星空の下
夜、ミドリは牧場内にあるケンタロウの自宅で夕食をご馳走になった。
シゲル、マサコ、ケンタロウの家族に混じり、食卓を囲む。
テーブルに並んだ料理は豪勢だ。ポテトサラダにグラタン、鶏肉のソテー。マサコは料理がとても上手だ。そこもミドリの憧れポイントである。
「いやあ、アルタイルステークス、惜しかったなあ」
シゲルがぽりぽりと頭を掻きながら言う。
「俺はシルバーライトが一着だと思ったんだけどなあ」
「はい、でも。一着になったクラシオンはシルバーライトと同じ厩舎所属で、しかも馬房がすぐ隣の仲良しなんですよ。だから一着になれなかったけど私は嬉しいです」
「へえ、そうなのか。うーん。やっぱりミドリちゃんは優しいなあ」
「えっ? べつに普通ですよ」
「いや、優しいよ。なっ、ケンタロウもそう思うだろ?」
唐突にシゲルに話を振られたケンタロウは、ぶすっとした表情のままやや目を泳がせた。
「あなた。ケンタロウが困ってますよ」
マサコがやんわりと助け舟を出した。
「なにも困ることなんてないだろ。思ったことを訊いただけなんだから」
ケンタロウは黙ったままだ。
なんだろう、変に持ち上げられてちょっと居心地が悪くなった。それに空気も少し悪い。ここはちょっと流れを変えよう。
「あの、クレセントは元気ですか?」
ミドリが一家にそのことを尋ねた時、ほんの僅かに、気のせいとも思えるほどの短い間静寂が流れた。
「ああ、元気だよ」
シゲルが笑顔で答えた。しかし彼のその笑顔はこれまでのものと違いどこか取り繕っているような顔に見える。
「十一月」
ケンタロウがぼそっと呟いた。ミドリは彼に目を向ける。
「今年の十一月に、流星群が来る」
彼の言葉が何を意味しているのか、ミドリにはすぐわかった。
つまりその時が、クレセントとお別れの時だ。
その夜、クレセントは天馬となり、この地から旅立つ。
ミドリが子供の時、この牧場でこの家族と一緒に、流星群と、そして夜空に飛び立つ天馬を見た。忘れられない光景だ。
「ごちそうさま」
ケンタロウがそう言って席を立ち、食器を片して部屋から出ていった。きっと彼にもいろいろやることがあるのだろう。だけどミドリはもう少し彼と話していたかった。
ケンタロウが部屋から出ていくと、それを見計らったかのようにシゲルがミドリに話しかけてきた。
「それで、ミドリちゃんはどうなんだ?」
「えっ? どうって、何の話ですか?」
「ミドリちゃんもお年頃だろ? 気になる相手とかいたりするのかい?」
突然予想だにしない質問をされて、ミドリは慌てふためいた。
「い、いいいいませんよそんな人」
「そうなのか? ミドリちゃんは可愛いから言い寄ってくる男はたくさんいそうだけど」
その時ミドリの脳裏になぜか一瞬カズマの顔が浮かんだ。何を考えている、彼には一度食事に誘われただけだ。彼との間には、なななななんにもないぞ。
「ミドリちゃんがよければ、いつだってこの牧場で働いてもらって構わないからな」
シゲルが楽しそうに笑いながら言う。
「えっ、それって」
「ミドリちゃんもわかってると思うけど、ケンタロウのやつはめちゃくちゃ奥手なんだ。仕事に真面目なのはいいんだが、そろそろあいつを陰ながらリードしてくれるパートナーがいてくれたらなあって」
シゲルは満面の笑みをミドリに向けてくる。そんな顔を向けられても困ってしまう。
ミドリは助け舟を求めてマサコを見た。しかし彼女も上品に微笑んでミドリを見つめてくるばかりである。
これはまずい。四面楚歌。まるで蜘蛛の巣にでもかかったようだ。
「あっ、そうだ。わわ私もまだやらなきゃいけないことあるんでした。夕食ごちそうさまでしたー!」
ミドリは一方的にそう言ってそそくさとその場から退去する。
背中越しにシゲルとマサコの笑い声が聞こえた。
ミドリはシルバーライトがこの牧場に滞在する間、牧場の敷地内にある住居の一部屋を使わさせてもらうことになった。
虫の音が響く夜の牧場の中を歩く。なんだかちょっとワクワクして、少し辺りを散策したい気持ちになった。
厩舎のほうで、小さな物音がした。シルバーライトはちゃんとお利口に過ごしているだろうかと思い、ミドリは担当馬の様子を見に行くことにした。
厩舎の入り口から中を覗くと、ケンタロウの姿があった。通路を歩いて馬房の見回りをしている。こんな夜にも仕事をしているのか。
先ほどの食卓でのシゲルの話が気になり、ミドリはついケンタロウのことを意識してしまった。ケンタロウは幼馴染で、小さいころはよく一緒に遊んだ。同じ馬と関わる仕事をしていることもあって、お互いに多くを理解している。だけど彼のことをそういう視点で見たことはあまりなかった。
ミドリは馬の世話をしている時のケンタロウの顔がとても好きだ。喜びと、楽しさと、優しさの詰まったような顔。彼は本当に馬のことが好きなんだろう。そのことがすごく伝わってくる。私のことはどう思っているだろう? 好きだと思ってくれているだろうか?
