第20話:騎士は過ちに気づく
青い炎を灯す不気味な蝋燭が置かれた祭壇の前に、ギーザは一人立っていた。
その周りには赤黒い魔法陣が、魔力によって浮かび上がっている。
スチルと完全に同じではないが、禍々しい魔力に満ちた部屋では悪魔召喚の儀式が行われているのは間違いない。
「ギーザ、どうして!!」
思わず駆け寄ろうとしたが、魔法陣の手前で見えない壁に阻まれる。どうやらそれもまた結界の一種らしい。
その向こうで、ギーザが俺をゆっくりと振り返った。
その顔はまだ魔女にはなっていない。それにほっとするが、俺と同じく外側から結界に爪を立てていたレインが不安そうに鳴いた。
『ギーザ様が、アシュレイを助ける方法があるというのでここに来たんです! でもああ、まさかあんな……あんな禍々しい召喚魔法を使うのだとは思わなくて』
「おい、召喚魔法ってなんだ!」
『あの魔法陣は、魔帝が生み出した『魔神』とよばれる最強の悪魔を創造するものなのです! それをまさか、ギーザ様が知っているとは思わず彼女に少し魔力を貸したらこんなことに!』
魔神という言葉に、俺は聞き覚えがなかった。
スチルで見たギーザの儀式と、目の前の儀式の様子も明らかに違うし、やはりゲーム通りではないらしい。
ただ今回は、悪い意味での差違であるような気がした。
「何をするつもりかわからないが、いますぐやめろ!」
声を張り上げれば、そこでギーザが小さく首を振った。
「お願いアシュレイ、もう少しだけどこかに隠れていて。そうしたら、私が身代わりを用意するから」
「身代わりって、君が召喚しようとしている魔神とかいうやつか?」
「討伐隊はここにいる悪魔は一体しかいないと思ってるみたいなの、だからあなたよりずっと強いものを召喚すれば、きっと彼らの目を欺ける……」
「だがそんな奴、絶対危険に決まってる!」
そして神とまで呼ばれる存在を召喚して、術者が無事でいられるわけがないのだ。
「俺はどうなっても良いんだ! 君まで危険を犯す必要はない!」
「……あなたはいつも、そう言うのね」
必死の説得に、ギーザが返したのは悲しげな笑みだけだった。
「どうなってもいいなんて、そんなこと絶対にない。むしろあなたは、今度こそ私から解放されて幸せになるべきなのよ」
言いながら、ギーザがゆっくりと手にしたナイフで手のひらを切り裂く。
流れ出した彼女の血が魔法陣に力を与え、蝋燭の炎が不気味に揺れる。
その直後、ギーザの足下から黒い影が湧きだし、彼女の姿を少しずつ飲み込み始めた。
そのシーンは、ゲームで見た物とあまりによく似ていた。
本当に、どうしてこの光景を今まで忘れていたのかと腹立たしい。
俺はこれを止めるはずだったのに――、彼女の幸せな未来を紡ぐはずだったのにと、激しい後悔が胸に渦巻く。
ギリアムを救ったことや、ギーザが過去を取り戻し平和に生きているのをみたせいで、多分俺は油断していた。
彼女は悪徳令嬢であり、破滅を約束された存在――。
それを簡単に覆すことなどできないし、覆そうとした罰だというように、彼女は俺のせいで身を滅ぼそうとしている。
「アシュレイ」
少しずつ闇に侵食されながら、それでもギーザは笑っていた。
その笑みが前世の物と重なる。
彼女の笑顔は俺に向いているが、望んだ結末はこれじゃない。
――大好きよ、アシュレイ。
声はなかったが、彼女は確かに言った。
ずっと聞きたかった言葉を、彼女は俺にかけてくれた。
「でも俺は、これを望んだわけじゃない!!」
死にざまの笑顔を見る為に、俺はアシュレイになったわけじゃない。
今度こそ彼女をこの手で幸せにする為に、俺はここにいるのだ。
「ギーザ!!!」
彼女を救う為なら何だってしてやる、魔帝にだってなってやる――。
そんな気持ちで結界に拳をたたき付けると、あれほど硬かった壁がもろく砕け散る。
驚くギーザの頬に闇が触れるのを見て、俺は一気に彼女との距離を詰めた。
次の瞬間、闇はギーザではなく俺へと矛先を代える。俺の魔力の多さを見て、こちらの方が良い贄になるとわかったのだろう。
纏わり付く闇に体を侵食されていく感覚は、ギリアムに取り憑いていた魔帝に襲われたときとよく似た感覚だった。
そしてあのときのように、頭の中に不気味な声が響く。
人の物ではなく、それは言葉というより感情の一部だった。
魔帝と違い、魔神には明確な意思さえない。
憎しみと、破壊衝動と、ただただ人を喰らいたいという飢餓。
それを俺にぶつけながら、自分が宿るのに最適な存在を創り上げようと俺の肉体を切り刻み、細胞の一つ一つを醜く歪めていく。
「アシュレイ……そんな……」
闇から解放されたギーザが、俺に縋り付く。
側にいても、もはや魔神は彼女に見向きもしない。それにほっとしながら、俺は醜く歪められた腕でそっと彼女に触れた。
「こんな……こんな展開じゃなかったのに……。この魔神は私を殺すだけのはずだったのに……」
ギーザの口ぶりから察するに、彼女はきっとゲームの記憶を持ち出し魔神を呼び出そうとしたのだろう。
それも自分が死ぬことを知りながらそうしたのだと思った瞬間、俺は怒りを覚え乱暴にギーザの唇を奪った。
「俺の……為に死ぬなんて、絶対に許さない……」
「でも私だって……、あなたが死ぬのは嫌なの……!」
必死に訴えるその顔に、俺は今更のように自分がギーザを追い詰めいたことに気づく。
彼女は、自分を蔑ろにしないでと言った。
けれど俺がそれを守らなかったから、いざとなったらギーザのために死ぬのも辞さないと思ったから、彼女もまた己を犠牲にしようとしたのだ。
そしてもし俺がここで死ねば、きっと彼女は幸せになれない。
ようやくそのことに気づくが、闇は俺の頭まで這い上り、視界も意識も完全に閉ざされてしまった。
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