第53話 とあるウェイの神の・オールモースト後編

『吾は、認めンぞ』


 突然に現れた茄子みづらの神は、顰め面にそう吐き捨てた。


 五寸釘の丸太を肩に担ぎ、眼光鋭く祟り神を睨めつけるその姿に臆する素振りはみじんもない。

 あれだけ間近で祟り神の悍ましき気を浴びて置きながら、ここまで平然としていられるのは、流石は力ある神といったところであろうか。


 ウェイの神は少しばかり感心して、むぅと唸った。


『ちょ、頭……止めておきましょうぞ』

『そうですぜ。あ、あんなの規格外ですぜ……』


 茄子みづらで前髪を固めた彼の神の眷属らが、主を止めようと恐る恐る声を掛けるも、全く相手にもされない。ただ無言のままに振られた、釘丸太の周囲に巻き起こった風に吹き飛ばされ、強制的に距離を取らされてしまった。




 場にある神々は、茄子みづらの神が怒りに心を支配されていると思って恐れおののいた。

 この神は荒くれものとして名を馳せていたものだから、その怒りのままに、一帯を燃やし尽くそうとしてもおかしくない状況であったのだ。


 憤怒たる要素は十分にあると言えた。

 渾身とは言わぬであろうが、一撃をいとも容易く受け止められた挙句、好いたひとには笑い者にされたのだから。


 しかし、茄子みづらの神は妙に静かであった。

 彼の司る炎がちらつくこともなく、ただ感情の読めぬ顔をして祟り神を見つめているのみ。




 そんな沈黙が幾ばくか続いた後のことである。ついに水を打ったようであった静けさが破られた。


『祟り神は、化け物である。吾は其れを神の類いとしては認めン』


 それを聞いて、ウェイの神は憤慨した。


 漸く口を開いたかと思えば、今も隣に佇む我らが仲間を侮辱するような発言をするか。この楽しき催しに水を差した挙げ句、まだそのようなことを。

 眉を潜めたこの神が、割って入ろうと口を開いたその瞬間である。


『――だが、貴様は何かが違うようだ』


 ウェイの神は思わず動きを止め、茄子みづらの神を凝視した。

 彼奴から漏れ出た言葉が、予想だにしないものだったからである。


 相も変わらず、荒くれ者と名を馳せるはずの彼の神は、ごくごく静かに相手を見ているのみ。

 ことあるごとに炎をちらつかせ、見る事毎にいつでも荒ぶりたる神が口をつぐめば、どこか不気味ささえも醸し出される。


 ふと、対峙する祟り神のことが気になりその方を見やれば、そちらも何も語ること無く、ただ相手の茄子のごときをみづらを見据えていた。




『進み出でよ、祟り神。吾は貴様に勝負を挑む。貴様が化け物でないと、この吾に証明して見せよ』


 釘丸太を突きつけ、荒くれ者の神はどら声で告げた。

 対する祟り神の頭飾りは再び紫に染まっており、色ではその感情を伺い知れなくなってしまっていた。


 今や、新しい催しの気配を感じて、散らばっていた神々がわらわらとこの場に集まり来ていた。

 その中心にて睨み合う二柱。図らずも、古代樹の広場での光景が再びよみがえっていた。


『よいぞ、向かい打て祟り神!』

『そんなゴロツキなど、コテンパンにやってしまえ!』

『さあさ、どちらが勝つか賭けようではないか! 参加する者は?』


 しかし、しんと静まり返っていた前とは違い、今回は好き勝手に野次が飛び交っていた。

 その輪の内にて押し黙る祟り神が、どこか居心地悪そうにしているように思えたのは、ウェイの神が長くこの神を観察していたからだろうか。


『……相分かった』


 渋々と言ったように若き神が勝負を受ければ、どっと歓声が上がる。

 その様子に若干の憐憫を覚えたものの、ウェイの神もまた面白いことを求めてやまない性なのであった。何やら茄子みづらの神にも心境の変化があったようであるしと、意識を切り替え周りに混ざり、仲間と共にやんやと野次を飛ばした。






 木々司る神たちが植物を操り、元から開けていた土地を更に空けさせ、大地司る神たちは凹凸を均し、平らな土地を作り上げた。


 そうして出来た広場の中央にて、二柱の神は今まさに対峙していた。

 すでに見合ってから幾ばくかの時が過ぎたが、一触即発の空気を纏ったままに、両者一向に動く気配はない。


 ひとりは炎司る、荒くれ者の西の男神。

 具現化した神気は常に見るものの比でなく燃え立ち、その揺らめく神気の勢いに、結わいだみづらがほどけて長い髪を逆立たせている。

 その灼熱の神気はごうごうと音を立て燃え盛り、遠く観客にまで届くほどの熱波にて、広場の下草を全て燃やしてしまった。

 みしりみしりと音を立て、唸り声と共に、元から大柄であった体格を十尺を越えんばかりに膨れ上がらせた、その風貌たるやまさに鬼神。


 対するは、つい先ごろ現れたばかりの異質の祟り神。

 頭から生える角と、はためく帯とを紫に染め上げ堂々と立ちたるが、先のおぞましき神気の一かけらも漏らすことは無い。しかれど、目の前の敵を見据えるその三つの真っ赤な瞳には、ぞくりと背筋を凍らせるような何かが潜んでいた。




