第十一歩 告白

 13


 部屋に戻って厚着に着替え。

 あたし達は建物の裏手にある、手入れの行き届いた庭を散策していた。

 こんな季節にも関わらず、庭には千紫万紅の花々が咲き乱れており、他の観賞客の姿もちらほら見える。

 と言っても、あたし達の目指す場所はここではない。

「なあクリス、いい加減教えてくれよ。この先に何があるんだ?」

「それは内緒。どうせすぐ分かるんだから焦んないでよ」

 先程から執拗に尋ねてくるカズマ君をサラッと流し、どんどん奥へと進んでいく。

 徐々にすれ違う客の数が減ってきたところで、漸く目的の建物が見えて来た。

 それは庭の端にある、こじんまりとした石造の小屋。

 外壁に沿って組み上げられたその円形の建築物からは暖かな光が零れている。

 それを確認し、あたしは悠々と足を踏み入れた。

「こんばんは。『グロラッツ庭園』へようこそお越し下さいました。庭園見学をご希望のお客様でしょうか?」

 と、中央に設けられた受付から、気品のある婦人が声を掛けて来た。

「はい、二名でお願いします」

「畏まりました。只今からのご入場ですと、およそ一時間程しかご見学頂けませんが構いませんでしょうか?」

 こくりと頷くあたしの前に、叔母さんは一巻の羊皮紙を広げ、名前と部屋番号を記載するよう求めて来た。

 言われるままに、あたしはカズマ君の分もまとめてサラサラと。

「ご協力ありがとうございます。お名前は……クリス様、ですか……」

「あの……どうかしました?」

 急にまじまじと見られたら戸惑いを覚えるんだけど。

「これは失礼致しました。ただ、良いお名前だと思った次第です。では、此方がお二人のチケットです。左手奥の扉からご入場下さいませ」

 そ、そういう事か。

「あ、あっはは、ありがとうございます。それじゃあ助手君、早速いってみようか!」

「事前説明なしかよ。はあー、分かった。ここまで来たら乗り掛かった舟だ。何処へでもお供しますよ、お頭!」

 何だかんだでカズマ君も乗り気なようで安心した。

「それと、三十分程度でしたら遅れても構いませんので、ごゆっくりお楽しみ下さい」

「あれ、そうなんですか? こういう所って厳格に時間制限かけてると思ったんだけど意外と気前いいんだな」

 いやいや、そんな訳ないでしょう。

 仮に大目に見てもらえたとしても、わざわざ口に出していう物ではないはずだ。

 小首を傾げて悩むあたしに、叔母さんはふっと笑いかけ。

「幸運にもお客様が到着する頃が丁度見頃だと推測されます。どうかサトウ様との良いお時間をお過ごし下さい、クリス様」

「……そ、そうなんですか。貴重な情報をありがとうございます」

 ううっ、服屋のお爺さんといいこの人といい、どうしてこんなに察しがいいのかな。

 ああいう含み笑いをされると全部見透かされている様で無性に照れ臭い。

 あたしってそんなに分かりやすいのだろうか。

 だが、本音を言えばこれはかなり有難い。

 他の人にちょっと申し訳ない気もするが、折角なのでご厚意に甘えさせてもらおう。

「お頭、顔赤いですよ」

「うるさいようるさいよ助手君、ちょっと黙ろうか。ほ、ほら、ごちゃごちゃ言ってないで行くよ! ……そこ、ニヤニヤしない!」

 こんな調子であたしは目的を達成出来るのだろうか。

 ……不安だ。


 14


「――これで池の淵まで降りて来た訳か。げっ、あのホテルあんな崖っぷちに建ってたのかよ、今更ながらゾッとするな」

 辿ってきた道を振り返り、カズマ君がげんなりとした声を上げた。

「ほんと、緩やかに下って無かったら今頃足が笑ってたかもね。道を整備してくれた人に感謝しなきゃ。さっ、ここからは木道があるから随分と歩きやすくなると思うよ」

 分岐を右に曲がったあたし達は水っぽくなった雪を踏み締め、池に沿った木道を慎重に進み始めた。

