それは優しさか、それとも強さか。


「今、姜の邸宅には趙所縁の者はいるか?」

「いや、全員明明にくっついて冬胡に戻ってるが――どういう事だ? 急にお前ェら顔色悪くなりやがって。何かあンなら吐け!」

 子豪の疑問は尤もだろう。俊熙達にとってはまるで鴨が葱を背負って来たくらいの出来事だったが、子豪は蛙毒の話すら知らないのだ。

「確証のない話だ、広めず胸に留めておくと約束できるか?」

「誰に言ってンだよ、たりめェだろが。早く言え」

 俊熙が子豪の傍らに侍っている男に目を向けると、その男も無言で縦に首を振った。

 それを確認して、先程東宮で出た情報と仮説を順に説明した。子豪の顔はみるみる内に険しくなり、始めは打っていた相槌も無くなっていく。

「…ということで、こちらの推測としては武器の輸出と引き換えに、金とその都合の良い『蛙毒』を夏蕾に入れている可能性がある、と…」

「…それが本当だとしたら、兄貴は大罪だな」

「まだ分からないがな。もしかすると趙の仕業かもしれない」

「そうだとしても、だ。それを許す隙を与えたのは兄貴だし、更に言やァそのきっかけを作ったのは親父だ」

 子豪はその肩を落として項垂れる。これまで殊勝な態度をとったことはあったがここまで落ち込む様子は初めてで、俊熙も少しばかり驚いた。

「…ねぇ子豪。秀英さんがその、武器を大量に冬胡に送ってるっていうの、どうやって気づいたの?」

 香月がそう問う横顔を、俊熙はチラリと見た。

 そう言えば香月は秀英に婚約破棄をされたんだったか。子豪ともかなりの因縁があるという事実は昨晩芳馨から伝え聞いてはいるが、香月はそんな事を噯にも出さない。それは彼女の優しさか、それとも強さか。

「この前の端午節があったろ。毎年姜家が竜船競渡の取りまとめしてたの、お前覚えてるか」

「…ああ、あの船で速さを競う遊戯。そう言えばそうだったわね」

 その会話を聞きながら俊熙も皐月の頃に開催した端午節の儀式を思い出す。夏蕾の年中行事の中でも特に血気盛んな行事のため、官吏達が毎年準備や対応に追われる面倒な――いや、大掛かりな儀式だ。

「急に兄貴が、取りまとめ役を降りるって言い出してな。姜家としては年に一回の伝手を広げる絶好の機会なもんで毎年張り切ってたんだが、それを突然棒に振ったンだよ」

 子豪は眉間に皺を刻んだまま不機嫌そうに酒を呷った。

「おいお前ェら、折角酒出してやってンだから呑みやがれ」

 と、話の途中にも関わらず突然酒を勧めてくる。

「……いや、まだ仕事中だから飲めないぞ」

「付き合い悪ぃなァ! これから共闘すンだから初めくらい付き合え!」

「ちょっと子豪、無理言わないでよ」

「何なら香月はこっち来い。良く一緒に呑んでたじゃねェか」

 これからが大事な所だったのに、子豪は機嫌悪く香月に絡み出す始末である。

「子豪〜、香月ちゃんに絡むのやめてよね」

「ああ、殿下はまだ酒呑めねェ歳だっけかぁ? そりゃ残念」

 皇太子殿下になんて失礼な物言いか。

 俊熙の怒りとは裏腹に、子豪は従者に酒を注がせて更に杯を呷る。そう言えば俊熙達がここに到着する前から既に酒を入れていた様だが、もしや既に酔っているのか。

「兄貴が国家転覆謀ってるかもしんねェのに、――しかも親父の毒殺騒ぎまで判明して……素面で居られるかよってンだ」

 ボソッと漏らした子豪の言葉で、思った以上に彼が参っているというのが理解できた。それこそ、酒を入れねばならないくらいに。

「香月、折角そんな着飾ってンだ、酌でもしてくれよ。前はよく一緒に杯交わしたじゃねぇか」

「……いつの話してるのよ」

 少し落ち込んだ子豪に同情したのか、香月はひとつ溜息をついてから立ち上がる。そしてあろう事か子豪の方まで向かったのである。

「嬢ちゃん?」

 思わずといった様子で磊飛が呼びかけるが、磊飛が言わなければ俊熙が呼び止めていただろう。

 何か大層な因縁があったせいで、香月にとって子豪は危険な存在だったのではなかったか?

