だから目立ちたくないとあれほど…


「次が最後だ」

 香月は下から聞こえる俊熙の声に身を固くする。

 もう最後。

 東宮内の宮女を全て呼び出し、昨晩の様子を俊熙が聞く。そしてその様子を、香月は天井裏から覗き見ていた。

「ホントに大丈夫なの〜?」

 小さめの声で雲嵐が横から言ってくるが、香月はひたすら冷や汗をかいていた。

「もう三十人くらいは見たけど…ホントにいなかったの?」

 そうなのだ。化粧師は特徴を覚えるのが得意と豪語しながら、結局香月は最後の一人になるまで件の宮女を見つけきれていないのだ。

「やっぱ何処にでも居そうな女だったもんな〜」

 そう言って天井裏で伸びをする雲嵐の声には、どこか落胆の色が含まれている。

 香月は大きく息を吸って、無意識に止めた。

 扉が叩かれ、俊熙の応答ののち一人の宮女が入ってくる。

 香月はその宮女を、上からしっかり観察した。ほとんど化粧も施していないその宮女は、昨晩案内してくれた――もとい毒を盛ってくれた――宮女とは別人であった。

 香月は静かに首を横に振る。

 それを見た雲嵐は長めにため息をつくと、手元の鏡で俊熙に合図を送った。

「では昨晩は亥の刻には宿舎に居たんだな」

「は、はい…同室の子と一緒でした」

「そうか…、わかった。協力感謝する、職務に戻ってくれ」

 俊熙は適度に会話を切り上げ、宮女を退出させる。

「居なかったか」

 宮女が出ていったあと、ぽつりと俊熙が漏らす。

 落胆も怒りも見えないいつもの声音に、逆に恐ろしさを感じてしまう。

「んまぁ〜、オレはそこまで期待してなかったし?」

 雲嵐がカラッとそう言いながら、天井からするりと飛び降りた。そのまま香月を煽ぐ。

「やっぱ暗かったからよく見えなかったのかな〜」

 雲嵐の言いたいことは良くわかった。暗かったからよく見えなくて『特徴を覚えられなかった』と言いたいのだ。

 しかし香月はハッキリと明言できる。

 この東宮に毒を盛った宮女は『いなかった』のだと。香月はそれを力強く言い募りたいが、しかし実績もない身ではどうしようもない。

 ただ東宮に居ないとすれば、宮廷か、後宮か、はたまた完全なる外部犯か。探す範囲はぐっと広くなる。

 香月は見つけるまで追いかけたい気持ちでいっぱいだが、如何せん後宮に仕える女官の身。よっぽどのことが無ければ外に出ることは難しい。

 香月がそんなことを天井裏に蹲ったまま思案していると、無言で香月を見上げていた俊熙が口を開いた。

「分からなかったのか、居なかったのか、どちらだ?」

 その眼は真剣そのもので、香月は驚く。

 てっきり雲嵐と同じような感想を抱いているのだろうと思っていた。

 香月を化粧師として信頼してくれようとする彼の姿勢に、香月はじんわりと胸に嬉しさが広がっていくのを感じた。

「居ませんでした」

「…確かか?」

「はい」

 しばらく見定めるように俊熙の目が香月を貫く。

 香月も信頼を得るため、視線を逸らさずいた。

「見つけられるか?」

 思わぬ台詞に、一瞬思考が止まる。

 それは、『東宮にいない』犯人を、ということだろうか。正直行動に制限のある香月には難しい話だが…。

「あの、私はしがない後宮女官です」

「…ああ、そういうことではなくてだな」

 おずおずと申し出ると、俊熙は言い方を間違えた、という風に手を振る。

「その宮女の特徴とやらを、見つけるまで覚えていられるか?ということだ」

 なるほど、意図はわかった。しかし、忘れない自信はあるものの香月は探す手段を持たない。

「覚えてはいられます」

 とりあえずそう答えると、俊熙は昨晩香月に見せたのと同じような、挑戦的な笑みを浮かべた。

「そうか、なら話は早いな」

 そして無表情に戻ると、事も無げに言い放った。

「行動の自由をやろう。十日以内に見つけ出してくれ」

「……………………は?」

 理解が及ばず思わずそう吐いてしまった。

 雲嵐が楽しそうに口笛を吹く。

「まずは後宮内だな。手練の化粧師として各妃の殿に派遣する書状を書こう。宮女の数が圧倒的なのは後宮だからな、とりあえず各殿回れば情報も集まるだろう」

「ちょちょちょ、待ってください!化粧師として!?梦瑶さま以外の妃を気飾れと!?」

「そうだ」

「なんでそうなるんですか!?私は目立ちたくないとあれ程…っ」

「すまないが、その願いは聞き入れられなくなった」

 俊熙は大真面目な顔でそう言う。

 それを見て思わず香月は声を失ってしまった。