 今夜は新月なので頼れる光源は星明りのみ。

 初めは少し不安だったが、降り落ちてきそうなぐらい天蓋一杯に散りばめられた星々は意外と明るく、進行には全く問題なかった。

「結構歩いてきたけど、まだ着かなのか? 体感だとニ十分ぐらい経ってるんだけど」

「もうちょっとだよ。キミだって、どうせなら一番綺麗な場所で楽しみたいでしょう?」

「そりゃあ、まあ。にしても、この池って何で凍らないんだ? 麓の池にはしっかり氷が張られてたってのに」

 周囲の情景を見渡しながら、カズマ君が最もな疑問を投げかけてくる。

「いい質問です、助手君。実は、ここの地下には小規模ながらもマグマ溜りがあって、その影響でここら辺だけは他所よりも地温が高いんだよ。まあ、急に噴き出すとかはないからそこは安心してね」

「あー、だから積雪量も少ないのか、通りで岩肌が剝き出てると思った。俺はてっきり、この山は頭が沸いてるから溶けてるんだ、とかそんなノリかと」

「確かにそういうのもあるね。カチカチ山とかは機嫌が悪いと頭に溶岩が上って噴火するんだよ」

「あるのかよ⁉ 冗談のつもりだったのに、これだから異世界はっ!」

 そんな他愛もない話をしながら、のんびりと木道を歩いていく。

 閉館間近という事もあってか、一度も人とすれ違うことがない。

 見上げれば何処までも広がる雄大な銀砂。

 緩やかな曲線を描く鉄色の山嶺は天地を繋ぐ道筋のようだ。

 こうして暗闇に紛れ壮麗な大自然を前にすると、自分がこの場と同調しているような気分になってくる。

 っと、いけないいけない、感傷に浸り過ぎて危うく通り過ぎるところだった。

 中継地点でもなんでもないその場所で足を止め、右手にある道なき傾斜を指差す。

「さて助手君、ここで木道を降りてちょっとだけ登るよ。あたしが先導して雪を踏み固めるから、助手君はその上を歩いて来てね」

「何気にムズイ事要求するな。てか、ここって庭園なんだろ? 木道がない場所は進入禁止なんじゃないのか」

「そんなに奥まで行かないから大丈夫さあ」

 軽やかな足取りで木道を飛び降り、あたしはチロッと舌を出す。

 それを見たカズマ君は苦笑を浮かべながらも素直について来てくれた。

 細心の注意を払いながら、一歩一歩踏み進め。

「よし、ここぐらいでいいかな」

 十メートル程歩いたところで、事前に用意しておいたレジャーシートをサッと広げる。

 試しに座り込んでみたのだが……。

 視界の両端には山頂。

 中央にはそれらを結ぶ緩やかなアーチが見え、星の輝きを映し出した溜池がそれらを大らかに掬い取る。

 完璧だ。

「おっ、確かにここなら辺り一面満遍なく見えるな」

 どうやらカズマ君も気に入ってくれたらしい。

「ふっふっふ、これぐらいで驚いてたらダメだよ。これはまだまだ序の口。本当にすごいのはこれからなんだから」

「そう言えば、受付のおばちゃんも今が見頃だって言ってたな。それと関係あるのか?」

 そんな細かい事よく覚えていたものだ。

「まあね。てっきりもう終わっちゃってるかと思ってたんだけどラッキーだったよ」

「流石は幸運を司る女神様、タイミングが神がかってますね。あっ、もしかして今日の為に女神の力をちょこちょこっと行使したんですか?」

「してませんよ! あたし個人の都合で周りの人を巻き込む訳ないじゃんか! あっ、なにその疑うような目は、とっても心外です!」

 頬を膨らませたあたしに、カズマ君はニヤニヤしながら。

「やっぱりお頭は可愛いですよね。いっそこのまま俺と結婚して新婚旅行と洒落こみませんか?」

 ドックン‼

 ……………………。

「あ、あれ、お頭? いつもみたいにキレのあるツッコミいれてくれないんですか? 流すにしても少しぐらい反応してくれないと寂しいんですが。……クリスさーん! ……エリス様ー。…………もっとトークしようぜ⁉」

 投げ出していた足をゆっくりと戻す。

 それを抱えて三角座りをし。

 腕を枕にした私は、すっと横を見た。


「本当に、私と結婚したいと思ってくれているんですか?」


 ピタッと動きが停止し、微動だにしなくなるカズマさん。

 それに構わず、私は静かに言葉を続ける。

「キミは今めぐみんと付き合ってるんだよね? それも、ご両親にお呼ばれするぐらいにまで。その上で尋ねます。カズマさんは心の底からあたしと結婚したいって、最後には私を選びたいって。そう言ってくれるの?」

 長い沈黙が訪れた。

 口に出そうとしては噤み、何か伝えようとしては言葉にならずに霧散して。

 明らかにカズマ君は困惑していた。

 そんな彼から一瞬たりとも目を離さず、あたしはずっと見守り続けた。

「え、えーっとですね……その…………」

 眼を泳がせながらもカズマ君が話を切り出した、その時――


「な、何だ⁉ 何の音だ?」


 前触れもなく、唐突にそれは発生した。

 地獄の底から轟いているのではと錯覚する程の重低音。

 骨身にズンと浸透するかの如く響き、だけど何処か耳馴染みがある情景が髣髴とされる不思議な轟音だ。

「おっ、はじまったね」

「はあ、何が始まったんだ⁉」

「心配しなくても危険はないから、取り敢えず座りなよ」

 ポンポンッと隣を叩いてみせる。

 落ち着き払っているあたしを見て脅威はないと判断したらしく、カズマ君はまだ若干の警戒はしながらも大人しく座り直した。

 大気を震わせる重低音はしばらく続き。

 元の森閑とした空間に戻ったかと思われた次の瞬間、対面の斜面に朧げな微光がぽつぽつと姿を現した。

 いや、向かいだけじゃない。

 いつの間にか露出していた地面の随所には四方に展開した艶のある葉が張り付いており、葉から中心へ流動する薄紫の光子が、上へ上へと伸びていく。

 その儚い光子はやがて眩い光を放ち――


 ぱっと音もなく弾け、可憐な葵色の花が顕現した。


 飛散した粒子は暫く周囲に浮遊し。

 やがて、柱頭付近から止めどなく溢れる光と共に、ゆっくりと昇り始めた。

 忽ち、視野が紫粒子で塗り潰される。

 その景勝はなんとも神秘的で。

 筆舌に尽くすのを憚れる程の圧倒的な美がそこにはあった。

 チラッと、何気なくあたしは目を隣に向けてみる。

 そこには、ポカーンと口を開いた状態で微動だにしないカズマ君の姿が。

 この絶景を前に、さしものカズマ君も言葉が無いらしい。

 その横姿は、唯々この幻想的な世界に心を奪われていた。

「どうだい、何か思う事はあったかな?」

 囁き掛けたあたしに。

「ああ、言葉を失うって本当にあるんだな。あんまりにも綺麗だから逆になんにも感想が思い浮かばねえわ」

 何処か上の空のカズマ君はボヤっと答えはするものの、視線を舞上がる光子から目を離さない。

 大いに満足だ。

「良かった、これなら連れて来た甲斐があるって物だね」

 再び、あたし達の間に沈黙が流れた。

 だけど、居心地の悪さなど全く感じず、寧ろいつもよりも温かい気すらしてくる。

 足を投げ出し、手を後ろについて楽な姿勢を取ったあたしは、ぼんやりと星昇る様子を眺めた。


 15


「なあ、クリス」

「なにかな?」

 どれだけの時間がたったのだろう。

 漸く現世に舞い戻ったカズマ君は浮遊する微粒子に包まれながら。

「この現象は何なんだ? さっきから何が起こってるかさっぱりなんだが。てか、確かこの花って……」

 その言葉に、あたしは手近にあった一輪の花を愛おしむ様にそっと摘み取った。


