X-11話 虚ろめく意識

 腹の奥底から込み上げてくるものがあった。人が、人類がそれを見るだけで嫌悪感を抱くものとはそういうものだと、今更ながらに強く痛感する。口より胃から逆流したそれがただの嫌悪感から実態を持って体外に放出される。ただの白い液体。しかし、それが食道を通ってきた名残がずっと喉奥から消え去ることはない。


「かっ!はぁはぁはぁ。 クソッタレが・・・!」


 いつの間にか崩れていた膝に力を入れ、ゆっくりと立ち上がる。目の前には先ほどまで立ち込めていた粉塵は気がつけば少し収まり、はっきりと怪物の姿が見て取れる。そこはついさっきまでコルルの父さんと俺が座っていた場所とほぼ同場所。だが、父さんの姿は当然見られない。代わりに、怪物の口元は赤く染め上げられていた。


怪物がゆっくりとこちらに首を向け、視線と視線が2人の間で交差する。俺の視線にはキリの村ではなかった激しい憎悪と殺意が込められていたが、怪物のそれにはそんなものが含まれている様子は感じ取れない。ただ純粋に人殺しを楽しんでいるかのように、笑みを連想させるものが強く感じ取れる。


「テメェが父さんをヤッたのか? あ? お前が人語を操り会話が成立するのは知ってんだよ。何とか言ったらどうなんだ!!」


 怪物の身体が横に僅かに揺れる。攻撃の準備姿勢に入ったかと身構えるが、そこから一撃が放たれる様子はない。何のつもりだ?


「クー・リ・エ? お・前・だ!!!!!!!!!!!!!!!!!!」


 最後の方は言葉すら聞き取れないただの雄叫び。 だが、その雄叫びだけで崩壊が始まる洞窟にとっては大きな一撃となり得た。天井が崩れ、洞窟としての原型を止めるために支える柱が倒れていく音の間隔がより狭くなる。


「シシシシシシシシシシシシ・・・・ヌ!!!!」


 怪物の姿が突如として視界から消える。その行動に音は生じない、無音の移動。感覚を研ぎ澄ますが何も感じ取れるものはなかった。だが、検討はついている。父さんをやったときは上からの奇襲攻撃。つまり、


「天井だろ!!」


 天井に怪物の姿を認識する。すでに鋭く尖る牙を突き立てこちらに突進をしようとするまさにそんなタイミングだ。俺は素早く身構え、一気に横方向に飛び回避する。


ドゴォォォォォォ・・・


 大きな音を立て先ほどまで俺が立っていた場所は綺麗に穴が空く。下の階層までその穴から垣間見受けられるほどに大きくその口を開けている。あの場で回避していなかったら命はなかっただろう、とひとまず俺は胸を撫で下ろす。


「キィエェェ!!」


 突如として開けられた穴から怪物が勢いに任せて飛び出してくる。あまりに咄嗟の攻撃と目にも止まらぬ移動速度。俺は回避を行うという思考が頭の中でぐるりと一周する前に真正面から怪物の突撃を許す。


「クッソ、いてぇ!!!」


 そのまま抵抗虚しく力で押し込まれると背中に強い衝撃を感じると共に土壁に押し付けられる。身体の骨がこれ以上の力を喰らうと限界だと言わんばかりにメキメキと小さく俺にしかわからないほどの音で危険信号を発してくる。だが、目の前の怪物の突進を押しのけるだけの力が、その方法が瞬時に俺の中では浮かばない。


そして、次第にただの突進攻撃には飽きたのか、怪物はお腹に突き当てていた頭部を思い切り上に払い、いともたやすく俺の身体を宙に浮かす。そして、そのまま俺が邪魔だと言わんばかりに薙ぎ払った。情けないほどに宙を軽々と漂い、しばらくの浮遊の後左肩から地面と衝突する。痛みに伴う悲鳴すら俺の口からは漏れない。ただ、僅かな勝機だけを目で追いかけていた。集中力はこれまでにないほど高められていると言っても過言ではない。


