第9話

「——はい?」


 賢者タイムに入る隙すら与えられぬまま放たれたクロイゼンの言葉に、セイジュはそう返した。


「何だ、おまえたち人間は耳も悪いのか」

「え、え、だってくろいじぇ……くろいずぇ……王子様、俺は男ですよ?」

「おまえは滑舌が悪いのではなくアホなのか。自分が住む国の王子の名前すら発音できんとは呆れてものも言えんな。だが安心しろ、俺はアホも嫌いではない」

「い、いやだから! 俺は男です! 王子はお嫁さんを探しているのでしょう?!」

「そうだ。だからおまえを娶る」

「だーかーらあああああ!!」


 射精の余韻と目の前の見目麗しい『悪魔の王子様』の言動に混乱したセイジュは思わず大声を出してしまった。


『セイジュ? どうした?』


 ドアがノックされると同時に、堕天使ヴィネの声が聞こえた。

 セイジュは自分の下半身を見遣って青ざめた。これは全く隠せない。


『心配だ、入っていいか』


「部外者は入るな。セイジュは今俺と話している」


 クロイゼンが言い放つと、外でざわめきが起こった。


……ざわめき?


 セイジュは首をひねった。

 外にいるのはヴィネだけではないのか? 確かに今、クロイゼンの言葉の後に、複数名の声がした。タゴンさんの地鳴りのような声が聞き取れたような気がしなくもない。


「セイジュ、おまえは本当にアホだな。この村の住人はおまえの正体を知っているし、密かにずっと見守ってきたんだぞ?」


「——はい?」


 本日二度目の「——はい?」の後、ヴィネが扉を開けて入ってきた。

「部外者は入るなといったはずだが?」

「これはこれは、クロイゼン・フォン・カンパネラ・ラリーハリー・ウォルズ王子」

 ヴィネの醸し出す雰囲気がいつもと違うことに、セイジュは気づいた。そして慌ててソファの端にあったブランケットで下半身を隠した。

 ヴィネは、攻撃的、敵意、といった言葉がフィットするオーラを放ちながらそこに立っていた。なんでだろう? とセイジュは首をひねる。あかん、こいつほんまもんのアホや。


「堕天使……。そうか、ここに他のクリーチャーが入り込めない結界を張っていたのはおまえだな? なるほど、部外者ではないようだ」

「それを知っていてわざと結界ギリギリの所で罠にかかったふりをしていた貴方の人格も相当ひねくれてらっしゃいますけどね、王子」


 ヴィネとクロイゼンがバチバチと火花を飛ばしていることなど気づかず、


「あのー」


 と、セイジュが挙手してそれだけ言った。


「さっき王子様が言ってたのはどういうことなの、ヴィネ。結界って何?」

「それについてはワシから話そう、セイジュ」

 木製の杖をついて雪女のフラムと共に入ってきたのは、長老ルーニーだった。妙な訛りはなくなっている。

「六年前になるか、おまえがこの村に来た時——」


「コスプレが下手過ぎてどう見ても人間だったがなんだか愛らしく、世話をしていく内に村人全員が情を抱き、そこの堕天使が、セイジュが他のクリーチャーに襲われないよう村の周囲に結界を張った。ひとりでラリーハリーに行く時も、誰かしらがボディガードとして密行していた、と」


 立て板に水でクロイゼンが言うと、


「ク、クロイゼン様! ワシのようなモブにも見せ場というものがあるのです! それをあっさりかっさらうとはなんと無慈悲な!!」


 ルーニー爺はクロイゼンに文句を垂れていたが、セイジュは呆然としていた。


「どうでもいい。セイジュはこれから王宮に連れて行く。セイジュ、荷造りをしろ」

「させません」


 強い語気で言い切り、クロイゼンの正面に立ったのはヴィネだった。

 その背中を見て、セイジュは初めて『堕天使』としてのヴィネを見た気がした。


 そのまがまがしい覇気と漆黒の翼を。


「セイジュは俺のものです。たとえ相手が王位継承者であっても渡すわけにはいかない」


 セイジュがぽかんとすると、クロイゼンが笑いながら語りかけてきた。


「聞いたかセイジュ、この堕天使はおまえに惚れているそうだ」 

「え、え、は? ヴィネ? なんで? 俺たち友達だろ? っていうか俺男だよ?」

 ヴィネは応えなかった。

 そして両腕を開き、手に酷くいびつな形の炎のようなものが燃えさかり始めると、クロイゼンがセイジュの方に飛んで手を掴んだ。

 セイジュの意識は、そこで途切れる。

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