イデアの彼方へ

枯れ尾花

第1話賢い女は馬鹿を演じる

 8月12日

 まだまだ夏の暑さが体を蝕むわけで、今日も今日とてその暑さとマシンガンのように絶え間なく鳴きわめくセミ共の奇声で目が覚める。

 今は我ら高校生にとって夏休みという名の有休。

 毎日のお勤めから解放される、家でだらだらと過ごせる最高のイベント。

 俺からすれば文化祭やら体育祭、修学旅行なんてイベントなんかよりも夏休みの方が圧倒的に聞こえがいい。

 だが、今日は、今日からは残念ながらお家タイムを満喫できない。

 察するに、確実に学校というものにアグレッシブでない俺が、部活なんて時間と労力を無駄にする『暇な人間の会』なんてものに参加しているはずないと思われるだろうが、それは心外だ。

 俺だって誇りある部に入部している。

 その名は『文芸部』。

 毎日埃っぽい部屋で本を読んでいる。

 ・・・・おい!誰だ!お似合いだとか言ったやつは!

 それは『文芸部』がか?それとも埃っぽい部屋か?

 まぁどっちもか・・・・。

 お、俺だって自ら入ったわけじゃない。半ば強制的に、弱みを握られ仕方なくという感じだ。

 事情はまた後日にさせていただくが。

 故に、今日から夏休みの部活動が始まるという訳だ。

 








 なんやかんや用意をし、家を出て30分ほどが経ち、ようやく我が学び舎に着いた。

 気持ちというものは体に少なからず影響を及ぼすわけで、俺の足は憂鬱と倦怠感でどうにも重い。

 まるで鉛球を足に着けながら歩くかのように。

 結局、いつもより10分着くのが遅れた。

 夏休みの学校から聞こえる声は、そのほとんどがグラウンドで汗水たらす運動系の部活生。

 罵声や怒声、時には誰かを褒める言葉、ボールを呼ぶ声など様々ある。

 彼らは基本毎日学校で練習をしたり、他の学校で試合など忙しくしているはずだ。

 毎日ご苦労様ですという感じだが、好きなこととはいえ毎日やっていればもはや嫌いになるだろうとは思うが。

 運動系の部活とは対極的に、文科系の部活は基本夏休みはオフ。

 それこそが文科系の良さであると思うのだが、立場上文句の『も』の時も言えない。

 俺はグラウンドの騒がしさとはまるで別世界の校舎に入り、部室へと続く階段を上る。

 校舎の中は静寂に包まれていた。

 人がいないというだけでここまで変わるのかと痛感される。

 窓から朝の陽ざしが差し込んでいるというのに不気味なほどに暗く感じた。

 





 3階分の階段を上り切り、ようやく部室の前に着く。

 図書室の横にある『準備室』というのがそれだ。

 普段は何に使われているのかさっぱり分からないが、放課後になれば俺たち文芸部のたまり場になる。

 準備室のくせにクーラー完備、冬には暖房も使える。その居心地の良さのせいか、学校のある日は毎日活動している。

 ちなみに今日の集合時間は10時。現在の時刻は10時15分。

 そう遅刻している。

 文科系の部の遅刻なんて大したことないだろとか思われそうだが、確かにその通りで罰走なんてものは無い。

 帰宅を命じられることもない。

 だが、文芸部では人としての尊厳というか心を粉々に砕かれる。

 まるでチョークのように、真ん中からポキッと。

 俺は少し後ろに下がり、思い切り足音を立てて走りこむ。

 そのままの勢いで部室の扉を開けた。

 「はぁ、はぁ、はぁ・・・・し、失礼します。遅れました。」

 わざとらしいくらい、というかわざとらしく息を切らして言う。

 いわゆる『頑張ったけど無理でしたごめんなさい作戦』である。

 「へ、へぇっ!だ、大丈夫?!すごい息切れてるじゃない!」

 そう言って俺の方へすり寄ってきた。

 立ち上がったと同時にフワッと揺れた上品な長い黒髪はカーテン越しの光に照らされ、妖艶な輝きを見せる。

 パッチリ大きな瞳は混じりっ気がなく、油断すれば吸い込まれてしまいそうで、シャープな鼻筋の下にはちょこんと小さな口。

 少しでも触れてしまえばジェンガの様に崩れ落ちてしまいそうなほどに華奢な体に、これからの成長に期待のお胸。(俺としてはちょうどいいくらいなんだが)

 いわゆる、超絶美人。文芸部にはもったいない。野球部やらサッカー部のマネージャーなんてすれば全部員の虜になる事間違いなし。

 「ぜぇ、全然大丈夫だから。」

 俺は白々しい演技を続けつつ、すり寄る彼女から距離を取る。

 「何言ってるの!心配だわ。失礼。」

 彼女はさらに距離を詰め、俺の首元に2本の指を付けた。

 「あっれぇーー?おかしいわね、全然脈拍が上がっていない。あんなに息切れしていたのに?私という完璧美少女がこんなにも接近しているというのに。あれあれー?」

 いたずらに口角を上げ、宝石のように輝く瞳は全てを見透かしていた。

 「はいはい。そうですよ。走った距離は数歩。切れた息は演技。これでいいか?」

 「あら?まだ足りないわね。完璧美少女に対する屈辱の件は?」

 「・・・・け、賢者タイム?」

 「不潔!汚らわしい!」

 マッハのスピードで彼女の体は俺から離れる。俺の右手を見ながら。

 「春香ちゃん、その辺にしてあげたら?」

 俺たちのやり取りを終始(羨ましそうに)見ていた文芸部員の1人である山川公人やまかわきみとが鶴の一声をあげる。

 「何許可なく喋ってるの?あんたのせいでまた地球温暖化が進んだじゃない。地球のためにもそろそろ死になさい、きもと。」

 「あっはぁーん!!ああっ良い!良いよ!喋る権利から生きる権利まで奪おうとするなんて!今日は調子がいいんだね、春香ちゃん!」

 「きもと、あんたのせいで絶不調よ。はぁ。なんでこの部にはまともな奴が1人もいないのかしら。ドМ界からも疎まれる生粋のドМと、人形にしか欲情しないドールフェチ。2匹の変態の間にいる恐怖ったらたまったもんじゃないわ。」

 彼女は自分の体を抱きかかえながら言う。

 「ちょっと待て。俺とそこのドМを変態という括りで一緒にされるのは心外だ。仮に俺が変態だとしたら、あいつは間違いなく犯罪者だ。お縄につくのが妥当だ。ちょうどいいだろ、ドМってやつは縄で縛られるのが好きなんだから。あと、人形のことは俺たちだけの秘密にしてくれって頼んだじゃん。」

 「秘密にしようとしたわよ。でも、無理よ。きもと発言権をやるわ。教えてやりなさい。」とやれやれと言わんばかりに告げる。

 「理人りひと、君の今手に持ってるそれはなんだ?」

 「なにって、フィギュアだが。」

 俺の手には太陽までもが嫉妬するような輝きを放つ金髪を2つに結んだ、いわゆるツインテールという髪型で、パっと花のように開いたまつ毛、大きな琥珀色の瞳に高い鼻、小さい口、ボンキュボンな体をどこぞの制服に身を包んだ美少女フィギュアがあった。

 「貴様正気か?」

 「これくらい普通だろ。現代人が常にスマホを持っているのと同じで俺は俺の理想的な女のフィギュアを常に携帯しているだけだ。正気か聞きたいのはこっちだ。クラスの奴はそんな事1度も聞いてこなかったぞ。」

 「ああ。そりゃあそうだろう。お前鏡見たことあるか?長い前髪から光る血走った目、180センチメートルの身長に広い肩幅。着崩してるかの様なダボダボの制服に汚れた革靴。そんな奴が片手に美少女フィギュア持ってるんだぞ。恐怖どころか狂気的だ。安いB級ホラーなんてとうに超えた存在なんだよ!そんな奴に誰がツッコミ入れれるんだよ!」

 公人は自分がまるで常識人代表かのようにすごい剣幕で語る。その後ろで春香はうんうんと頷いていた。

 お前だってきもとのくせに。

 「血走ってんのは寝不足のせいだし、背格好は生まれつき。ダボダボ制服は家が裕福じゃねぇんだ。仕方ねぇだろ。革靴は貰いもんだ。全部直せるのなら直してぇよ。」

 「わかった。なら最後だ。今日から5日間、16日までここで合宿となってるわけだが、理人は何を持ってきた?」

 俺は持ってきたカバンを探りながら「えーっと5日分の着替え、歯ブラシ、入浴セット、お金、あと・・・・シル〇ニアファミリー。」と伝える。

 「末期だな。」

 「今だけはきもとに激しく同意するわ。まさか動物にまで欲情するなんて。」

 「これはそんな目的で持ってきていない!この子達は俺の配置、想像力、小道具によって俺の理想の物語を築くんだ!俺はそれを見ないと寝られない。つまりこれはいわゆる抱き枕がないと寝られないっていう可愛いやつだ!」