瞬時に次の攻撃に対して手が打てるように身体を起こす。そして、改めて怪物の姿を目に捉える。


触覚を生やし、鋭い牙、無音移動すら可能にする強靭な脚、そして羽根。暗闇の中に溶け込むことをも可能にする黒光りしている体。相手は、この怪物は女王アリの天恵がもたらす存在であることがここにきてようやく理解した。ということは、道中にあった卵はさしずめ働きアリといったところか。孵化するまでの期間をじっと待っているのだろう。ただこいつの僕になるだけだというのに。だが、その一匹でも相当の力を誇るのは想像に難くない。ここで対処しておかなければキリの村では甚大な被害が出ることになる。


「なかなか手強い相手じゃないの・・・。お前は」


 そう言い放ち俺は脚に力を込める。まさにあの時と同じだ。キリの村でどうしても相手に追いつきたくてそう願うと加速が増したあの現象。あれを再びここでも再現する。そうしなければこの戦いに勝利はないことは明らかだ。


「これが恐らく、俺の天恵の派生ってやつだよな」


 痺れを切らしたように怪物は俺との距離を一気に縮める。あと数コンマ先の未来で俺は確実にやつの攻撃を喰らうだろう。だが、そんな未来はこない。なぜなら、からだ!


「ここからが俺の逆襲だ!!」


 力を込めていた脚を一気に横方向に移動させる。それで相手の攻撃を回避し、後ろに回り込み家すら崩壊させてみせた力をこの女王アリの怪物にお見舞いする。これで勝負をつける算段だ。


だが、思い描いた未来は最初の一手で詰みの状況に追い込まれる。そう、あののだ。


 俺の身体は予想から大きく離れ、まるで反復横跳びを行っているのかと言わんばかりの僅かな跳躍をしてみせると、当然のように怪物の攻撃範囲から逃れることはできず振りかぶった頭部の一撃をもろに頭に受ける。首が動く限界値のところまで衝撃で曲げられると、そのままの勢いで頭から壁に衝突した。


「俺は——また死ぬのか・・・?」


 目の前がゆっくりと上から赤い世界に色染められていく。それが頭部から出血する自分の血液だということには頭を循環する血液が足りないせいか気づくことはなかった。ただ、自分の頭部が先ほどよりも熱を帯びているな、ということだけは虚めく意識の中でもはっきりしていた。


黒色を誇る怪物が音もなくこちら側に颯爽と近寄ってくる。もはや勝負は決したと言わんばかりに直線上に最短距離で移動するわけでもなく、ジグザグに移動しながら余裕を醸し出している。その一連の動作に怒りが沸々と込み上げてくる。そしてそのまま感情の勢いで俺は右手に力拳を作った。


だが、そこから何か攻撃を繰り出せるわけではない。すでに脳の機能は半分以上低下してしまったといっても過言ではなかった。手から送られる信号をかすかに受信できるほどで、そこから筋肉を縮小させ、右手を動かすという一連の動作の信号を送ることはもはや叶わない。その上に、俺自身の意識もそこまで深く思考できなくなっていた。


「キィエェェ!!」


 いつの間にかすぐ側まで距離を縮めていた怪物の顔が一気に俺に近づく。鋭い牙が赤一色の世界の中でも魔性石の光を反射させてか白く印象強く映る。口の隙間から溢れる唾液が俺の下半身に降りかかった。だが、降りかかったと認識しても足をうごかす力は残ってはいない。ただ、その瞬間俺は素直に目を閉じた。視界が赤から黒の世界に変わり、そこには何も映し出されない。


だが、これは生を諦めて視界を閉ざした前回とは異なっていた。何者かにそうするように命令されたような気がした。掠れゆく意識の中聞こえたような気がしただけかもしれない。だが、俺は無意識の内にその言葉に従い、目の前の怪物の攻撃をよそに、視界を閉ざした。


「キイィィィン!!!」


 上歯と下歯が絡み合う音が土の壁に吸い込まれていった。 


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