第11話:騎士は初恋を語る
目が覚めると、俺は床で寝ていた。
どうやら夜のうちに、ギーザがベッドからたたき落としたらしい。
「寝るときは自分の部屋に戻るという言いつけを、破ってすまない!!!」
絶交フラグだけは折らねばと、起きたばかりのギーザの前で土下座をすると、「別に邪魔じゃなかったし、いいわよ」と言われてひとまずほっとする。
とはいえ最後に見た珍しいデレモードは終わりを迎えてしまったらしく、俺が付き従うのを許しつつも相変わらず二人の間には見えない壁がある。
「いやだがめげないぞ。壁があっても、そこにギーザがいるなら幸せだ!」
「……そこ、独り言うるさい」
朝食を取るために食堂へと向かう道すがら、うっかり独り言をこぼしたらつれなくされた。だがつれなくされるのも嫌ではない。
彼女が目の前にいるだけで幸せな俺には、冷ややかな視線さえ最高のご褒美である。
それが顔に出ていたのか「さすがにきもい」と呆れるギーザとともに食堂に着けば、珍しく先客がいた。
「ほら、口を開けるんだセシー」
「あ、あーんなんて、子供っぽいよ」
「そんなことないよ。ほら、君の可愛いお口に餌付けをさせてくれ」
などと言うやりとりをしながらイチャイチャ朝食を取っていたのは、カインとセシリアである。
それまでのカインからは考えられない溺愛モードに戸惑い、俺は思わず入り口の前で尻込みする。
「な、なあ……あの二人がいつもこんな感じなのか?」
食堂に入ろうとするギーザを引き留めつつ尋ねると、彼女は大きく頷いた。
「ゲームの時も甘かったけど、バカップル感凄いのよね」
「セシリアのキャラも、なんか違うな」
「それは私や家族が溺愛しすぎたからかも。可愛いからってデレッデレに甘やかしたら、なんか子供っぽさが抜けなくて」
確かに、これはもはや別人である。
ゲームでのセシリアは、聖女の力を得ようとしたギリアムに拾われ、リーベルン家に養子として入ってくる。
だが思ったように力が扱えなかったせいで、彼女は疎まれシンデレラのようにいじめられて過ごすのだ。
そのせいで彼女は内気で慎ましい少女になり、醸し出される薄幸オーラに当てられたイケメンたちがポロポロ陥落していくのである。
「俺が破滅フラグを折った影響が、こんな場所にも……」
「まあセシーは幸せそうだし、いいっちゃいいんだけど」
ギーザの若干呆れた顔を見る限り、二人のいちゃいちゃっぷりには少々困惑もしているようだ。
「カインの方は一目惚れっぽいんだけど、溺愛の仕方が誰かさんにそっくりなのよね」
「誰かさん」
「それ、ボケ?」
本当に分からず首をかしげた瞬間、あきれ果てた顔をされる。そこでようやく、俺は気がついた。
「あ、俺か」
「そうよ。溺愛の仕方、子供だった私を甘やかすあなたにそっくりなの」
「俺、あんなだったのか」
「あんなだったわよ」
端から見ると、ちょっと恥ずかしい。
「私はもう大人だし、ぜったいアレはやらないでね」
「でもちょっとアーンはしたい」
「やらないで」
あえて念押しされたら、頷くほかは無い。
「まあでも、これでカインとセシリアの恋愛フラグは立ったし万々歳だな」
「ただまあ、心配なこともあるけどね」
「どこがだ? 絵に描いたように幸せな二人だろ」
「二人……なのが問題なのよ」
言われて、そこではたと気づく。
「そういえば、他の攻略キャラがまだ現れないな」
「そうなの。……まあ、固定ルートに入ったのならそれはそれでいいんだけど」
「やはり俺が、色々と大筋を曲げてしまったからだろうか」
「それはあると思うわ」
今のところセシリアもカインも幸せそうだし、ギーザの破滅フラグ復活の兆しも無い。
悪い意味で影響が出ているのは俺の悪魔化だが、目の色が変わった以上の変化はないし、俺と溶け合ったという魔帝の魂が目覚める気配もなかった。
おかげで最近は平和だが、少し静かすぎる気もする。
「そういえば、悪魔がらみの事件も何一つ起きないな」
「それも不思議なのよね。この学園だけじゃなく、大陸でもほとんど見かけないし」
悪魔の被害がなくなり平和になったのは良いが、ゲームのキャラ達に何かしら悪い影響を与えている可能性はある。
「ねえアシュレイ、他の攻略キャラが女学院に来ているかちょっと調べてみない?」
不安を抱いていたのはギーザも同じだったようで、彼女がそっと俺の袖を引く。
断る理由などもちろんなく、俺はギーザに大きく頷いた。
途端に、なんとも言えない喜びがこみ上げ身体がむずむずしてくる。
これはあれか、初めての共同作業か!?