 俺の熱弁は不覚にも彼らの心には響かず、さらに引きつった顔を生み出した。

 可愛いものを見る目どころかかわいそうな奴を見る目でこちらを見る。

 こういう時だけ2人して仲良く俺を貶めやがって。








 空は黄金色に染まり、これから深い闇に飲み込まれるだろう。

 今は黄昏時。黄昏時とは薄暗くなり「あなたは誰ですか?」と問いかける時間帯ということで命名されたと言われているが、室内にいれば関係ないわけで。

 天井で光る蛍光灯のおかげでそのような失礼な質問は無いはずだ。

 「あんた達ーしっかりやってる?」

 準備室の扉が開くのと同時にまるで自分の存在が周知の事実かの様に話し始める。

 今部室にいるのは正真正銘今日の朝からいるメンバー。誰1人欠けていない状態での突然の来訪者に対しては驚きを隠せないわけで。

 「「「あなたは誰ですか?!」」」と3人の息が揃いながら見事にフラグを回収してしまった。

 「ひ、ひどい!私よ!ひーちゃん先生こと山岡ひろなよ!」

 ぶりっこ全開で体をゆさゆさ揺らしながら「もうっ!」と言わんばかりにツッコミを入れる。

 肩より少し下で切りそろえられた小綺麗な茶髪に、厚いファンデーション、真っ赤な口紅に長いつけまつげは熟練のテクニック。馬鹿にできる領域ではない。

 おそらく私服であろう今日の服は年相応というよりかは少し派手。

 夏という事もあってだろうが、少し露出が高い。

 どうやら体にはまだ自信があるようだ。

 さらには年齢不詳、経歴不詳と知らないことは多いが、ポップな性格からか生徒からの人気は高い。

 「ちょっとぉ~理人君。ジロジロ見過ぎよ。もしかしてぇ~魅了されちゃってた?」

 「いえ、全然。」

 「なぁ~にそれ~。照れ隠し?素直になる事だって大事よ。」

 どうやらこの人は日本語の意味を素直に受け取ることが出来ないようだ。

 「先生。そんな事より今日は来れないと、勝負があるからとかおっしゃっていましたが大丈夫なんですか?」と春香が悪魔の様な微笑みを微かに浮かべながら問いかける。

 分かっている。なぜ今日来れたのか。俺と公人の顔が引きつった。

 「なによ!分かってるくせに!そうよ、ドタキャンよ!今回は行けると思ったのに。なんで!?連絡先まで交換して、最早隠す気の無い下着も買ったのに!」

 先ほどのテンションから一転、ぶりっ子フェイスは般若の如く、厚いファンデーションが崩れ、目元に少々のしわが見えた。

 「まぁそういうこともあるわ。次に期待ね。」

 春香は煽る様に言う。

 「ふんっ。あんたなんか勝負すらできないチキンのくせに。普通に会話するのが恥ずかしくて出来ないからってけなして、嫌がらせして、おちょくって。そんなことしても1歩も進まないのに。ただ逃げてるだけのあんたの言葉なんて痛くもかゆくもないわ!」と先生は反撃する。

 そう、彼女たちはまさに犬猿の仲。

 女同士全くそりが合わない。

 春香が悪いのか、先生が子供っぽいのか。

 どちらにせよ仲良くしてほしいものだ。

 「まぁまぁ落ち着きたまえ。ほら、空を見たまえ。心が静寂に包まれるだろ。」

 「「気持ち悪いんだよ!死ね!」」

 「ああっ。最高だ。昇天してしまいそうだ!!」

 「「「・・・・・・・・。」」」





 

 

 先生の突然の来訪によって少々場がごたついてしまったが、時の流れとは優秀なもので、今は落ち着きを見せている。

 夕食をどうしようかと困っていた俺たちに先生は、しゃーなしと言わんばかりの足取りで近くのコンビニからいくらかの食料を調達してきてくれた。

 梅、昆布、明太子、ツナマヨのおにぎりが各種2つずつ、4つ入ったから揚げが4袋、緑茶の入った缶が1つといったバリエーションだ。

 「じゃあとりあえず、先輩に渡しましょう。」

 そういって春香はこの部屋にある仏壇に梅のおにぎりと昆布のおにぎり、そしてから揚げ1袋と緑茶を供える。

 それと同時に俺たちは仏壇に手を合わせた。

 この仏壇は俺たちが1年の時からお世話になった1つ上の先輩である十文字環じゅうもんじたまきこと、たまちゃん先輩の住居だ。

 文芸部の創始者で、俺たちの恩人でもある。

 長い黒髪はまるで1本1本に命が宿っているかのように見る人を誘惑し、笑うと少し垂れる目は俺たちを癒し、凛とした姿勢からは育ちの良さが滲み出た。

 言葉遣いが綺麗で、古風な雰囲気が漂う。

 だが、そんな落ち着いた雰囲気からは想像もできないほどにお茶目な人で、俺たちをよく笑顔にしてくれた。

 人づきあいが苦手な春香、クラスで浮きまくっていた公人、同じく浮いていた俺を文芸部に迎い入れた。

 1人1人それぞれ何かしらの弱みを握られ、無理やりという形だが。

 彼女曰く、部の設立のためとアブノーマルな人が好きという事らしいが、もちろん最初は誰1人やる気なんてなく、弱みを握られている手前仕方なくという形だったが、彼女のまさに母の様な包容力に魅了され、自ら向かうようになっていった。

 だが、そんな幸せも長くは続かず、もともと病弱だったらしい彼女はいつの日かだんだん部に来なくなり・・・・。

 「しんみりしちゃだめよ。たまちゃん先輩だってこんなの望んでいないはず。さぁ楽しくいきましょう。」

 パンパンと手を叩き、春香は明るく振る舞う。

 だが、俺たちは知っている。

 春香こそが1番つらいのだと。なんせ1番なついていたのは彼女自身だから。

 昔は短かったその黒髪だって今は長い。それもたまちゃん先輩の様に。

 俺たちは軽く頷き、それぞれおにぎりを取り噛みしめた。







 






 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 


 


 

 

 

 



 

 

 

 

 


 





 

 


 

 

 




 

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