「一杯だけね」

 座席を空けた従者の代わりに香月が子豪の右横に座る。その様子はとても『何かあった二人』には見えない。ただただ、幼い頃から時間を共にしてきた幼馴染である。

 あんなに『あの二人を近づけるな』と言っていた芳馨の言が似つかわしくないほど、香月が発する空気はどこまでも『普通』だった。

「……で、取りまとめを降りてどうしたの?」

「んああ、流石にオレも言及したンだよ。そしたら『もう夏蕾内で小さく商売をする時期は終わりだ』って」

 香月が希望通りお酌をしたことで少し溜飲が下がったのか、再び子豪が話を進めた。

「確かに数年前から他国に少しずつ販路は広げてたがよ、親父が夏蕾内の伝手をかなり大事にしてたから兄貴がそんなこと言い出すなんて驚いてな。――だから、ちょーっとだけ兄貴の商路を調べさせたんだ」

「で、武器を冬胡に流してるのがわかったってこと?」

 太燿の問いに、子豪がしっかと頷いた。

「これが冬胡への武器じゃなけりゃ、何も気にしなかったんだ。でも流石に冷戦中の相手国に…ってのはどう考えてもヤベェだろ?」

「ねぇ、その武器の出処は分からないって言ってたけど、目星くらいはつい…きゃ、ちょっと!」

 香月の小さな悲鳴と同時に、子豪の腕が香月の腰に絡みついたのが卓の向こう側に見える。

「子豪、やめてよ!」

「おい姜子豪!」

 香月は腕を伸ばして子豪の顔を押しているが、子豪の身体はびくともしていない。

「いいから慰めろよ香月。オレぁ信じてた兄貴に裏切られて傷心なンだ」

 なんて勝手な理屈だ。

「ちょっと、私妓女じゃないってば!」

「なんだよオレとお前の仲だろォが」

 向かい側で押し問答が繰り広げられて、こちら側の男三人が口々に子豪を諌めるが、子豪は悪酔いしているかのように聞く耳を持たない。

「姜子豪!」

「おぉい坊ちゃん、一応殿下の御前だぞ」

「子豪、怒るよ?」

 しかしそれどころか、より香月の身体を引き寄せてしまう。

 どうすべきか頭で考えていると、香月がこちらに視線を遣ってきた。眉をこれでもかと下げて、完全に困った表情。まるで助けを求めているような。

 その瞬間、身体が勝手に動いていた。

 立ち上がり大股で子豪の元へ近寄ると、昼間天井裏に押し込んだ時と同じように思い切り香月の身体を持ち上げた。

「いい加減にしろ、姜子豪」

 まるで玩具を取り上げられた子どもの様な表情をした子豪は一際大きく舌打ちをする。

「おい官吏サマ、邪魔すんじゃねェよ」

「邪魔も何も、香月は妓女じゃない。何を勘違いしている」

「ンだよ! じゃあお前ェが呑み比べでもして気ィ紛らわせてくれンのかよ?」

 どうやら香月に慰めて貰いたいという訳ではなく、その言葉の通り気を紛らわせたいだけらしい。

「わかった、後で付き合ってやるから、ひとまず話を最後まで聞かせろ」

 呆れて溜息をつくと、子豪は渋々といった様子で「わぁったよ」と呟いた。

 香月が明らかにホッと息を吐いて、俊熙はその身体を左腕に抱えたままだったことに気づく。

「っ、済まない」

「あっ、いえ、ありがとうございます…」

 手を離すと、俊熙の腕を掴んでいた香月の手もサッと離れていった。

「んじゃ早く座って続き話そうぜ。んで、呑もう」

 子豪はもう香月への興味を失ったのかシッシッと手で払う仕草をして、もう一度酒を呷った。どこまでも勝手な男だ。俊熙は呆れた溜息を吐くと、元の座敷に座る香月を見届けてから自身も太燿の横に腰を据えた。