「いま、初めての共同作業だーとか思ったでしょう」
「な、なんでわかったんだ……」
「最近のあなたは顔に出すぎるから、考えは読めるわ」
「本当に?」
そう言ってギーザが好きだと言う気持ちで彼女を見ていると、その頬が真っ赤に染まる。
確かに、気持ちはダダ漏れらしい。
「そ、そんなに暑苦しい顔向けないで」
「いつもと同じだ。ギーザが好きだって、ずっと思っていたし」
なんなら前世から思っていたと言えば、彼女が戸惑った顔をする。
「……っていうか、いつから?」
「ん?」
「いや、いつから私のこと……そういうふうに思ってたのかなってふと気になって」
「最初から、と言っても過言じゃないな」
多分、一目惚れだった。
そして会う度、俺は彼女の事をどんどん好きになっていったのだ。
「あなた、趣味が悪すぎるわよ」
「そんなことはない! 君は本当に素晴らしかった!」
そして俺は、過去を思い出しながらうっとりと目を細める。
「病気で辛いはずなのに、君はいつも笑顔を絶やさなかった。両親を気遣い、小児科の子供たちを励まし、医者にさえ心配をかけないように微笑んでいた姿にぐっときたんだ!!」
あとほかにも……と、前世の彼女の素晴らしいポイントを畳みかけようとしたのに、そこでものすごく唖然とされる。
「ま、待って……!? 私が小児科に通ってた頃、あなた側にいなかったわよね!?」
「いや、7メートルくらいの距離にはいたぞ」
「まさか、見てたの!?」
バッチリ見ていた。
ただその頃はまだ親しくなかったため、声をかけられなかったのだ。
その後彼女の体調が芳しくなくなり、俺と過ごすようになってからはほぼ部屋から出られなかった。
そのため、子供たちと親しくしているときの超絶愛くるしい表情を、俺には知られていないと思っていたのだろう。
でもちゃんと、はっきりと、双眼鏡まで使ってみていた。
「なんか、ストーカーっぽい……」
「し、仕方ないだろう。君に話しかけるきっかけが、なかなかつかめなかったんだ」
「よく不審者扱いされなかったわね」
「まあ、通報されかけたことはある」
「そんな危険を冒さなくても、普通に話しかけてくれたら良かったのに」
「だって、好きな子にどうやって声をかければ良いか知らなかったんだ!」
俺の言葉に、ギーザが「へ?」っと間の抜けた声を出す。
「あのころもあなた、私よりずっと年上だったわよね」
「ああ、年上だった」
「なのに、好きな子に声をかけることすらできなかったの?」
「だって、初恋だったし」
「その顔で!?」
「顔は関係ないだろ!」
「だって絶対女性が放っておかないし、婚約者だっていたんでしょ?」
「家が決めた婚約者だし、何の感情もなかったんだ」
時代錯誤も甚だしいが、俺は無駄に金持ちな家に生まれてしまったせいで、人生の全てを決められていた。
それに抗おうとも思わず、いずれ別れる時が来るのならばと、誰かを好きになることもなかったのだ。
「君と会う前は結構ドライだったんだよ」
「想像できない」
「自分で言うのあれだが、昔の俺はつまらない男だったと思うよ」
でもそこに彼女が現れ、俺の人生は一変した。
用もないのに病院に入り浸り、彼女を探し、遠くから見つめ続けたのだ。
その方法が、正しくない自覚はあった。
けれど彼女の素晴らしさに気づいてしまったら、もう止められない。
「俺なんかが近づいて良いのかと思うほど、君は本当に良い子だった」
「か、買いかぶりすぎよ」
