第9話 誕生日
誕生日当日。
朝からガチガチに緊張していた私を笑うことなど誰もできなかっただろう。
からかわれでもしたら、その瞬間に泣きだしていたかもしれなかったから。
そんな私を、準備の段階からそっとしておいてくれた家族にも、屋敷の者にも感謝するしかなかった。
招待した領内の貴族を差し置いて、一番のりで到着したのは、もっとも遠くから参加されているデューク達だった。
久しぶりにお会いするリントン辺境伯と夫人にも挨拶をするが、顔を合わせるなり、デュークにおいでと手招きをされた。
部屋の隅のカーテンと壁の陰で、デュークが手で何かを隠したようにして、小声で囁いてきた。
「カリン、お誕生日おめでとう」
何かを渡されそうになるが、プレゼントは既にいただいているのに、とリントン辺境伯の馬車から降ろされて中に運び込まれている箱の数々を見た。
「あれはうちの両親からでこれは俺から」
そう囁かれるが、こんなこと、二人で秘密を分け合っているようでドキドキする。
「はい」
「まぁ」
彼の手を見つめていたら、ぱかっと開いたその中から出てきたものを見て、思わず、ふふっと笑ってしまった。
そんな私を見て、デュークがほっとしたような顔をしている。
彼の手の中にあったのは、翡翠を加工して作られた、小さなカエルのブローチだった。
つるりとした質感が美しく、目は金と象嵌で細工されていて本物のようにも見えるけれど、目が大きく丸くて、本物よりもずっと愛らしいデザインだ。
「もう、カエルは大丈夫になったって聞いたからね」
「こんな高価なものを……」
宝石としての価値もさることながら、細工が細かくて見事だ。こんな素晴らしいものを本当にもらっていいのだろうかと思えば迷ってしまう。
彼の手からそれを受け取り、ちょん、とそのカエルを指先で突っついた。
「カエルがまだ嫌いだったとしても、このカエルはきっと好きになれたと思います」
そうほほ笑んで彼を見上げれば、彼の笑顔に、ふっと陰がよぎった。
「ごめんね」
「え?」
「ずっと謝りたかったのに、謝れなかった」
泣かせてしまったあの時のこと。と言われて首を傾げる。
「謝っていただいてませんでしたっけ?」
「うん」
そういえば、と記憶を巡らせば、棒立ちになって自分を見つめるデュークと、他の部屋に連れていかれた彼の姿しか覚えていない。
「そんなの、とっくに時効でしたのに」
「でも君は、ずっと俺を許してないと思っていたから」
「そう思っていたのですか?」
「……うん」
律儀だなぁ、と彼のそんな真面目さに微笑んでしまった。
彼はこれを謝るきっかけを作るために、あえてこのカエルのブローチを用意したのだろう。
あの時の出会いを再現するために。そしてやり直すために。
きっと本当は、彼は私を驚かせて喜ばせたかったのだろう。
あの事で大泣きした自分より、ずっと心を痛めて、この長い年月をデュークの方が過ごしてきていたような気がする。
もっと早くに許しているということを伝えてあげればよかった。
私を傷つけたと思っている彼の方が、傷ついているなんて気づかなかったから。
「じゃあ、今さらですけれど、仲直りしましょう?」
そう言って彼に右手を差し出すと、彼は両手で私のその手を包んでぎゅっと握ってきた。
「ありがとう」
思った以上に大きな反応が返ってきて、顔が熱くなってしまう。そんな私をよそに、デュークはまたポケットをごそごそさせている。
「でもね、こっちが本命なんだ」
「?」
「それを受け取ってもらえなかった時のためにこっちを用意したんだけれど、これも貰ってほしいな」
彼に長細い箱を差し出される。ビロードのような手触りのよい紺色の箱を横にスライドして開ければ、中から親指の先くらいの大きさだろうか。小さな銀色の卵形のペンダントが見えた。
「これはペンダントですか?」
「ロケットだよ。ひねれば真ん中が開いて中に小さなものやミニ肖像画とかを入れたりできる。香水を沁み込ませた布を入れて、匂い袋のようにする使い方もできるみたいだ」
「詳しいですね」
男性がこういう物が詳しいと思わなかったから、これを買うために調べたのだろうかと思ったが。
「ほら、お揃い」
彼がシャツの首元から引っ張りだしてきたものを見て、納得した。実際に使っているのなら詳しくなるのもわかる。
早速着けてみたかったが、今日のドレスにこのロケットは合わないだろう。残念に思うが、とりあえずはそれは元の箱に入れてしまっておこう。
家族の元に戻ろうと、デュークに手を引かれて戻っている間に、朝から続いていた緊張が、すっかり解けているのに気づいた。だからうっかりしてしまったのだろう。
「デュークはロケットに何を入れているのですか?」
「俺の? ……内緒だよ」
あ、馬鹿ね、私ったら……。
わかっていたのに。そう思って唇を噛む。
その時に見えた彼のどこか照れたような表情に、自分が自分の傷口に爪を立てるようなことを言っていたことに気づいた。
人が集まり始め、今日の主役としてあちこちに挨拶したり、お話したりをしていたが。
「どうしたの?」
「え、何が?」
お姉さまが心配そうに私の顔を見ている。
「なんか、心ここにあらずって感じよ」
「そう見える?」
今日、私が相手をしているほとんどが、初めて会う同世代の人達。
思った以上に自分は卒なく振舞えていると思う。人前に出るのが苦手だけれど、まるっきり話せないわけではないようなことに気づけて嬉しかったのだけれど。
「ちゃんとやれてるじゃない」
お母様は褒めてくださるから、それでいいことにしようと思う。
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