 平穏に、ただ主のささやかな幸せを手助けしながら、密やかに過ごしたかったのに。

 いつからこんな道を踏み外してしまったのだろうか。

「お前の力が必要だ、呉香月」

 熱い瞳で見上げてくる俊熙に、あの時の梦瑶の言葉が重なって、香月は息をのむ。

『わたくしには貴方の力が必要よ、香月』

 何もかも失った時、その言葉がどれだけ香月を救ったか。

 それと同じ熱量で、俊熙は香月の技術を求めている。

 ……そんなの、断れるわけないじゃない。

「――わかり、ました」

 そう、言ってしまった。

 言ってすぐ後悔するが、どこか嬉しそうな、安堵したような俊熙の表情を見ると、まぁいいか、と思ってしまった。

「あーあ、波乱の幕開けっぽいね〜」

 一方で雲嵐は面白いものを見つけた子どものようにニヒッと笑った。

「では、手配が出来次第また追って沙汰を出すから、今日はひとまず桔梗殿に戻っていいぞ」

 俊熙からお許しをもらい、とりあえずほっとした。

「んじゃー降りといで〜ぴょんっとね」

 話が一区切りついたのを見計らって、雲嵐がその場でぴょこっと小さく飛び跳ねる。

 そうだった、ずっと天井裏にへばりついたままだった。

 香月は天板と天板の隙間に脚を投げ出して飛び降りようと試みる。が、意外に高さがあり怖気付く。

「何してんの〜はやく〜」

 後宮まで送ってくれるつもりなのだろう薄茶の少年は、まごつく香月を急かしてくる。

 急かされても怖いもんは怖いのだ。

 それに、だいぶ感覚は戻って来てはいるが、まだ少し左腕と左脚には痺れの残渣があるような気がする。ここに登る時は雲嵐に手伝って貰ったのだが、降りるのは自力でやれということらしい。

 よし、と腕に力を入れ、勇気を出してお尻を浮かせた時―――

「っきゃ!」

「!」

 指が、埃で滑った。

 肘を天板に擦り付けながら、身体は重力に任せて下へと落ちる。

 その刹那は妙にゆっくりに感じた。

 落ちる……!

 衝撃に身構えて目をぎゅっと瞑った香月に、しかし襲って来たのは痛みではなく温もりだった。

「…?」

 数瞬耐えたあと、そっと、目を開ける。

 目の前――本当にあと少しで鼻先がぶつかるところに、俊熙の顔があった。

「――っ!!」

 香月は一瞬で理解した。

 俊熙は香月を庇った。そしてそのまま後ろに倒れ込んだのだ。

「っご、ごめんなさい!」

 思わず美しい顔面が目の前に現れたこと、そしてしっかりと背中を腕で包み込まれていること、色んなことが一気に意識されて、香月の顔に熱が集まる。

「はっは〜赤くなってやんの〜!」

 まるで悪ガキみたいな冷やかしが、助けようともしなかった雲嵐から飛んできて一層顔が熱くなる。

「ち、ちが…」

「……お前、思ったよりも重いな」

 違う!と言おうとした矢先、俊熙から、とてつもなく失礼な言葉が飛び出した。

「……はい?」

 今、とんでもなく女性に言ってはいけない系の台詞聞こえましたけど?

 胡乱な顔で俊熙を睨むと、いつもの無表情で見返され、これはどうやら本音だなと判り、香月の顔は先程とは別の意味で赤くなった。

「宦官なんだから、女心もわかってないと後宮じゃやってけませんからね!?!?」

 香月は捨て台詞のようにそう叫び、俊熙を突き飛ばす勢いで立ち上がるとそのまま扉から飛び出すしか出来なかった。





「……」

「……」

「ねぇ俊熙ぃ」

「なんだ」

「俊熙って不能だったの?」

「馬鹿か」

 雲嵐がすっとぼけたようにそう言って、俊熙はその三文字を吐き捨てた。

「宦官って名乗ったんだ?」

「いや、名乗ってはないが…まぁ後宮に居たらそう思うのは当たり前だろう」

 俊熙は立ち上がり、官服の裾を手で払う。

「んまぁ〜そうか〜」

 香月を送りそびれた雲嵐は、諦めてそこにある椅子にどかりと座って呑気な声を出す。

「大変だねぇ、お忍びの身も」

「雲嵐」

 案じた台詞を、俊熙が咎める。

 雲嵐が舌を出して「はいはい」と答える。

「…とりあえず、まずは書類を作成するか」

「頑張って〜、オレは太燿さまんトコ行くわ〜」

「頼んだ」

 瞬間、雲嵐は俊熙の目の前から居なくなり、微かな足音が天井を走って行く。

「……ふぅ」

 俊熙はこれからやるべき事を頭で整理しながら、その部屋を颯爽と後にしたのだった。


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