悪役令嬢と二度目の恋を!
28号(八巻にのは)
第1部
プロローグ
「もし生まれ代わるとしたら、ネット小説みたいに乙女ゲームの世界に転生したいな」
そう言って微笑む妻の顔を見て、俺は正直少しショックだった。
生まれ変わっても俺と結婚したいとか、そういう言葉をたぶん期待していたのだ。
でも、妻が俺よりゲームを選ぶ気持ちはわかる。
俺は38歳のおっさんで、妻はまだ20歳そこそこだ。そもそも結婚したのだってかなりおかしな成り行きでだったし、多分彼女は俺のことをさほど好きではない。
俺の方は、割とぞっこんだったけれど。
「ねえ、あなたはもし生まれ変わるとしたら何になりたい?」
また、君の旦那になりたい。
そう言いかけたけど、痩せ細った妻にいらぬプレッシャーはかけたくなくて、本当の言葉はぐっと飲み込んだ。
「じゃあ俺はあれかな、チート的な奴。君が乙女ゲームに転生するなら、俺は剣と魔法の世界で俺ツエーする」
「もう既に、あなた結構チートだと思うけど?」
社長だし、金持ちだし、イケメンだし、ひげも素敵だしと笑う妻に、俺は噴き出す。
「それくらいでチートって言わないだろ。それにこの渋さをわかってくれるのは、君くらいだ」
「そうかしら?」
「ああ。だから君と結婚できて、良かったよ」
そう言って笑うと、妻は慌てた様子で顔を背ける。
それは照れたときに妻が見せる癖だ。彼女は恥ずかしい顔を人に見せるのが嫌らしく、俺と喋っているとすぐこうして顔を背けてしまう。
でも赤くなった耳や、落ち着かない様子で手を組む仕草を見れば恥じらっているのは明白だ。
「あなたって、時々乙女ゲームのイケメンみたいなこと言うのね」
「じゃあ俺も、いっそ君と一緒に転生しようかな」
「転生しても良いけど、落としやすいキャラにしてね」
「おい、それって……」
「私、一度やってみたいのよねハーレムエンド!!」
期待した俺が馬鹿だった。
だけど、攻略しようと思ってくれるだけでよしとしよう。そうしよう。
そんなことを思いながら、俺は「こいつめっ!」と嫁の頭をワシワシ撫でた。
……。
…………と言うやりとりが前世であったことを、突然思い出した。
アシュレイ=イグニシア。二十歳の夏のことである。
おい待て、アシュレイってこの名前……嫁が好きだったゲームのキャラじゃね?
『悪魔と愛の銃弾 セカンドシーズン』のキャラじゃね?
それもおっさん過ぎて人気がなかったあいつじゃね?
などと大混乱に陥っていると、突然天使かと見まごうショタッ子に顔を覗き込まれた。
「どうしたのだアシュレイ。さっきから顔がおかしな事になっているぞ」
そう言って指摘してくるショタ……いや少年にも見覚えがある。
悪魔と愛の銃弾のメイン攻略キャラである、カイン王子だ。
まだ五歳くらいのはずなのに、もう既に輝かんばかりの美貌を有している。
目が……目が……!! などと叫びたくなったが、そんなことをしたら驚かれるので我慢した。
少なくとも俺、アシュレイはそんなことをするキャラではない。
クールな渋格好いいおじさまキャラ。それがアシュレイの設定だったし、つい三分ほど前までは俺もそんな性格だった。
まあ、おじさまと呼ぶにはまだ少し若いけれど。
いやしかし、本当にここはあのゲームの世界なのだろうか。
自分、前世はただのおっさんなんだが?
乙女ゲームに転生する要素一個もないんだが?
