕だ。他でもない僕、宮原星だ。
「いいよ、どっちが彼女への思いが強いか見せつけてやる。絶対に俺に振り向かせるから」
「望むところだ!」
僕は昇君と火花を散らした。今日この瞬間、3日後に迫った体育体育が絶対の絶対に負けられない戦いとなった。
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