「でも君はいつも、その笑顔で周りを元気づけていただろ? 例えばほら、俺たちが結婚する前――9月19日の午後3時28分のことを覚えてるか?」
「覚えてないし、詳しく記憶しすぎじゃない?」
「あの日見た光景はあまりに素敵で、忘れられなかったんだ。それにあのとき、俺は初めて君に触れた」
そこまで説明すれば、ギーザはなにかに気づいたらしい。
「もしかして、中庭で私が倒れたときのこと?」
「それだ。あのとき、俺が倒れた君を運んだんだ」
病院で検査を終えた俺は、いつものように彼女を探した。
すると彼女は、中庭で一人の少女を励ましていたのだ。
少女は手術前でナーバスになっており、手術が怖いと泣いていた。
その涙を拭い、彼女は少女を抱きしめていた。
『ここの病院のお医者さんはとっても優秀だから、きっと手術は上手くいくわ』
『ほんとう……? わたし、しんじゃったりしない?』
『もちろんよ。実は私も小さい頃から身体が弱くて、二十まで生きられないって言われていたの。でもこの病院に入院したおかげで、こうして大人になれたのよ』
ここのお医者さんは優秀だから自分は長生きできたのだと、少女に笑う彼女は本当に素敵だった。
『あなたもきっと元気になるわ! 病気の私でさえ、こんなに元気なんだから!』
そういって、彼女は楽しそうに中庭を走っていた。
おかげで少女は不安がなくなったらしく、最後は笑顔で病室に戻っていった。
だが、さすがに走るのはやり過ぎたのだろう。
その後彼女は中庭で倒れ、茂みの影から覗いていた俺が慌てて医者の元まで運んだのだ。
意識がもうろうとしながら、彼女は俺に向かって『だれだかわからないけど、迷惑をかけてごめんなさい』と謝っていた。
「思えばいつも、君は自分より周りを気にかけていたな」
「そ、そんなことないわ。私、結構自分勝手だと思うし」
「だがいつも、『心配ない』と言っては笑っていただろ」
俺に運ばれたときはもちろん、彼女はいつも笑顔を絶やさなかった。
親を心配させないように、周りを不安がらせないように、無理しているようにも見えた。
「私が笑っていたのは、ただ脳天気だっただけよ」
ギーザはそう言うが、俺は知っている。
誰も見ていないところでは、彼女の笑みはいつも陰っていた。
時には一人で、泣いていることもあった。
辛そうなその顔を見て、俺は彼女が必死に自分を偽っているのだと気づいたのだ。
だからこそ、傲慢な俺は彼女を救いたくなった。
無理をするなと言ってやりたい。
笑うときは、誰かのためではなく自分のために笑って欲しい。
そんな思いが溢れて止まらなくなり、俺は勇気を出して彼女との距離を詰めたのだ。
でも結局、俺が彼女を本当の意味で笑わせられたとは言い難い。
彼女は俺にも気を遣っていたし、そもそも俺も病気でへばってばかりいた。
むしろ側で「大丈夫だよ」と微笑んでくれる彼女に、俺ばかりが救われていた。
「私は、あなたの思ってるような出来た人間じゃない」
そして今も、告げる声にはどこか突き放すような響きがある。
その声に、やはり自分は彼女に心を許してもらえなかったのだと痛感した。
結局救われたのは自分だけだと気づかされ、俺はがっくりと肩を落とす。
「……でも、ありがとう」
だが、そのとき彼女がか細い声でそう告げた。
驚いて彼女を見れば、照れくさそうに顔をうつむかせている。
「俺は、感謝するようなことは何も出来てないだろう」
「倒れた私を、運んでくれたでしょう」