などと内心混乱していると、不意にカインがぎゅっと俺のズボンの裾を掴む。
「もしや具合が悪いのか? 今日の稽古は終いにするか?」
そう言って縋り付いてくるカインの頭を、俺は自然と撫でる。
俺は彼の護衛騎士であり、剣術指南役なのだ。
そして今日も木剣を片手に剣術の稽古をつけていたとき、俺は何故だか突然前世を思い出したらしい。
でも一体なぜ、このタイミングなのだろうと考えていると、突然カインが苦しげに頭を押さえる。
「どうなさいました?」
慌てて膝をつき様子をうかがうと、カインは大丈夫だと苦笑した。
「……また、幻覚を見たのだ」
青白い顔を見て、俺はカインに予知能力があることを思い出す。
その能力故に疎まれ、第一王子にもかかわらずこの国で王子は疎まれている……と言う設定だった。
そしてそんな彼の心の支えが、アシュレイなのである。まあそれも、ヒロインが出てくるまでの話だが。
「何を見たのですか?」
「……私の暗い未来だ。見知らぬ悪魔が現れ、僕を……」
カインが何か言いかけたとき、突然周囲が騒がしくなる。
何事かと身構えていると、訓練場にやってきたのはカインの母親だった。
普段は息子の顔をろくに見に来ない母が何故だろうかと考えていると、彼女は感情の見えない顔で私とカインを見つめた。
「すぐ支度なさい。……あなたの、花嫁が産まれたわ」
母の言葉に慌てて部屋に戻るカイン。その背後に付き従いながら、俺はアシュレイに関する記憶を必死に整理していた。
蘇った前世の記憶は断片的だが、この国『イングリード』がゲームの舞台となった場所であることは間違いない。
そして自分が攻略キャラであることも、間違いないようだった。
病床の嫁のためにと代わりにゲームをプレイし、ファンブックを読み聞かせ、ピクシブの二次創作の音読までした俺にはわかってしまう。
でもなぜ自分なのだろう。普通ここは、嫁が転生するパターンだろう。
なんでおっさんの俺なんだ。神様は不公平すぎる……などと文句を言ったところで、状況は変わらない。
俺はカインに付き従い、気がつけばこれまたスチルで見たことがある広い屋敷までやってくる。
これは、どう見てもヒロインのご自宅だ。
スチルの絵よりもお屋根の色が鮮やかだが、間違いない。
この背景の前で、イケメンたちとチュッチュしていたのを覚えている。いや、俺もか。どうしよう、この唇は嫁の物なのにと困惑していると、そこでまたカインがぎゅっと俺のズボンを握った。
「アシュレイ、やはり具合が悪いのか?」
「いえ、そういうわけでは」
「でも冷静なお前が、そんなに狼狽しているところなど見たことがない」
ゲームキャラとはいえ、察しの良い五歳児である。そして子供に本気で心配されるのは、さすがに情けなかった。
「何でもありません。それよりあの、このお宅は?」
「聞いていなかったのか?」
「ちょっと、考え事をしていたので」
「リーベルン公爵のお屋敷だ。この中に、僕の未来の花嫁がいるらしい」
「ご結婚おめでとうございますと、言うべきでしょうか?」
「それには、まだ17年ほど早いな」
そう言うカインの表情は、何故だか少し悲しげだった。
「家が決めた相手だ。……でも僕は、きっと彼女を好きにならないだろう」
「何故です、ヒロインですよ?」
「ひろいん?」
失言に気づき、俺は慌てて口を閉じる。
同時に、俺は大事な設定を思い出した。
確かにここはヒロインの家だが、たぶん今日生まれたのは彼女ではない。
彼女にひとつ違いの姉『ギーザ』だ。ゲームスタート時、カインはこのギーザの婚約者なのである。
そして彼女は、いわゆる悪役令嬢だった。
この1年後にヒロインが産まれるのだが、確かこの家の娘ではないはずだ。
たしかヒロインが三歳か四歳くらいになる頃、国を救う聖女の力に目覚め、それを利用しようと企むリーベルン公爵の養子になるのだ。
リーベルン公爵は典型的な悪者キャラで、私腹を肥やしいずれは王家を乗っ取ろうと画策している。
そしてその娘のギーザも親に似て性格が悪く『平民のくせに!』とかいいながら、ヒロインをめっちゃいじめるのである。
「まあ、あれとは結婚したくないよな」
「え?」
「すみません、独り言です」
コホンと咳払いをして、俺はアシュレイの表情に戻る。
それからカインと共に屋敷に入ると、そこにもやはり見覚えがあった。
ゲームの背景と、寸分違わぬ豪華さだった。
「……アシュレイ、一緒にいてくれ。赤子に会うのははじめてだから、どうすればいいかわからないんだ」
自分も赤子が得意ではないが、幼い王子の不安を拭ってやりたかったので「側におります」と頷いた。
それから腹黒なリーベルン公爵に挨拶をし、俺たちは子供部屋に通される。
未来の旦那候補とは言え、産まれたばかりの赤子と対面させるってどうなんだ。
育つ愛も育たなくなるんじゃないか……などとぼんやり考えながら、俺はカインと共に寝かされた悪役令嬢の顔をそっと覗き込んだ。
そして、俺は全てを察してしまった。
「だ、抱いてもよろしいでしょうか」
思わず口から言葉がこぼれると、側で寝ていたギーザの母親が目を見開く。
だがすぐに、俺の言葉を王子の言葉だと曲解したのだろう。
