第114話 主導権
野球に限らずだいたいどのスポーツでも、そしてスポーツ意外でも、一番大事なことは、主導権を握ることである。
主導権を握るというのは、つまりどのタイミングで相手と勝負出来るかを、選択できるということだ。
こちらの力が最大限に増し、あちらの力が弱いところ。
そこで勝負する選択が出来ることが、主導権を握ることの最大のメリットである。
夏の千葉県大会決勝、一回の表が終わった時点で、国立は自分の作戦ミスを認めた。
(二点か……)
一番バッターを打ち取って、そこで大丈夫と思ってしまったのが悪かったのだろうか。
二番バッターに最強の打者を持ってくる感覚など、どんなバッテリーも持っていないだろう。
郷田から始まった三連打で、勇名館は二点を先制。
せめて郷田が打った時点で、すぐさまファーストの優也と代えるべきだったろうか。
試合の後半でもう一度出番はあったかもしれない。
山口も甲子園のマウンドを経験しているが、本質的にはピッチャー気質ではない。
せめて渡辺か、度胸だけなら一番の優也に、初回は任せるべきだったか。
だがそのあたりの考えは、勇名館がこんなオーダーを組んできたからこそ、考えている問題だ。
高校野球は勢いが重要なので、戦力が互角のチームが戦った場合、初回に先制点を取ると、勝率が一割は上がるというデータもあったりする。
本当に戦力が互角なのか、という点はともかく、初回の先制点が重要なことは確かだ。
だから先攻を取るのは、守備の緊張を取る上でも、重要なことなのだ。
今回先攻を取れなかったのは、単純に運なのでどうしようもないが。
二点を取られた後、最後はダブルプレイで終わったのは、まだしも良かった。
相手の勢いを切れたということであるからだ。
(ただ、打撃も走塁もすごく積極的だった)
それほど足の速くない田無が、三塁まで走ってきたこと。
白富東にはわずかに、守備の動作に緩慢さが見えた。
顔色の悪い山口よりも、潮の方が苦々しい顔をしている。
「決め打ちをしてきたのかな?」
「たぶんそうです」
三人とも振ってきたのは変化球であった。
山口のボールが、ストレートは打たせて取るボールであるので、最初からカーブを狙うという意図も分かる。
ただそれにしても、完全に読まれたようなバッティングだった。
オーダーといい先制点の走塁といい、勇名館は事前に考えていたようなプランで、白富東を圧倒している。
この裏の攻撃を上手くしなければ、流れが向こうに行きかねない。
(確実に一点はほしいんだが)
国立がそう思っていると、先頭打者の高瀬が初球を打った。
レフト前のクリーンヒットで、ノーアウトランナー一塁。
高瀬の思いっきりぷりがすごい。
「向こうも緊張している、か」
三年生にとっては、最後の甲子園の機会。
ここまで一度も白富東に勝ってない勇名館の三年生としては、プレッシャーもあるだろう。
普段はあまり送りバントを使わない国立だが、ここで一点を取る重要さは分かる。
そのバントのサインに、しっかりと送るキャプテン清水。
ランナー二塁となって、正志の打席となる。
「一塁が空いてますけど」
「一回からいきなり歩かせてくることは――」
北村の言葉に反応しようとした国立だが、勇名館ベンチから選手が出てくる。
申告敬遠で、正志が一塁に送られる。
一回からいきなり、こんな手段を使ってくるとは。
警戒するにしても、せっかく先制した二点に、同点のランナーを出してしまったことになる。
ここでネクストバッターサークルにいた優也に、国立も伝令を送る。
「なんすか」
「ここでお前が怒ったら相手の思う壺だって、監督が」
「あ~、分かりました」
優也は自分が、相手からそんなに単純に見られているのか、と腹が立つ思いであるが、逆にそうと分かれば裏が書ける。
(スイングして初球から打ってくる気満々のバッターに対しては、カーブとかの遅い球か……)
あるいは、と思っていた優也に対して、真ん中あたりの失投に見せかけたこの球種。
(ここから!)