「出来たのは、それくらいだ」
「そんな事ないわ。私、あなたのおかげで救われたもの」
だから……と、彼女は俺の腕にそっと触れる。
「7メートル先から私を見ていてくれたことも、私を妻にしてくれたことも、感謝してる」
「嫌では……無かったか?」
「見られてたのは少し恥ずかしいけど、あなたが現れてからは毎日楽しかったもの」
そして彼女もまた、昔を懐かしむように遠い目をする。
「私の人生は、退屈で苦しい日の方が多かったの。病院から殆ど出られなかったし、学校にも行けなくて友達はほとんどいなかった」
だからゲームだけが遊び場だったのだと、ギーザは切ない声で告げる。
「だけど、ある日あなたが現れてくれた。私の好きな世界を一緒に楽しんでくれたのも、嬉しかった」
「ほ、本当か……!?」
「もちろんよ。ゲームの感想やイラストもSNS越しに眺めて「わかる!」って一人で頷くばかりだったから、あなたと悪魔と愛の銃弾の話が出来たときは本当に嬉しかった」
そして改めて、ギーザは俺に感謝の言葉を告げる。
「多分あの頃、私は一番幸せだった」
けれど、やっぱり彼女はどこか遠い。
寂しげにも見えて、それがどうしても気になってしまう。
楽しかった時間はもう終わってしまったと、彼女が思っているような気がしたのだ。
「過去形にするなよ、君はもう病弱な君じゃない」
だから俺は、ギーザの手をそっと掴んだ。
ウザいと言われるかもしれない。
でも前世のように、俺だけが救われるのは嫌だと思わずにいられなかった。
「せっかく大好きな世界に転生できたんだ。ここで一緒に、楽しく生きていこう」
そのために他のキャラも見つけてやると、俺は意気込む。
するとギーザが、小さく吹き出した。
「でもヒロインならともかく、悪役が楽しむなんてなんだかおかしくない?」
「おかしくないさ。それに君にはもう破滅イベントもないし、悪いことなんてしてないだろ?」
「……えっ、でも」
ギーザは何か言いたげだったが、俺は大丈夫だと彼女に笑った。
「ギリアムは悪堕ちしなかったし、君が追放されることももう無いだろ?」
そう言うと、ギーザは大きく目を見開く。
でもすぐに、彼女は何かを納得した顔で、小さく笑った。
「そっか。……そうね、あなたが無茶してくれたしね」
「なら、これからはゲームの世界を楽しむ時間だ」
俺が笑うと、ギーザも釣られたように笑う。
そして重なった手を、そっと握り返してくれる。
昨日の夜と似た雰囲気になり、俺は期待に胸を震わせた。
壁が消え、今ならばもっと距離を近づけられる気がしたのだ。
むしろキスだってできそうな雰囲気になり、俺はそっと顔を近づけた。
「じゃあ、是非イケメンたちに押し倒される所を見せてね」
――しかし次の瞬間、無情なほどギーザの笑顔が輝いた。
「……お、押し倒される!?」
「その格好いい顔が色んな意味で歪むところ、楽しみにしてるから」
輝く笑顔にまぶしさく思いながら、俺は自分の発言を少し後悔する。
どう歪んで欲しいのかは、もちろん聞けない。
「アシュレイにあんなことやこんなことをする新キャラ、早く来てくれないかしら」
今度こそ彼女には沢山笑って欲しいと思ったが、この笑顔は望んでいたものではなかった。
そして可能なら、ヴァージンは死守したかった。
でもそんな胸の内は口に出来ず、俺は肩を落とすばかりだった。
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