「で? 何だっけ?」

「…だから、武器の出処の目星。ついてないの?」

 香月の言葉に子豪はすぐに結論を出す。

「恐らくその辺の商人からじゃねェな。かなり手ェ広げて夏蕾の流通とか関所の通過記録も漁ったけどよ、それらしい痕跡は無かったんだ」

「えぇ、そんなことある?」

「いやオレも関所の武官と手ェ結んでンのかなとか思ったンだが」

「んなわけねぇだろ! 関所の物流はかなり厳しめに何重にも管理してんだから」

 郎官への疑惑に磊飛がすぐに反駁する。

「通過記録でそれらしいモンがねぇなら、本当に関所を通っていないか――または、バレねぇようにかなり上手く隠してるかだ」

「後者の場合も問題だがな」

 磊飛の言に突っ込みながらも、俊熙は顎に手をあてて考え込む。夏蕾内で調達した様子が無いらしいが、しかしそれなりの量の武器が流出するということはそれだけの量が生産されているはずである。夏蕾軍で管理されている武器数に不備はない。ならば、軍の与り知らぬ所で新しく造られて出されていると考えるのが自然か。

「鍛冶町に官吏を送ろう」

 夏蕾国内に幾つかある鍛冶町を脳内地図で確認していると、子豪が葡萄を頬張りながら追加した。

「なら、ついでに秋黎国(しゅうれいこく)からの物流ってのも調べられるか?」

「秋黎?」

「あぁ、流石にオレの伝手だけじゃそっちまで調べらんなくてよォ」

 秋黎国は夏蕾の南側から続く国で、古くから夏蕾と友好関係にある。もちろん貿易も恙無く行われているため、子豪は『そこ』が武器の仕入れ先ではないかと疑っているのだ。

「わかった、武器に絞って調査しよう」

 俊熙が鍛冶町調査と秋黎国調査の手筈を脳内で整えると、子豪は更に要望を追加してきた。

「昼間言ったように可及的速やかに解決してェんだが、調査はいつ出来る? 意外と時間がねェんだ」

 その言葉に太燿が口を挟む。

「どういう事?」

「いや、根拠は何もねェんだが、なーんか嫌な予感がしててよ」

 それなりに酔いが回った男の予感ほどアテにならないものは無いのだが。

「兄貴、次の天長節のことかなり気にしてたからよ。――何か企んでる気がしてンだ」

 『可及的速やかに冬胡との物流を止めろ。』

 昼間言っていた言葉の理由に合点がいく。

「…だから天長節までに太燿さまに会わせろって言ってたのね」

 香月がそう言ったのを聞いて、ただの酔っ払いの戯言では無いこともわかった。

「……承知した。急ぎ調査は進めるが…お前はどう働くつもりだ? 姜子豪」

「顔が怖ェよ、官吏サマ。言われなくてもちゃんと働くっつの。オレぁ明日、兄貴にバレねぇようにちょっくら冬胡に行ってくる。明明あたりの動きを調べてェんだ」

 なるほど、趙側を調べるというのは確かにアリだろう。

「…大丈夫なのか」

「なんでェ心配してくれてンのか?」

「そういう訳ではない」

 ガハハと楽しそうに笑って、子豪は酒のおかわりを部屋の外に向かって要求する。

 本当に自由奔放な男だ。酒も良い感じに回っているようで機嫌がコロコロ変わる様子に俊熙はまた溜息をついた。

「よし、とりあえずお互いやること決まったから、約束の呑み比べだぞ、官吏サマ」

 待ってましたとばかりに妓女が幾人も酒を持って入ってきて、あからさまな青楼の雰囲気に面々は呑まれていった。


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