第8話 最強中年は弟子入りする
「そこのお兄さん、調子はどうだい?」
突如、20才くらいの若い男性に話しかけられた。私と同じ全身赤一色のジャージ。違うのは私のロードバイクは青色だけど、彼はロードバイクも赤一色なところか。知らない男性にいきなり声をかけられて、どのように返答しようか悩んでいると、飲み物を買いに行っていた西野が戻ってきた。
「何だ山口も来ていたの?」
「誰が山口だ!?
「でも仲間からは山口って呼ばれているでしょ?」
「ちっがーう! 俺は東尾隼人、人呼んで
何で山口って呼ばれているのかは分からないが、東尾さんがアニメやヒーロー好きなのはロードバイクに張られたステッカーを見れば分かるな。中二病満開のネーミングを堂々と名乗るのは、見ている方が恥ずかしいと感じるけど……
「ところで何用? もう帰るところなんだけど」
「そこのお兄さん足切りだったから少し気になっただけだ」
「心配してくれてありがとう東尾さん」
早く帰って峠を走る予定だった西野は苛立っているが、私は嬉しかったので素直にお礼を言った。一番下のビギナークラスで足切りになった程度の私を気にかけてくれたのだからね。自転車乗りは知らない他人を気遣うのが普通なのか? それとも東尾さんの性格なのか?
「お兄さんどうだい? クリテリウムで勝ちたいなら俺の弟子にならないか?」
「ちょ、ちょっと! 初対面の相手にいきなり弟子になれって失礼じゃない!」
「だって、悲しいだろ。初レースでいきなり足切りくらって止めちゃったらさ」
弟子入り?! 気にかけてくれただけでなく、ロードバイクについて教えてくれるのか。これは嬉しい申し出だ。西野は感覚派で細かい事は教えてくれないからな。「走っていればそのうち早くなるわよ」と言われても不安しか感じない。
「私は中杉猛士です。弟子入りしたいので宜しくお願いします、東尾師匠」
「ちょっと猛士! 相手の実力も知らずに弟子入りするの?!」
「残念ながら、このレース会場に私より実力が劣る人は誰もいないよ。折角の申し入れだから受けてみたい。弟子入りってのも楽しそうだしね」
「はぁ、自分の半分も生きていない相手に弟子入りって……猛士は本当に変わっているわね」
西野は飽きれているが、弟子入りという行為自体が男心をくすぐる楽しいものなのだ。子供の頃に拳法の老師に弟子入りして強くなる事は、男なら一度くらいは夢見る事だ。まぁ、内容がロードバイクで、相手が20才年下になってしまったけどな……
「よっしゃ、俺がどうして
「ハイハイ、で猛士はどうするの?」
「師匠のレースを見ていくよ」
「そう、それじゃ私は予定通り峠を走りに行くから先に帰るね」
「今日はありがとうノノ!」
私は師匠のレースを見る為にレース会場に残る事にしたので、これから峠に走りにいく西野と別れた。まぁ、私はこの後峠に走りに行く体力などないので、元々レース会場で解散する予定だったから問題はない。
西野が去った後、会場脇の草むらで師匠と話を続けた。
「猛士さんはノノって呼んでるのか?」
「あぁ、シゲさんが呼んでたから、それが普通だと思ってね」
「なるほど、シゲさんとこのお客さんだったのか。それなら整備関係は問題ないな」
「問題がある場合があるのか?」
「あるよ。普通に走るだけなら全く問題ないけどね。レース中はロードバイクに大きな負担がかかる。だから事前に点検してもらっておいた方がよいよ」
そいういうものなのか。やはり師匠に弟子入りして良かった。レースを含めたロードバイク全般について詳しいようだからな。その後、私の敗因について話し合った。私が一番誤解していたのは平均時速40kmだ。まさか、山岳地帯の上りコースも含めて平均時速40kmだったとは……平地区間だけみれば時速50km前後で走っていたとは知らなかった。しかも、今回出場したクリテリウムは巡行時の速度より、加速力が重要なレースだというのも勉強になった。実際にストレートでは同じ速度だったけど、立ち上がりでかなり距離を開けられたからな。時速40kmまで4秒で上げられる人と、10秒かかる人では距離が離されるのは当然だ。
立ち上がりの連続、スプリントインターバルは特別に練習しないと鍛えられないらしい。鍛え方も後で教えてくれる事になった。
個人的には
「猛士さん、スプリントはイメージが大事なんだ! 神経に指令を出して筋肉を瞬時に収縮させるには、力を爆発させるイメージが絶対必要だから! 俺の場合は自分で考えた必殺技を叫ぶ事なんだ!」
必死に訴えかける師匠を見て思う、この後の師匠のレースを見て理解出来る様になろうと……
こうして私は挑戦者として戦うべき相手と師匠を得た。
そして仕事で得た『最強』の称号と、戦う相手がいない虚しさを忘れる事が出来たのであったーー
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます