第14話:悪役令嬢は不安を抱く
「……あの二人、急に真面目な顔になったけど何を話しているのかしら」
今はなき薄い本に変わって脳の渇望を満たすべく、アシュレイとレインのデートを眺めていた私は、真面目な顔で話し合っている二人に僅かな不安を覚え初めていた。
腐った思考が暴走し、うっかり二人きりにしてしまったがレインは悪魔。そして彼はアシュレイを魔帝と呼び慕っている。
そこでもしレインがアシュレイをそそのかし、悪の道に引き込もうと考えていたとしたら、自分の取った行動は間違いだったのかもしれない。
「いやでも、さっきまでは超暢気にケーキ食べてたし……。クリーム拭い取ったりしてたし……」
今も真剣な顔をしているが、悪の算段をしているようには見えない。
だが見えなくても、不安を感じてしまうのはアシュレイの身体に悪魔の片鱗が少しずつ見え始めたからだろう。
「……彼に色々起こるのはまだまだ先のはずなのに」
思わず独り言までこぼしてしまい、私は慌てて口を手で覆う。
それ以上は言葉にしてはいけない。今はまだ考えてはいけないと言い聞かせながら、不安を消すために私は二人が見えない側の路地へと入る。
それから私は気分を切り替えようと、イチャイチャしていたレインとアシュレイの姿を思い出す。
カインの時もそうだが、何だかんだいってアシュレイにはBL展開を引き寄せる力がある。
例えば私の父もアシュレイに深い愛情を感じているようだし、周りの男たちを虜にする魅力が彼にはあるのだ。
いやたぶん、彼が本気になれば女性にだってその魅力は伝わるだろう。
今は私への好感度が高すぎて他の女性が近づいてこないだけだ。
女学院でも「ギーザ様の護衛は、なんだか暑苦しくてちょっとおかしいわね」とクラスメイトたちからヒソヒソ言われているアシュレイである。
でももし何かのきっかけで魅力が広まれば、きっとモテにモテるだろう。
実際彼は英雄扱いされているし、縁談だって来ているようだ。ゲームの期間が終わり、ギーザの護衛を解任されて社交の場に出るようになれば、いずれ押しも押されぬ人気者になるに違いない。
そしてそのとき、自分は一体どうなるのだろうかと考えると、先ほどとは別の不安が胸を苛む。
胸に忍びよる不快感に思わずぎゅっと唇をかんでいると、不意に何かが頬を濡らした。
はっとして上を見ると、いつの間にか厚い雲の間から雨が降り始めていた。
雨脚が強まりそうな気配に、どうしてこの世界には天気予報がないのだと恨めしい気持ちが芽生える。
雨の中のデートなんてスチルとしては美味しいのに、さすがに傘も無く往来で眺め続けるわけにはいかない。
仕方なく先に帰ろうと決めて、私は歩き出そうとした。
「ギーザ!」
だがその途端、馴染みの腕に肩を掴まれた。
顔を上げれば、そこにはアシュレイの慌てふためく顔がある。
「突然姿が見えなくなったから焦ったぞ。雨も降ってきたし、君も店に入ろう」
「でも、アシュレイはデート中だし……」
「そんな事言ってる場合か。雨に濡れて風邪でも引いたらどうする」
自分も濡れている癖に、それを棚にあげて私のことばかり心配するところが彼らしい。
「ああくそ、どうしてこういうときに傘を持っていないんだ俺は!」
などと言いながら、雨をしのげるものを捜すようにアシュレイが辺りを見回す。
――バサリと、何かが私の頭上を覆ったのはその直後のことだった。
上着でもかけられたのかと思ったが、アシュレイの服は先ほどとかわらない。
「え……」
だが別の変化が、彼には起きていた。
見れば、彼の背中には酷く大きな黒い羽が生えている。そしてそれが私を雨から守っているのだと気づいた瞬間、アシュレイが目を見開いた。
「なにこれ、めっちゃ便利だな!」
「って、感心してる場合じゃないでしょ!!」
思わず叫ぶと同時に、彼の体を路地裏の一番奥まで引きずり込む。
仰ぎ見た彼の背に生えているのは、大きな翼だ。
色が黒くなければ天使の羽を思わせる形状だが、黒い色のせいでどことなく禍々しく見える。
「そ、それどうしたのよ」
「いやわからん。雨をよける物がないかなぁと思ってたら、なんか急に出た」
「そんなしょうも無い理由で、死亡フラグ立てないでよ!!」
怒鳴りながらアシュレイの胸を叩くと、彼は戸惑った顔でされるがままになる。
「し、死亡フラグだなんて大げさな。ただちょっと、羽的なものが生えただけだろ」
「全然分かってないわよ! だってその翼、スチルで――」
思わずこぼれた言葉を、私は慌てて飲み込む。
だがこういうときだけ聡いアシュレイは、私が飲み込んだ言葉を的確に拾い上げる。
「スチルって、俺がこうなるのをギーザは知っていたのか?」
問いかけに、私は答えるべきか迷う。
確かに、私は知っていた。
でもそれを告げれば、いつどこで、どういう状況で見たのかをアシュレイは尋ねるだろう。
そしてそれに、私は答えたくなかった。
答えてしまえば彼はきっと、いずれ起きる“イベント”を命がけで止めようとするはずだから。