緩い球が、自然と下にずれていく。
榎木の球種はかつて対戦した時に比べると、カットボールが増えている。
このボールはその、バッターに打たせるためのカットボールだ。
優也はそれを、軽くバットで掬うように打ち上げる。
上げすぎてもいけない、ショートの頭の上を抜くクリーンヒット。
高瀬が一気にホームに帰ってくることは出来なかったが、これでワンナウト満塁である。
五番の潮はその打率に比較して、打点が少ない。
だいたい前のバッターが、ランナーを帰してしまうからだ。
甲子園のかかった決勝戦で、二点ビハインド。
三塁ランナーの高瀬はそれなりに俊足だ。
だが満塁であることで逆に、ホームでもフォースプレイが発生する条件を満たしている。
(案外難しいな)
バッティングへのプレッシャーもあるが、とにかくこの場面ではスクイズも難しい。
内野ゴロでもダブルプレイに取られる可能性がある。
勇名館としては三塁ランナーがホームに帰っても、ダブルプレイで失点を防げる状況。
潮としては内野の頭を抜くことを、一番に考えなければいけない。
内野も外野もやや前のめりで、潮が打つべきは最低でも外野フライ。
そう考えてバッターボックスに入ろうとしたところへ、国立から伝令が走ってくる。
「八代、ピッチャーの初球はかなりの確率で、甘いコースのストレートだってさ」
国立のその読みを、潮は自分で消化する。
一打同点、あるいは逆転すらある、この状況。
バッターが自分であれば、初球から振るのは難しい。
普段からあまり、初球は振らない潮である。
そこを逆手に取って、ファーストストライクを簡単に取りに来るか。
論理的に考えて、間違っていないと思える判断だ。
あとはこれに、ストレートに見せかけたカットボールという可能性を足せば、ほぼ確実なのではないか。
(優也が初球打ちしているけど、それでも初球はゾーンに入れてくるかな)
マウンドのピッチャー榎木には、既に余裕はない。
一回の裏からこの調子ならば、ここでは一点取っていれば、確実にまたチャンスはやってくる。
榎木の投げた球は、間違いなくほぼど真ん中。
(ここから変化することも考えて、少しアッパースイング気味に)
外野の定位置を越えるところまで、フライを打てばいい。
掬い上げたボールは、いい感じの弾道でレフトに飛んでいく。
外野の頭を越えて、フェンスに直撃するボール。
三塁ランナーも二塁ランナーも、一気に帰って来れる。
(いや、優也は無理だろ!)
一塁ランナーの優也さえも三塁を蹴ったが、コーチャーは必死で止めていた。
レフトからショートへ、中継されたボールはしっかりとキャッチャーのミットへ。
ホーム手前1mの距離で、優也はアウトになった。
三塁で止まっていれば、ワンナウト二三塁。
内野ゴロやスクイズで、もう一点は取れた。
優也の判断ミスであるが、ここは責めるのは難しい。
決勝ということもあって、肩に力の入りすぎている選手が多い。
だがこれで、取られてすぐに取り返した。
一回の攻防は2-2と、互角に展開したように見えた。
優也の走塁ミスは、確かに後から痛くなってくるかもしれない。
だが国立はそれを、あまり責める気にはなれない。
この決勝では、ミスは出るものなのだ。
だからそこをフォローしてやるのが大切なのだ。
苦い顔をしてベンチに戻ってきた優也に、国立は声をかける。
「今のは完全な判断ミスだ。分かるかい?」
「コーチャーも止めてましたから」
「それもあるけど、あそこは君は三塁で止まっていた方が、完全に得点の確率は上がっていたんだ」
白富東は八番と九番には守備特化の選手を入れているが、六番の渡辺に七番の山口は、それなりにバッティングも期待できる。
ワンナウト二三塁からなら、内野ゴロか外野フライで、もう一点取れた可能性が高い。
説明された優也は、確かにそうだと納得した。
ツーアウト二塁になって、ここからはヒットがなければ、点には結びつかない。
そう思っていた優也の前で、渡辺は深いセカンドゴロを打った。
まさにワンナウトでランナーが三塁にいれば、ゴロGOで一点が取れていただろう。
「この試合は、一点の重みが大きい。中盤からは判断ミスをしないように」
国立の理路整然とした説教に、頷く優也であった。
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