第161話 主役になれ

 もしも、このまま試合が一点差のまま終わったら。

 もちろん一番の功労者はエースの優也になるのだろうが、二番目は打点をつけた川岸になるのではないか。

 ここで二点も取ることが出来れば、二打点となる。

 犠牲フライを打つ練習は、散々に積んできた。


 川岸は元々、それほどのパワーがある選手ではなかった。

 手足は長いが、それに相応しい筋肉が足りていない。

 だがそのくせ、筋肉のつきやすい体質でもなかったのだ。


 しかし国立の指導と、北村の言葉により、地味にひたすら地味に筋肉をつけて行った。

 おかげで秋の大会には、ホームランも狙って打てるようになったのだ。

(まさかって思ったもんな)

 正志のようなパワー、優也のようなバネとは、違ったスタイルのバッティングだ。

 ただしこのフライを打つというのは、今ではMLBでもNPBでも、プロの世界では当然の共通認識となっている。


 国立も北村も、フルスイングばかりを指導したわけではない。

 特に国立などは、自分自身が天才であるため、そのアベレージも飛距離も両立させるのは、ケースバッティングで分けていたという。

 ただその中でも、川岸に対しては、フライを打てと言っていた。


 高校野球レベルでは、甲子園に出てくるほどのチームでもまだ、内野ゴロでの出塁は多い。

 守備も送球も、プロに比べれば未熟なのだ。

 白富東のバッターの中で、特にフライを打てと特化しているのは、川岸だけである。

 優也も正志も、強振はしているがフライを意識して打っているわけではない。

 特に正志などは、ケースバッティングが上手い。

 北村などは、小さく収まるなと言って、フルスイングを推奨しているが。

 逆に優也には、もっとスキルを生かせ、と言っている。


(このチームの中では、俺だけが遠くに飛ばせって言われてるんだもんな)

 それで外野フライを打って、先制点となったのだ。

(この打席なら、もう少し深く打たないといけないか)

 潮はそれほど足は遅くないが、俊足というほどでもない。

 タッチアップで三塁に進んだのも、かなり微妙なところであったのだ。




 毒島の球は、とりあえずゾーンの中には入ってくる。

 これでボールとのぎりぎりのところに投げられたら、確かにお手上げなのだろう。

 だが実際には今は、まだ球威だけでどうにかなるレベルだ。

 高校生レベルなら小川と共に、無双していてもおかしくはない。


 それを打つための練習を、自分たちはしてきた。

(外野フライでもう一点、それで勝てれば今日のヒーローは俺が二番目だよな)

 まだ六回の表だが、優也の調子はいい。

 あと四イニング、出来れば二点取れば、なんとかしてくれそうだ。


 毒島の球をカットする。

 ナチュラルに動いてくる球は、ミートを狙ったバッティングでは、打ち崩すことは難しい。

 やはりフルスイングで、変化ごと遠くへ飛ばしてしまうしかない。


 大阪光陰側も、先ほどの外野フライは頭にある。

 高めに浮いた球を打たれたら、万が一ということもあるのだ。

(なんやったら歩かせて満塁にしてもええ)

 まだワンナウトだが、そうすれば守りやすくもなる。

 だがバッテリーはこの五番で、ツーアウト目を取ろうと考えているのか。


 木下はサインを出す。

 外野フライを打たせても、それが浅ければ充分に刺せる。

 ここまで毒島のボールをカットしてくるのだから、長打は警戒だ。

(秋の大会を見ても、次の六番の方が楽や。カウントが悪くなってしもうたら、歩かせてもええ)

 そしてゴロを打たせて、フォースアウトを取ればいい。


 一点差は取り返せる。

 二点差でもどうにかなる。

 ここは単打を打たれて、ピンチが続くのが一番痛い。

 だが白富東でも下位打線は、まだ毒島を打つだけの力はないと言えよう。

 今日の毒島は立ち上がりが悪かったというのもあるが、それでも投げなければいけないのがエースである。

(アウトローとかは言わんから、低めに集めえ)

 そして毒島は、低めにストレートを投げ込む。




 今の高校野球においては、小川と並ぶパワーピッチャー。

 そのボールが低めに投げられた。

 低すぎてボールか、とキャッチャーの若菜は思ったが、そういう球を川岸は待っていた。


 フルスイングだ。

 手元で動かないボールは、それでも充分な球威を持っていた。

 川岸はそれに負けず、バットを振り切る。

 左方向にやや力負けしたが、高くフライが上がった。


 これは行けるか。

 三塁コーチャーが球の行方を確認し、三塁ランナーの潮はスタートの体勢を取る。

 レフトはゆっくりと下がっていくが、なかなか落ちてこない。

 定位置からは充分に下がっている。これならばタッチアップが狙える。

(これで二打点か。川岸持ってるな)

 中継のためのショートもポジションを取り、一塁ランナーの正志も待つ。

 バックホームの間に隙があれば、二塁を狙う。

 打った川岸は、もうファーストベースの手前まで来ていた。


 滞空時間の長いフライに、レフトが手を伸ばす。

 だがそのグラブにボールが収まることはなく、少し風に流されたボールは、そのままスタンドに入った。

「え、マジ?……」

 打った川岸が驚いているが、審判が腕をぐるぐると回している。

 思わずファーストベース付近で、顔を見合わせてしまう正志と川岸であった。

「ベース踏み忘れるなよ」

「そっちこそ」

 腰から下がくにゃくにゃになったような感覚で、川岸はベースを一周する。

 甲子園で、大阪光陰の、毒島相手にスリーランホームラン。

 その価値は川岸ももちろん分かっていた。




 ベンチに戻った川岸を、メンバー全員で叩く。

 その中で喜びだけに浸らない、ただ一人の人間が北村であった。

「大阪光陰はここから、死に物狂いになるぞ」

 珍しくも冷たい声に、ベンチの喧騒が収まる。

「まだ追加点を狙うんだ。あとバッテリーは、一点よりもワンナウトを取るべき場面を考えるように」

 冷静に、戦う。

 大阪光陰の打撃力自体は、四イニングで四点を追いつくには充分なのだ。


 目の光が正常になった選手たちを見て、北村は安堵する。

 その内心はおそらく、他の誰よりも飛び跳ねたい気持ちでいっぱいだったろう。

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