第6話 最強中年は調子に乗る

 今日は西野と一緒にヤビツ峠を走る日だ。南原さんのお陰で高速巡行出来る様になったので、前回より10分短縮してヤビツ峠の入口の名古木の交差点までたどり着いた。早く着いた分、足を休められるのは有り難い。6時になり西野が現れたので挨拶を交わす。


「おはよう、ノノ!」

「よろしい、合格」


 挨拶の返事が「よろしい、合格」なのは如何なものかと思うが、「ノノ」と呼ぶ事が西野と関わる上での必勝法である事に間違いはない。


「前回の走行データを元に、前をゆっくり走るからついて来て」

「前を走るってドラフティングの事か? 速度が出ないヒルクライムでも意味があるのか?」

「あるわよ。特に向かい風になった時ね。次に信号が変わったら行くわよ」


 信号が変わり西野が走り始めたので、置いて行かれないように追いかける。約束通り西野は前回の私のデータ通り時速8kmを維持してくれた。置いて行かれる心配が無くなったところで、南原さんに教えてもらったケイデンスを意識して走る。自分に合うケイデンスが分からないから、まずは南原さんがヒルクライムで得意な80rpmから順番にケイデンスを10rpmづつ落として得意なケイデンスを探した。


 80rpmーーハッハッハッ……足の負担は低いけど、少し呼吸が速くて息が苦しい。

 70rpmーーハァハァハァ……足の負担は少し増えたけど、呼吸が楽になったな。

 60rpmーーフーッフーッ……太ももが張るほどに足の負担が大きい、呼吸はだいぶ楽だけど。


 どうやら私にはケイデンス70rpmが合うようだ。得意なケイデンスが決まったら後は必死にペダルをこぎ続けるだけだ。ケイデンスとギア選択がうまくなったお陰で、速度も若干上がって時速10kmまで上がる。

 時速8kmと10kmなんて誤差みたいなものだけど、成長が感じられるのは楽しい。気が付いたら前回リタイアした鳥居を超えているではないか。更に喜びがこみ上げたが、嬉しい気持ちをへし折りそうなくらい、絶望的に真っすぐな上り坂が続いている。


「ここから斜度がキツクなるけど頑張って!」


 前を走る西野から激励が飛ぶ。今まででも苦労したのに更に斜度がキツクなるのか……再び時速8kmまで落ちるが必死にペダルを回し続ける。足元からは疲労による痛み、背中には太陽による熱気を感じる。早朝の6時から走っているからマシな方なのだろう。これが日中だったら焼け焦げる様な思いをしていたのだろうな。


「あそこを左折した所にバス停があるから休憩しましょ」


 再び西野に声をかけられたが返事などする余裕はない。返事の代わりに僅かに頭を下げた。もうすぐ休憩できるのかと思い、坂の上を見ると左カーブが見えた。道路脇のカーブミラーにバスが映ってる。あそこが西野が言っているバス停か。ここで終われるなら……全ての最後の力を振り絞ってペダルを踏み切った。

 何とかバス停まで上り切り、私と西野は自販機で飲み物を補給しながら休憩する事にした。


「良く頑張ったわね」

「何とかね。でも、もう上れそうもない」

「それは大変よね。普通は始めたばかりの素人でも最後まで上り切れるのだけど」


 普通は素人でも上り切れるだって? こんなにつらいのにか? 西野にからかわれているのか? 私には信じられないな。


「素人がいきなり上れるのか? 私でも上れないのに?」

「私でもって……猛士は始めたばかりで、そんなに速くはないでしょ?」

「南原さんと走って時速40kmで巡行出来る様になったんだ。ネットで調べたけど、プロのレースでも40km位だったりするだろ。平地ならプロ並みの速さで走れるんだ」


 何故か西野が笑いを堪えている。何か可笑しな事を言っただろうか? 海岸通りで時速40kmで巡行出来る様になったのは事実だし、アマチュアの中なら十分早い方だと思う。


「それなら来月クリテリウムに出てみる?」


 西野が突如、ムスッとする私に提案した。クリテリウム? 聞いた事がない言葉だな。言い間違いか? 間違いなら指摘しておこう。


「なぁ、ノノ。水族館はアクアリウムだと思うよ」

「そんな当たり前の事言わないでよ! 私が誘ってるのはクリテリウム! 自転車の周回レースの事よ!」


 西野が顔を真っ赤にして私の指摘を否定した。そんな名前の自転車のレースがあったとは知らなかった。普通の人が聞いたら十中八九水族館の事だと思うぞ。


「そういうのがあるのか。ノノが水族館に行きたいのかと思ったよ」

「水族館は好きですけど、今は自転車の話でしょ。来月に上りが無い平地だけのコースのクリテリウムが開催されるから、自信があるならビギナークラスでエントリーしてみなさいよ」

「ビギナークラス? レースにクラス分けがあるのか? 私は何クラスに該当するのだ?」

「ホビーレーサーなんだから自己申告よ。実力があるのにわざと下のクラスに参加する事は出来ないけど、猛士は初めてなんだからビギナークラスでエントリーしなさいよ」

「分かった。エントリーしてみるよ」

「応援に行くから、楽しみにしてるわよ」


 そう言って西野は走り去っていった。やっと全体の1/3上れる様になった私と違って西野はこれから2回も上るそうだ。

 私は先に帰って、西野に教えてもらったクリテリウムという自転車の周回レースにエントリーするのであったーー

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