「ええ、是非どうぞ」
母親は、朗らかに笑った。この数年後に死んでしまう運命を背負った母親は、とても慎ましく穏やかな女人だった。
「では、失礼します」
ベッドからそっと赤子を持ち上げた瞬間、俺の身体を雷に打たれたような衝撃が走る。
彼女を抱き締め、そして俺は確信した。
この赤子は、俺の前世の嫁に違いなかった。
「アシュレイ……大丈夫か?」
赤子を抱いたまま固まる俺を見て、カインが心配そうな顔をする。
本当ならここで彼に彼女を渡すべきなのだろうが、出来なかった。
だって嫁である。俺の嫁なのだ。
「……カイン様、先ほど言った言葉は本当ですね?」
「先ほど……とは?」
「この子の事は好きにならないと」
「あ、ああ……」
そこで、カインはそっと声を落とす。
「実は僕は何度も夢で見たんだ。夢の中で、僕は別の女の子と恋をするんだ」
「わかりました。じゃあそのまま、夢の中の子に恋をしていて下さい」
絶対だぞ。絶対惚れるんじゃねぇぞと言う目で睨むと、カインが慌てて頷く。
そんなことをしていると、不意に嫁が俺の顔へと手を伸ばした。
そして彼女は楽しげに笑い、俺の頬をペチペチと叩く。
「あらすごい、もう目が開いたのね」
彼女の母親と、乳母らしき老女が驚いた顔をする。
またカインも、赤子の可愛らしい声に少しだけ緊張をほぐしたようだ。
「どうやら、アシュレイを気に入ったようだな」
「申し訳ございません。この子ったら、未来の旦那様が側にいるのに」
「いや、いいんだ。アシュレイは誰もが惚れる良い男だからな。いっそ代わりに結婚するか?」
「はい」
大真面目にそう言うと、部屋の空気が凍る。
だが俺はもう、なりふり構っていられなかった。
「俺では駄目でしょうか?」
大真面目な声で言うと、丁度部屋に入ってきたリーベルン公爵が手に持っていた妻への食事をガシャンと落とした。
そのときになって、俺は今更のように公爵とは幼なじみだったことを思い出す。
今でこそ性格が拗れてしまったが、かつての公爵は機知に長けた優しい男だったのだ。そんな彼と俺は親友で、共に学び騎士団で剣の腕を磨いた。
だから押せば何とかなるんじゃないかと思い、俺は嫁を母親に託すと公爵――ギリアムへと詰め寄る。
「俺では、駄目でしょうか!!!」
「近い近い近い近い!!」
悪役面が歪み、昔よく見た情けない困惑顔をギリアムは浮かべる。
「足りないスペックは補いますので、何卒!!」
「す、すぺ?」
「金ですか? 地位ですか? 土地ですか? 何があればお嬢さんを頂けますか!」
「ど、どうしたのだ……。俺とは二度と口をきかないと言っていたくせに、何故突然そんな……」
「過去は水に流しましょう。それよりも今は未来です。お嬢さんを俺に下さい」
「う、産まれたばかりだぞ。それに娘は王子と結婚させるという取り決めで……」
「破棄して下さい! お父様の財力と権力を駆使して何卒!」
「さりげなくお父様とか呼ぶんじゃない!」
「いずれ呼ぶなら、今呼んでも同じです」
「しっ、親友のお前にお父様とか呼ばれると気持ちが悪い!」
「じゃあ好きなように呼ぶので、何卒お嬢様も俺に!」
そのまま肩をつかんでいると、さすがに声が大きかったのか嫁が泣き出す。
だが我に返った俺が慌てて嫁の側に引きかえすと、泣き声はあっという間に止まった。
「この子、本当にアシュレイのことが好きなんだね」
カインの呟きに、ギリアムとその妻が何やら顔を見合わせる。
これは脈有りだなと思いつつ二人に笑顔を向けると、ギリアムがコホンと咳払いをした。
「まあ、我が公爵家に相応しい地位を得たら考えてやってもいい」
「安心して下さい。俺は、嫁のためなら何でも出来る男です」
「まだ、嫁じゃない」
いや、もう既に俺の嫁だ。
そう思ったが言葉にせず、その日はカインと共に帰ることになった。
「ねえ、もしかして僕が結婚したくないと言ったから、あんなことをしたのか?」
帰りの馬車で、そう尋ねてきたのはカインだった。
まったくもってそんなつもりはなかったが、冷静に考えると俺の行動は少し強引すぎた。
だから「ええまあ」と誤魔化した。
「だと思った。いくら何でも、赤ん坊に惚れて求婚するなんて変だし」
正確には赤ん坊に惚れたのではない。彼女からほとばしる嫁のオーラと魂に惹かれたのだと思ったが、言ったところで理解はされないだろう。
人知を越えた魔法が実在する世界だが、輪廻転生の概念はここにはない。
それにここはゲームの世界だと言っても、信じてはもらえないだろう。
俺だってまだ、混乱している。
しかしどう考えても、ここは乙女ゲームの世界で、俺は攻略キャラで、嫁は悪役令嬢なのだ。
よくよく考えると、色々障害はある。というか障害しかない。
俺はヒロインの相手役だし、ゲーム通りに進むなら悪役令嬢にはろくな未来がない。
でもそれでも、知ってしまったからにはもうこのままではいられない。
――今度こそ、嫁には幸せになって欲しい。
そんな思いが、今や俺の全てになっていた。
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