第三章 倭京編

第107話 流れ星ってマジで唐突

 凍り付く冬の日々から季節は進み、空気がまろく綻び始めた時候のことである。

 西は”アスカ”の都の地では、この日、ここのところ曇り続きだった空が珍しく晴れ渡っていた。


 しかして春の訪れを肌に感じるその日。突如として、東の空から西の山々に向かって、一筋の怪光が尾を引いて降り注いだ。宙に開く閃光。数拍おいて轟々と空が鳴り、また遠くで地響きがした。


「ひぃい、星が落ちて来たぞ!!」

「天の、天のお怒りじゃあ!」


 春霞の薄青空を見上げて怯える人々の間に、ゆらり一つ、人影が現れた。


「皆々、落ち着きなされ!」


 市井に現れたその影は、赤い法衣に銅の色の袈裟を纏う高僧である。しゃがれ声で一括すれば、騒めく者々は見る間の内に静まり返った。


「これは流星ではない。”天狗”の仕業である。その吠え声が雷に似ているに過ぎない」


 人々を見渡す僧は強面にて、その見かけは顰め面に捉えられるも、立ち姿は自信に満ち満ちていた。その堂々たる立ち振る舞いに、気の立っていた市井の心も次第に鎮まり行く。


「安心せよ、この都は退魔師によって堅く守られている。……既に、退魔は始まっておるよ」


 短い顎髭を右手に撫でつつ、西の山々を見つめる僧は言った。









 ふと、空の一辺。かすかな光。遙かに遠く。


 あいつだ。あいつの気配がした。

 あれからずっと、ずぅっと待っていた。

 来る日も来る日も、あやふやな縁の先を辿っては湧き出る疑問に、心むしゃくしゃと不条理を憎む日々も今日で終わる。


 変化の術は、もうとっくに解けていた。

 周囲にあった往来の人々が、俺の姿を見て怯えている。

 けれど、申し訳ないがそちらにかまっている余裕は既に無かった。

 一歩、ぐっと力を込めてその場から跳躍した。




 ヒトガタ姿で本気で下界を疾走すれば、当然後には破壊の跡が残る。

 きっとあとで色々なヒトに怒られるに違いない。

 しこたま怒られて、かつてのスサノオみたいに、天上で折檻されることになるかもしれない。そんなの怖い。あのスサノオを萎びさせた折檻である。正直、絶対に開けたくないパンドラの箱だ。


 けれど、そうなるのも覚悟の末。だから、今は、今だけは許してほしい。


 全力で地面を踏み抜けば、地は割れ大きな穴が開く。なるべく被害を最小限に抑えるよう、上に跳んで飛距離を稼ぎつつ、ノミのように跳ねては彼の気配ある所へと真っ直線に進む。

 はやる気持ちは、オリヒメさんに貰った羽衣を着て飛ぶことを良しとしない。だって、己の足で跳ぶ方がよほど速いから。


 あの場所、西の方だ。

 現世の西の地にて、あやふやだった縁の藻屑がぴんとはって、しっかりと糸と成ったのだ。


 跳んで跳んで跳んで。

 それでも蛇型に戻って全力疾走しないだけのモラルは辛うじてあった。

 されども、それ以外の道徳は抜け落ちてしまっていた。


 本性に戻れば、ちょっと這うだけでも結構な距離を移動することができる。

 でも、ヒトガタ形態でさえそこそこ被害状況が大きいってんのに、蛇型で下界を闊歩すれば、その被害、如何ばかりか。怒られるどころか滅殺されそうだ。殺されたらあいつに会えなくなるから、それだけはできない。残った倫理も、結局は自分のためなのだ。

 ああ。もう、ラスボスくんのことを悪く言える権利ないよな、俺。




 また一歩跳んで、上空から世界を見下ろせば、至る所に人里が点在しているのが見える。そういったところは避けて、だだっ広い何もない平原や深い森の中、湖の湖畔などを着地地点としてなるべく迷惑はかけぬように移動してゆく。同時に角に最大に感覚を集中させて一帯の気配を探り、下界を管理している神様達のテリトリーにも立ち入らないよう細心の注意を払う。人ん家の丹精込めて管理された庭を破壊して何も言わず逃走とか、最悪の通り魔でしかないからな。