 戦いの前、茄子みづらの神は言った。全力を用いよ、と。

 それにこくりと一つ頷いた祟り神は、黙したままに腰に帯びる得物をすらりと引き抜いた。その刀身は頭飾りと同じ色に染まっており、はっとするほど美しい。


 今、剣を構えるその姿を見ていると、遠く離れたウェイの神にもひやりと背筋を伝うものがある。炎操る男神に対して、こちらは氷の化身のごとき様である。




 と、数分とも数刻ともとれる硬直を破り、ついに茄子みづらの神が動いた。

 しかして、大地を踏み割り一直線に突進する男神に対し、祟り神は微動だにしない。ただ襲い来る巨体を見据え、静かに構えの姿勢を取ったままでいた。


 いよいよ茄子みづらの神が、黒き神の目前に到達する。炎を纏わせた丸太を大きく振りかぶり、太い腕に筋を浮き出させて思い切り叩きつけた。

 刹那、祟り神が動く。横に一閃、真一文字に振り抜いた。


 次の瞬間、太い丸太の中ほどに線が走り、上と下とがずれ動く。そして遂には滑り落ちて、真っ二つに割れてしまった。


 しかし、それで止まる茄子みづらの神ではない。丸太が断ち切られたのには目を見張ったが、すぐさま思考を切り替えると、短くなった得物を手放し蹴りを繰り出した。筋骨隆々の体格から放たれたその一撃は重い。


 足に纏う炎が空気に擦れて轟と音を立てる。扇のように火炎が広がり、周囲は業火に包まれた。

 そうしてぶわりと宙に舞った炎熱が晴れてみれば、既に目の前に祟り神の姿は無い。


 手ごたえは無かった。

 彼の神の姿を探し、素早く辺りを見渡した茄子みづらの神であったが、何を思ったかふと上を仰ぎ見た。


 ――瞬間、赤い視線に射竦められる。

 ひやり。首筋に、冷たいナニカが当てられた。




「つかまえた」


 勝利の歓喜を滲ませ、耳元でがした。






 大きく息を吐き、茄子みづらの神は脱力して言った。


『やはり、吾は祟り神を神の類いとは認めン』


 轟々と燃え盛っていた炎がふっと掻き消え、体高も見る間に縮んでいった。

 その動きに、首の位置も移動して行く。祟り神は急所に這わせていた得物を外すと、腰の鞘に剣を収めた。




『――だが、貴様のことは認めンでもない』


 そっぽを向いたままに告げられたその言葉に、祟り神は、縮んでも尚二回りほども大きな彼の神を仰ぎ見た。

 そして暫し考え込むように押し黙ると、ふいにクク、と喉を小さく鳴らした。


『貴方も、そちらの髪型のほうが似合っている』


 三つ目の眦を緩ませて言う。


『スサノオ様も、髪は結わずに自然のままであられた』




 それを聞いた、茄子みづらの神は、喉から妙な音を出しながら数度唸ったかと思えば、唐突に頭を掻きむしって野太い声でわぁと叫んだ。そして、ちかと一つ頭飾りを瞬かせた祟り神を尻目に、苦虫を噛み潰したかのような顔で告げた。


『完敗だ。嗚呼、完敗だよ。おい、其方。今までのことは謝ろう。済まなかった』


 潔く頭を下げ、元茄子みづらの神は謝罪した。

 それに驚き、あたふたと慌てふためく祟り神の頭飾りは紫の色から移り変わりて、ころころと様々に色を変え行く。


 驚いたのは何もこの神だけではない。一連の動向を眺めていた他の神々もが、突然の西の男神の謝罪にどよめいた。




 そうして暫くの間、何を言われようが頑なに頭を下げていた元茄子みづらの神であったが、ふと下を向きながら呟いた。


『ああ、それと――』


 顔を上げた荒くれ者の神は、正面にある、縦に裂けた三つの瞳孔をまっすぐに見据えて告げた。


『其方は化け物などではない。そう吾が保証しよう』




 きょとりと、祟り神は目の前の神を見て、一つ瞬きをした。

 そして、はっと一度瞳を大きく見開くと、口元を綻ばせ頬を赤らめた。


 薄紅に染まった頭飾りを手指に弄りながら、俯くその周囲にもう壁は無かった。

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