運命ってヤツはとことん皮肉だねぇ
連日この格好で東宮を訪れるのは如何なものだろうか。
そう疑問に感じるが、前を颯爽と歩く芳馨に物申せないまま、香月は東宮の正門近くの部屋に通された。
そこまで広くない室内には壁一面に書棚が誂えてあり、執務机には何冊か読本が積み重ねられている。これが後宮管理官の執務室かと、思わずキョロキョロ見回す。が、はしたないと芳馨に窘められた。
「そういえば聞いたわよ、明日に決まったみたい、姜子豪との密談」
「え…そうなんですね」
さらりと情報共有されたが、香月は驚く。
香月が約束の商人に言伝を頼んだのは今朝、日も高くなる前であったのだが、それからまだ二刻と経っていない。そんなにも早く話がまとまるとは思ってもみなかった。
「俊熙からは香月に言うなって言われてたんだけど、まぁ知ってた方が安全なこともあるから」
「…ん?それってつまり危険な場合もあるってことですか?」
「あらそうね、物は言いようね」
なんだか微妙に誤魔化されたが、芳馨なりの気遣いなんだろうなとわかる。
「…俊熙さまはなんで言うなって仰ったんでしょう」
「さぁ?気になるなら聞いてみれば?ワタシが漏らしたってのも別に言っていいし」
俊熙と芳馨の関係性がなんとなく掴めないが、思ったよりも心理的安全性が確保された関係なんだろうなということがわかった。
「…仲良いんですね」
「……ん?誰が?」
「俊熙さまと、芳馨さま。……というか、みなさま?」
年齢もそれぞれ、役職もそれぞれ違うが、昨日集まっていた人は気心知れた仲のように見えた。
「磊飛さまや雲嵐さまも、とても仲良しだなぁ、って」
「仲良しィ?」
芳馨は執務机の書籍をいくつか物色しながら、素っ頓狂な声をあげて反論する。
「別に仲良しなんかじゃないわよ。目的ががっちり一致してるだけ」
「目的?」
「そ。その目的がぶれない限りはお互い裏切ることはないかなって、信頼はしてるわね」
俊熙、芳馨、磊飛、雲嵐。
香月は四人の様子をもう一度思い浮かべて、なんだかいいなぁとぼんやり思う。
目的を同じくした、いわば同志というものだろうか。いつか、俊熙のことをまるで同志のように感じたことがあるが、きっと芳馨が言っているのはそんな上辺だけの感覚ではなく、もっと信念の奥深くにあるものなのだろうと思われた。であれば香月にとってそれは、恐れ多いが水晶のような存在なのかもしれない。
「なんだか羨ましいです」
ぽつりと言うと、変なものを見る目で芳馨が視線を合わせてくる。
「何言ってんのアナタ、もう片足突っ込んでるじゃない」
「…へ」
「アナタも俊熙の目的に賛同したんじゃないの?ワタシ達はそう聞いてるけど」
「……目的、って」
香月の脳裏に浮かぶのは、あの時廊下で見せた、俊熙の真摯な瞳だった。
『……恩に着る』
『あの方を救うことを選んでくれて』
俊熙は、何よりも太耀を守りたいと願って、香月に依頼をしてきたのだ。きっと目的はそこにある。つまり、芳馨たちも遠からず同じ方向性の目的があるということだ。
「太耀担…」
「ん?」
「いえなんでもないです」
役職に関して言えば恐れ多い、手の届かない存在の人達ではあるが、香月はとてつもない親近感を覚えて嬉しくなった。
「お役に立てるように、私も頑張らないと」
「あら、いい心掛けじゃない。なら、今から始まる特訓も、耐えられるわよね?」
「うっ、……ハイ、努力します」
「よろしい。じゃあ…」
バサリと手に持っていた書物を机に置くと、芳馨は爆弾を投げてきたのだった。
「とりあえず、それ脱いでもらえるかしら?」
*
「ねぇ〜俊熙ィ」
雲嵐は天井からぶら下がりながら、執務机で書類仕事をする俊熙に話しかける。
「なんだ雲嵐、私は忙しいんだが」
「わかってるって、明日の密談の為に必死で時間空けようとしてんでしょ?」
「わかってるなら邪魔をするな」
「邪魔じゃないって、結構大事だと思うんだけど」
雲嵐がそう言うと、俊熙は手を動かしたまま口を止めた。続きを言えと、そう言っている。
