第189話 弱者の勝算

 白富東の選手のほとんどは、高校までで野球はやめる。

 そう、白富東の選手でさえもだ。

 これは純粋に劣等生に対する補習で学力が上がり、将来の選択が増えたことにもよる。

 あとは甲子園を経験して、もう満足してしまったというのが大きい。

 潮と川岸ぐらいは、大学でもやってみようかなと考えてはいる。

 だがもし白富東を基準とするなら、すぐに辞めて野球サークルに入ることになるだろう。


 そんな高校で野球を辞めようと考えている中の一人が、先頭打者の岩城だ。

 一応はスポ薦で入ったものの、意外と勉強の方で成績が伸び、普通に大学に行けそうになった。

 セレクションで大学に行けたらいいなぐらいには思っていたが、さすがに特待生というレベルではない。

 そして思うのだ。大学でまで野球をやって、なんになるのかと。

 北村が散々言っていたのは、大学野球の閉鎖性。

 高校野球ほどの市場もないくせに、やたらと伝統だの格式だのにこだわる。

 地方の大学であると逆に、進歩性に富んだところもあるらしい。

 だが東京の大学はほとんどが、昭和のメンタルで野球をしているのだ。


 北村の後輩で、初めて白富東が甲子園に行った時のキャプテンも、大学野球は三日で辞めてしまった。

 その後には普通に野球サークルに入ったのだから、大学野球がいかに旧態然としていて、しかもそのままでいいと考えている者が多いか、知れるというものだ。

「変な話だが、高校野球は市場的な価値が高いんだ。学校側も甲子園ブランドがいまだに高いから、とにかく合理的な思考や手法を取り入れやすい。大学野球は違うんだな、これが」

 佐藤直史と樋口兼人の入部によって、早稲谷のシステムは崩壊し、新たな秩序が誕生したものだ。

 監督よりも偉い一年生というのは、そうそういるものではない。

 ちなみに六大学でほぼ同時期に、そこそこの改革に成功したのが、帝都と東大である。

 特に東大は女子部員三人の力で、あとわずかでリーグ戦初制覇を遂げるところであった。


 それだけ脅されても、行ってみるだけは行ってみるかな、と思っている生徒はいる。

 潮などは普通に学力が早稲谷レベルはあるので、そのまま入ってみるつもりだ。

 それに比べると岩城は、まあ入ってみてつまらなかったら辞めるか、という程度の気分だ。

 白富東の合理と効率の精神に触れたら、時代遅れの思考法など絶対にもう合わない。


 そんな岩城はこの打席、左打者でありながら、サウスポーのサイドスローをよく見ていった。

 フォアボールを選んで出塁と、バットを振り回すわけでもなく冷静である。




 先頭打者を、しかも初回の一番を出してしまった。

 上総総合のベンチの中で、鶴橋は憮然とした表情のままでいる。

(ここだけはどうにかしれほしかったんだがな)

