第20話「図書館」

 春斗の夏休みも終盤へと差し掛かっていた。太陽の光は遠慮というものを知らないのか、容赦なく地上に降り注いでいる。

 あまりの暑さに顔を顰めながら歩く春斗。おろしたての安物の靴で踏むコンクリートの歩道の感触はどこか違和感があり、それが楽しく感じられた。地を鳴らす靴の音は自分の歩く速度と同じで心地よい。そんな想いと共に進んで行く春斗。彼が足を運んだそこは市役所に併設されている図書館。

 特に大した理由もなく暇つぶしというだけの事。

 あまりの暑さに身体を揺さぶられている春斗はそこへと吸い込まれるように入って行った。古びた本の香りが閉じ込められた空間は春斗に落ち着きを与え、春斗はその香りの元へ、本棚へと向かう。そして本を手に取り机へと向かおうとした時、壁際に立っている少女を見つけた。あまりにも著名な作家の本を抱いているその少女からは死の気配が漂っていた。



 後日、相変わらず夏休みが終わろうとしているというのにも関わらず恐ろしく暑い外で、春斗は背の低い女、目付きが悪く目の下に深く濃いクマを刻んだ肩まで伸びるサラサラした黒髪が特徴的な女、波佐見 冬子を連れて例の図書館へと向かっていた。

 冬子は疑問をぶつける。

「そんなとこに本当にいるのか? 春斗の見間違いかも知れないが」

 春斗は自信を持って答えた。

「絶対幽霊だったよ」

 そして入って行くふたり。

 あの本棚の近くの壁際、そこを指して言う。

「ほら、今日もいたよ」

 そこに立っている少女はこの前と同じ本を抱えていた。冬子はいつものあの気配を感じ取った。

「ああ、断末魔の残り香。確かに幽霊だ」

 冬子は少女が持つ本を確認して本棚に差してある仕切り板に書かれた文字を見る。

「作者の名前からして恐らくこの辺か」

 それは著名な作家、その本が無いはずなどないのだが、その本棚に収納されている本の中に例の少女が持っている作品だけが存在しなかった。

「やはりな」

 そう言って冬子はその図書館を管理している司書に訊ねる。それはふっくらとした優しそうな中年の女性。司書はパソコンと向き合いキーボードを静かに叩いて調べる。

 その手を止めた司書は驚いた顔で言うのであった。

「貸し出し中ですね、それももう2年も返ってきてないの、どうして今まで気が付かなかったのかしら」

 それから誰に貸し出しているのか調べて受話器を手に取り電話をかける。

 しばらくコールが鳴って出てきたのは苦しそうなうめき声と水から空気が上がるような音。

 春斗が後ろを振り向くと、あの少女は白目を向いて苦しそうに口を開けてもがいていた。



 冬子は言う。

「悪いとは思いつつもパソコンを覗いて誰なのか確かめた。もちろん住所もな」

 そして目の前にて待ち構えているアパートへと足を踏み入れてあの少女の部屋の呼び鈴を鳴らす。

 出てきたのはやつれ果てて年老いた女性。黒い髪は無造作で乱れ放題で、目は疲れのためか血走っていて、その目の焦点が合っているのかも分からない。冬子は女性からただならぬ気配を感じて身を震わせていた。

「すみません、冬香さんのお母さまでしょうか」

 女性は焦点の合わない目を上に向けたまま感情すらこもっていない冷たい声を出した。

「冬香はもう出て行きました、ここにはいません」

 冬子と春斗は互いに顔を見合わせる。

「娘はいないのでもう帰ってください」

 それだけ残してドアを閉める。

 冬子は春斗の手を引いてカフェへと向かって行った。

 そして頼んだコーヒーを飲みながら冬子は語る。

「あれは断末魔の残り香が少し染み付いてた。多分……殺したな」

 その言葉で結論を付けたのであった。



 月すらも眠りにつくような静かな夜、暗い空の下、アパートのある一室で女は蹲り座り込んでいた。

 女はかつて娘を育てていた。円満で模範解答のような幸せを過ごすだけの日々、しかしそれもまた崩れ去って行った。

 夫が仕事で大きな怪我をして働く事が出来なくなってしまったのだ。病院に行くも治る事はないと言われてしまった。それから完成へと近づくかのように膨れていく借金、娘が中学生の時に夫は自殺した。

 それから懸命に働くも厳しく苦しくツラいだけ。まともな金額も稼ぐ事は叶わずにギリギリの生活をしていた。

 それから娘が高校生へと上がろうというその時のことだった。娘が風呂に入ったその時に母は無理やり入ってきて顔を風呂に沈めた。娘は空気を吐きながら苦しそうに藻掻くだけ。その必死の抵抗も虚しく娘は命を落とした。

 夫は死に、娘にも後を追わせた。

 そうして平穏を手に入れた母だったはずが、今でも聞こえて来るのであった。

 娘が空気を吐きながら水の中で何かを叫ぶ痛々しいあの声を。

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