「現状明らかにしないといけないことって、まず香月の誘拐に加担した人間を全て洗い出して参入禁止にすることと、あとは桔梗殿に居た例の女官の身分と足取りを掴むこと、だよね?」
「……まぁそうなるな」
「たぶん前者は明日の密談で突き止められるじゃん?でも後者って、なんか手考えてんの?」
俊熙はしばらく無言のまま印を書類に押していたが、一段落つくと抽斗から書類の束を取り出し、雲嵐へと掲げた。
スタリと着地した雲嵐がそれを手に取り、無言でめくる。読み進めると、その眉間に皺ができていく。
「マジ?」
「ああ、昨晩芳馨が仕入れてきた」
「……なるほど、お師匠のネタなら確実か」
雲嵐はざっと資料を見終わると俊熙へと戻す。
「夏家って、蝋梅殿の淑妃の生家だっけ?」
「ああ、そして反第二皇子派の筆頭格だな」
「これってそんな誤魔化せるもんなの?参内試験ってガバガバ?」
その言葉に、俊熙は持っていた書類を丸めてぽこんと雲嵐の頭をはたいた。
「滅多なこと言うなよ、雲嵐。宗正寺卿を敵に回す気か」
雲嵐は舌をぺろりと出しておどけて返す。
「ジョーダンだよ冗談」
まぁ半分本気だったけど。
言葉を呑み込んでから、雲嵐は再び口を開く。
「淑妃にはそんな様子なかったから、後宮に影響は無いもんだと安心したのにねぇ〜。まさかそんな斜め上の方向から、アタリが出るなんて」
「ああ。しかも夏家は郭家と姻戚関係にある。つまり郭将軍が冬胡と関わりを持とうとしている件とも、夏家が繋がっている可能性が高いな」
「…予定以上に、香月の存在価値が高まってきてる気ィすんね」
「……」
無言になる俊熙を、雲嵐は面白そうに見遣った。
今まで、こんな風に罪悪感でいっぱいの俊熙の表情を見たことがない。初手から服毒事件で香月を可哀想な目に遭わせてきた負い目があるらしいが、そうは言ってもこれまでの俊熙からは考えられないほどの配慮だと思う。結局は香月も女官であり、皇族に遣える身であることは間違いない。その辺りいつも割り切っている俊熙の、『らしさ』が無いなと感じるのである。
「ねぇ、ホントに香月のこと何とも思ってないの?」
軽く問うてみたが、俊熙は不機嫌そうに眉を寄せて雲嵐を睨みつけてきた。
「まだ言ってるのか」
「だってサ〜、みんな言ってんじゃん、珍しいって」
「…作戦に女官を入れたことから既に例外なんだ、仕方ないだろう」
まぁそれもわからなくもない。なんだかんだ言って俊熙は優しいし、情に厚い男なのである。
「それに、私は誰かを娶る気も添い遂げる気もない」
目を伏せ、当たり前のことのように言う俊熙に、雲嵐は可哀想だなと素直に思った。幸せになるべき人物なのに、生まれや経歴のせいでそれが『普通』に出来ない男。
ハナから自由な雲嵐と違って、成し遂げるべきことや背負ったものの重さを一身に受け止めて向き合っている俊熙に、改めて尊敬の念を抱いた。
「でもサ、太耀サマが即位して俊熙が自由になれば、妻を迎えることだって出来るわけじゃん?願うのは自由…」
「雲嵐」
強い口調で止められて、雲嵐は口ごもる。
俊熙の瞳には強い光が宿っていた。
「太耀様が即位されれば、そこからまた新しい使命の始まりだ。終わることはない」
それは本気の言葉だとわかる。わかるからこそ、雲嵐はやるせない気持ちになる。
俊熙がぽいと机上に置いた書類に、視線をやる。
香月はきっと、俊熙に惹かれているんだろう。そんなの見ればわかる(わかっていないのは多分俊熙と筋肉馬鹿の磊飛だけだ)。
そもそもが身分違いではあるのだが、こんなに俊熙が心の割合を割く女は香月が初めてだった。
雲嵐は、俊熙に大きな恩がある。
幸せになって欲しいとも思う。
だからこそ、香月には期待している部分があるのだが。
「運命ってヤツはとことん皮肉だねぇ」
雲嵐は独り言のように、そうぽつりと呟いた。
目線の先、書類の一番上には、『反第二皇子派一覧』という文字と、『夏水晶』という文字が踊っていた。
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