 だからこそ先発に、左のサイドスローなどを持ってきたのに。


 戦力で確実に上回る相手には、主導権を渡してはいけない。

 そのために攻撃も守備も、積極的に動かないといけないのだ。

 岩城などはホームランも打ったことのないバッターで、極端に言えばフォアボールさえ出さなければそれで良かった。

 打たれてヒットになっても、それは結果論。野手の範囲に飛んでアウトに出来る可能性が高かったのだ。


 鶴橋の采配は、白富東のみならず、スタジアム全体を驚かせるものであった。

 先発ピッチャーを外野と交代。

 まさに先頭の左に対してのみ、抑えるためのピッチャーだったのだ。

 そしてピッチャー交代と同時に、伝令も早くも使ってくる。

 この試合は一度でも相手に主導権が渡ったら、それで終わる可能性がある。


 この動きを見ていて、北村もサインを出した。

 あるいは消極的とみなされるかもしれない。

 だがここは、実力差は関係なく、まずは一点を取っておきたい。


 二番の潮に対して、送りバント。

 普通に打たせても得点は期待できるし、ピッチャーが代わったばかりだ。

 交代直後を叩くのではなく、ワンナウトをくれてやる。

 これはむしろ上総総合にとっては、ありがたいぐらいの采配でないのか。


 素直に送りバントをさせてくれるかどうか。

「監督、潮にバントさせると、次は一塁が空いちゃうけど」

「まあそうなんだけどな」

 あるいは送りバント失敗を狙ってくるかと思ったが、素直にバントをさせてワンナウトを取る。

 スコアリングポジションにランナーが進んで、そして三番の正志。

 当然のように申告敬遠をしてきた。

「ま、そうなるわな」

 反応を見たかったのだが、ここは誰が考えてもこうだろう。


 そして四番の川岸。

 ワンナウト一二塁で、当然ながら最悪なのはダブルプレイ。

 ただし白富東のなかで、川岸はフライを上げる男だ。

 上手くしなくても、ここでホームランは狙える。


 ピッチャーの投げた球は、インハイに入ってきた。

 それを川岸は打ったのだが、打球は上がりすぎてライトが追いつく。

 キャッチしてそこから、二塁の岩城はタッチアップ。

 これでツーアウト一三塁となったわけだ。




 ランナーを二人置いて、白富東では二番目に危険なバッターの優也が打席に入る。

 ツーアウトからなので、特にやるべきことはない。

 ただ早打ちだけはしてくれるなよ、と心中では思う北村である。

「カーブかな」

 潮が呟いたので、北村も頷く。

「最初は外して、二球目にチェンジアップかもしれないな」

 二人の予想は当たっていた。

 最初にカーブを外し、二球目もストレートを外して、三球目にチェンジアップ。

 優也はそれを打ち損なって、強烈ながらサード正面へのゴロ。

 これをしっかりと捌いて、スリーアウトチェンジ。

 結局は白富東も、得点のチャンスをつかみながらも、ヒットは出ていなかった。


 打たせて取ると言うよりは、打たれて取る。

 正志は敬遠し、川岸には中途半端なフライを打たせ、優也もタイミングを外させる。

「思ったより手ごわいかなあ」

 北村としては、そうとしか言えない。


 いつでも点が取れる気がする。

 だが冷静に考えれば、今のイニングはノーヒットだったのだ。

 こちらに進塁打を打たせて、チャンスになったように見せながら、長打を打てる二人はしっかりと抑える。

 特に優也に対するピッチャーの組み立ては、明らかに優也の打撃傾向を読み取ったものだ。


 単に一点を防ぐだけなら、優也も敬遠してよかったのだ。

 満塁にしたところで、六番の中臣と勝負。

 それでよかったはずなのに、あえて優也と勝負をした。

「攻撃的な守備というか、こちらに主導権を渡すつもりはないな」

 北村としては今の攻撃で、パワーだけで打ち砕くのが難しいと分かった。




 二回の表は、上総総合は四番から。

 長打は打ててもホームランまでは打てない、そんな四番からの打順だ。

「一点取られてずるずる行くのだけは避けたいな」

 そんな北村の言葉に、潮も強く頷く。

「力んじゃったよ」

 優也はげんなりとした顔でそう言うが、力んだと言うなら川岸もそうだったろう。

 結果は同じであったかもしれないが、潮には右方向に打たせていくべきであった。


 その潮は、上総総合の強さを理解している。

 とりあえず一回の表は、普通に優也の球威だけで押していくことが出来た。

 だが一巡目までは上手くいっても、おそらく二巡目からは、かなり面倒なことをしてくる。

 それまでにこちらは点を取れるかもしれないが、一点ぐらいではまだ逆転を考えてくる。

 それが潮には分かっているのだ。


 ただその予想は微妙に外れた。

 先頭打者の四番が、なんと最初からバントの構え。

 眉をひそめて、なんじゃそりゃの優也であるが、とにかくこちらを揺さぶってくるのは間違いないだろう。

(能力はともかく、頭の精神を使う勝負になるな)

 潮はそう考えて、単調にならないようにリードを心がける。


 優也のボールをバントするのは、特に上手い選手でも難しい。

 四番であれば本来は、打っていくのが仕事であろう。

 だが上総総合のスコアを見れば、ノーアウトで一塁になれば、ほぼ確実に送ってくる。

(技術じゃなくて、メンタルを攻めてくる野球だよな)

 これもまた高校野球だな、と北村は思う。


 なんとしてでも甲子園に行きたいという、強い意志を感じる。

 だがそれは別に、上総総合だけの話ではない。

 去年の夏は、悔しい敗北で甲子園を逃した。

 最後の夏にあと一歩というのは、北村自身が体験したことなのだ。


 それに北村と違って、今の白富東は一年の頃から、上を見て野球を している。

 野球漬けの私立とは違うが、それでも北村の現役時代とは比べ物にならない。

(心を惑わされたら、少し危ないな)

 高校野球の醍醐味が、ここから感じられるのだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る