「なにこそこそしてるんだよ」
ケンタロウが横目でこちらを見ながら言った。どうやらこっそり観察していることがバレてしまったようだ。
ミドリは全身を晒し、大きく腕を振ってゆっくりリズムを刻みながらケンタロウのほうへ歩いていく。その彼女の様子を見咎めたケンタロウが怪訝な顔になった。
「なんだよ楽しそうに」
「なーに? 楽しいとなにかいけないの?」
「……べつに」
ケンタロウはそっぽを向いて吐き捨てた。
まったく、シゲルの言う通りだ。全然素直じゃない。これはちょっと躾が必要そうだ。
「ねえケンちゃん」
「えっ?」
ミドリはケンタロウの手首を掴んだ。ケンタロウは驚いた顔になる。
「星を見に行こ」
ミドリは有無を言わさずケンタロウを引っ張って歩き出した。
厩舎から出て、しばらく牧場の敷地内を歩く。
照明が僅かにしか届かない斜面になっている芝生のところまできたところで手を離し、ミドリは腰を下ろした。ケンタロウが突っ立ったままだったので、ポンポンと手の平で横の地面を叩いて座るよう促す。
二人並んで座り、星々の煌めく夜空を見上げた。
「綺麗だなあ」
ミドリは頭上に広がる光景に対する感想を述べた。ケンタロウは何も言わない。
「なんかこういうの、子供の時以来だよね」
ミドリは言った。ケンタロウは相変わらず沈黙を保つ。
BGMは夏の虫の音。空には紺のキャンバスに瞬く星たち。
「ねえ、ケンちゃんはさ。夢とかある?」
「夢?」
「目標でも願望でもいいけど。こうなったらいいなあっていうの」
「そうだな」
ケンタロウは考え込むような顔になった。軽く受け流されるかと思ったミドリだが、ケンタロウは意外にもなにか答えるつもりのようだ。
ケンタロウが顔を上げた。ミドリは彼からどんな言葉が飛び出すか身構える。
「一度アップルパイをお腹がパンパンになるまで食べてみたい、かな」
「えーなにそれー!!」
想定外のケンタロウの答えを聞いて、ミドリは大きな声を出した。ケンタロウは少し恥ずかしそうに苦笑いをしている。どうやらそれが彼にとって精一杯のジョークだったようだ。
「ミドリはなんなんだよ。ミドリの夢は」
「えっ、私?」
先に尋ねておきながら、いざ自分が問われると照れだすミドリであった。
少し考えてから、ミドリは答えた。
「私の夢はね。ケンちゃんにお腹いっぱいアップルパイを食べさせてあげること」
「はあ? なんだよそれ!?」
今度はケンタロウが呆れた声を出した。ミドリのその夢には、実は彼女の密かな想いが含まれていたのだが、ケンタロウがそのことに気づいたかどうかはわからない。
そのことを知っているのはきっと、この夜空に浮かぶ星だけだ。
今日も星は綺麗だった。
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