そうやって跳び続けて四半時を少しばかり過ぎた頃だろうか。幾度目かの大跳躍をすると、周りより幾分か窪みながらも、大きく開けた土地が見えた。西の都――”アスカ”である。

 最近また宮殿を作り替えたばかりとか言うこの都の外れに、マタヒコの居場所を知らしめる縁の糸が続いていたのである。


「……マタヒコ」


 思わず口角が上がる。懐かしいあいつの気配が、こんなにも近くにあるのだ。ずっと、ずぅっと待ち続けた気配が。

 間違えようもない、あいつの魂がすぐ近くにある。ちょっとお堅くて頑固者の、ツンデレ野郎の魂が。




 そうして目的地が見えたことに浮かれていたからだろうか。それとも最近のんべんだらりと惰性で日を送って来たからだろうか。ああ、その両方に違いない。


 ”その気配”に気が付いた時、もうソレは目前に迫っていたのである。

 何が起きたか認識する暇も無く、ただ反射で咄嗟に腕を胸の前に交差させたのが精いっぱい。

 全目前を覆う閃光。網膜を焦がさんとするその中に、牙をむきだし威嚇する、巨大な狼の顔の残像が焼き付いた。


 揺るがす咆哮。雷鳴のごとき爆発音。

 刹那、大きな力に弾き飛ばされたかと思えば、次の瞬間には背が地面に叩きつけられていた。




 山肌の木々が、面白いように空に吹っ飛ばされては倒れてゆく。

 それが上空から一気に地上へと叩き落された、俺というミサイルがぶち当たったことにより発生している事象であることを、土埃にまみれた頭の隅にぼんやりと認める。


 両腕は、最初の衝撃で使い物にならなくなっていた。自力で勢いを殺す方法は、既に封じられていたというわけだ。

 成す術もなく地面に数尺も埋まり行けば、ようやく体の勝手な直線運動が止まった。しかし、ほっと一息つく暇も無く、何か強い気配がこちらに高速で近づいて来るのを感じ取る。慌ててその場から足のみの跳躍で宙に退避すれば、数舜前まで自分の体のあった所に、素早く潜り込む影が見えた。


 ドゴォン……

 黄泉ならばいざ知らず、下界ではとても聞くことの無いような地響きを伴う爆発音とともに、目下に土埃の柱が上がる。

 乱れる気流に上手く身を流しながら、地面に膝を使って衝撃を和らげ降り立つと同時に、そいつに向かって”声”を放った。


『何奴であるか。名乗りも上げず、いきなり攻撃を仕掛けてくるとは。よほど礼儀作法を知らぬと存ぜる』


 摩擦の熱に融ける体を構築し直し、再生した腕の片方を剣の柄に伸ばして相手を睨み据えた。

 すでに体の側面に流れる触手は紫に染め上げた。己の心が露見する心配もない。

 しかれどその内心は、変なのに絡まれた恐怖と、早く都にたどり着きたい焦りとがごちゃ混ぜになっていてとても見せられたもんじゃなかった。


 先方、砂煙が次第に晴れて行くにつれ、うっすらと人影が浮かび上がった。

 その影は、赤錆色の装束を纏った僧侶のようであった。手には何か長物を持っており、それは高圧の霊力のプラズマを帯びて、電光の輝きを放っていた。


 ……気のせいだろうか。ただの人間にしては、やけに圧が強すぎるような……。

 場に満ちる霊力の度合いに疑問を覚えつつも、仕上がった外面の表に内面が出ることは無い。


『名を名乗れ、不肖の者よ』


「……化生に名乗る名はありません」


 しかして、こちらも”声”に神力を滲ませ圧をかけるも、爛々と目を光らせた僧侶は逡巡なく宣った。


 ちぇー、即断かよ。

 名前を名乗ってくれたなら、そのまま名前を通して、きつめの呪いを送り込んで転がしておけたのに。そうそう上手くはいかないか。

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