「……なあ、さっき死亡フラグっていっただろ? まさか俺が死ぬシーンのスチルが、ゲームにはあるのか?」
しかし真剣な顔を見る限り、押し黙ることを彼は許してくれそうに無い。
だから私は、伝えるべき言葉だけを口にする。
「……ええ、見たわ」
「でも俺は知らない。アシュレイが出てくるシーズンは全キャラプレイしたしスチルも解放したが、そんなものはなかった」
「悪魔と愛の銃弾には、他にもシリーズがあるのを忘れた?」
「だがアシュレイは人気が無くて解雇されたって……」
「一度はされたわ。でも私達が死ぬ直前にサービスが始まった、ソシャゲで再登場したの」
そこで、彼は久しぶりに攻略キャラとして復活した。
けれどソシャゲ版で描かれていた彼の未来は、決して幸せな物ではなかった。
「もしかして、ソシャゲだとバッドエンドオンリーなのか?」
アシュレイの質問に、私は慌てて首を横に振る。
「そんなことないわ。……そんなこと、絶対に無い」
「だが死亡フラグだとさっき……」
「ふ、フラグはちゃんと折れるの。だからこそ、今まであなたにも話してこなかったのよ、下手な心配をかけたくなくて」
「じゃあ俺は、死なずに済むのか?」
「ええ。あなたは死なずに済むわ」
断言すると、アシュレイはひとまずほっとしたようだ。
「よかった。ギーザと結婚する前にいきなり死ぬとか、さすがに勘弁だからな」
「け、結婚!?」
彼の言葉はあまりに予想外だった。そのせいで声がうわずると、アシュレイは慌てた様子で頭を振った。
「いやすまん、今のはあくまで願望だ! き、君がしたくないならもちろんしない」
とかいいつつ、自分の言葉に傷ついた顔をして、アシュレイが項垂れる。
禍々しい翼が彼の気持ちに合わせてシュンと縮む様はどこか愛らしく、私はつい笑ってしまった。
この人は、こんなときでも私のことが大好きなのだろう。
それが嬉しくて、切なくて、私は雨から守ってくれる黒い翼にそっと触れた。
「結婚したかったらまずそれをしまって。あなたの死亡フラグは折れるはずだけれど、悪魔化していることはあまり知られたくないの」
「しまったら、してくれるのか?」
「まあ、考えなくもないわ」
途端にアシュレイが身じろいだが、やり方が分からないのか黒い翼が消えることはない。
それどころか彼が力を入れた途端、人の物だった瞳が赤く光り出す。
「も、もどらない……」
「気合いで何とかならないの?」
「き、気合い……! 気合い……! 気合いだ!!」
どこぞのレスリングパパのように力むアシュレイだったが、次の瞬間めきっと音がして彼の後頭部に立派すぎる角が生えた。
スチルのキャラデザに一歩近づき、思わず青ざめる。
「え、もしかして……。悪化してる?」
「だ、大丈夫よ。きっとすぐ戻れるわ」
そう言いつつ、不安が押し寄せる。
けれど解決策も見当たらず、私にはどうすることもできない。
それを歯がゆく思っていた矢先、突然路地の入り口に人影が現れた。
「見つけた……ボクたちの……獲物……」
その声には聞き覚えが有り、私は思わず息を呑む。
アシュレイと共に路地の入り口を見れば、影はゆらりと蠢き二つに別れる。
「……おいギーザ、あれって……」
雨の中、ゆっくりとこちらに近づいてくるのは二人の少年だ。
そしてその顔には、見覚えがありすぎる。
「イオスとジャミルよねあれ……」
「でもなんか、人相がゲームより悪くなってないか?」
その上二人が纏う空気は、もの凄く禍々しい。そんな彼らの目はアシュレイに向けられていた。
「……え、なんか……ピクシブで見たエロ漫画と同じ顔してないか?」
「うん、私も思った……」
目の前の双子は、快楽に任せアシュレイにあんなことやこんなことをしていたときと全く同じ顔を浮かべる。
でもさすがに、この状況では興奮することも出来ない。
だってこれは現実で、アシュレイの姿は人ではないのだ。
「や、やめろ!! 3Pは嫌だ!!!!!!!」
「そんな事言ってる場合じゃないでしょ! ともかく、この人に近づかないで!」
思わずアシュレイを守るように前に出た瞬間、イオスとジャミルが怪訝そうに顔を見合わせる。
ゲームの中同様その動きは全く同じだが、現実で見るとあまりのシンクロ率に気味の悪さを覚える。
「……その女からも」「悪魔の香りがする」
直後、イオスとジャミルは私達の方へと手を突き出した。
彼らの指先から放たれたのが悪魔を拘束する魔法だとわかったが、身体能力の低い私では避けることが敵わない。
「ギーザ!」
次の瞬間、私を守るようにアシュレイが私を抱き寄せる。そのまま庇われる形になるが、アシュレイの身体を直撃した魔法は私にも降り注ぎ、ゆっくりと瞼が重くなる。
「ああくそ……3Pは……いやだ……」
こんな時でも緊張感のないアシュレイのつぶやきを聞きながら、私はゆっくりと意識を失っていた。
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