「この場所はね、クリスの花の群生地なんだよ」


 葵色の花びらが付いた小さな花。

 芽吹きたてのそれはとても艶やかで瑞々しく、すっきりとした芳醇な香りが鼻腔を擽ってくる。

「天然物のクリスは発芽条件が特殊でね、ここみたいな極寒の地でしか育たないんだよ。夏の間に栄養を溜め込んでおいて、初冬は厚い雪の下で過ごす。そしてこの時期、雪の厚みが急激に薄くなった日の夜、雪の水分を吸収して一気に開花するんだ。その際に、雪と一緒に取り込んだ魔力を使用して余剰水分を排出するんだけど。それを傍から見たらまるで、薄紫に輝く光子が天へと飛翔する様に見えるって訳さ。試しにその光を突いてみなよ」

 言われるままに、カズマ君がそばを通り抜けた光をおっかなびっくり指で触れると、光はぱっと弾け四散した。

 前触れ無しで弾け飛んだのに驚いたのか、カズマ君は愕然とし。

「えっ、ちょ、ちょっと、何でいきなり泣いてるの⁉」

 口元に手を当て嗚咽を溢し始めたカズマ君に大いに焦る。

「ぐすっ……いや、よくよく考えてみたら、俺ってこっちの世界に来てもう一年半ぐらい経つのに。頭の悪い常識に悩まされるは仲間達の尻拭いを課せられるはでロクに異世界らしい現象に遭遇しなかったなと思ったら、何だか泣けてきてさ。お頭、俺をここに連れてきてくれて本当にありがとうございました」

「そ、そっか。色々苦労してたもんね、悦んでもらえて何よりだよ」

 非常に反応に困る感想だ。

 ……とりあえず、カズマ君の情緒が落ち着くまでは背中でも撫でてあげよう。

「ありがとうございます、もう大丈夫です。にしても、よくそんな細かい蘊蓄まで知ってるな、どれだけこの花が好きなんですか。自分の名前にまで使っちゃってるし」

 それは勿論。

「好きだよ。凄く好き。花の中だったら断トツかな」

 腕を頭の後ろで組み、ごろんとシートの上に寝転がる。

 視界に入るのは、地表から浮上する幾つもの小さな灯。

 それらが今にも零れ落ちそうな星空に向かって飛翔し、暗闇に吸い込まれ消えていく。

 このアングルも大好きなんだよなあ。

「へー、断トツって言い切れるんだな。何か理由でもあるのか?」

「理由、理由か……。そうだなあ…………」

 首を横にするとそこには、高さ十センチにも満たないちっぽけな花々。

 無数に存在する花々から生成される粒子は、限界など存在しないかのように淀みなく沸き上がっている。

「魔王が全盛期だった頃に一度、死亡者の数が例年と比較して激増した年があってね。その時に思っちゃったんだ、この世界にはもう明るい未来は訪れないんじゃないかって。この世界を管理する女神としてはあってはならない考えだけど、当時は本当に酷くてさ」

 連日に渡ってすっかり意気消沈してたっけ。

「そんな時だよ。とある先輩が、気晴らしに地上へ行ってみたらどうだって提案してくれたんだ。その時点ではまだこの世界に来た事はなかったし、あんまり乗り気じゃなかったんだけど。その人は口が達者だったから流されるままに地上に転送されちゃってね、それで辿り着いたのがこの場所ってわけ」

 横からの視線を感じながら、あたしは尚も言葉を続ける。

「幸運にもその日はクリスの花が開花する日でね、生まれて初めてこの光景を目の当たりにしたんだよ。そしたら何だか自分の悩んでいる事がちっぽけに思えてきて……心がすごく軽くなって……。ああ、また頑張ろうって、そう思えたんだ」

 後日、その花の事を調べて、名前がクリスである事や、花言葉が諦めない心だという事などを知り。

 事ある毎にこの花を愛でるようになり。

 いつの間にか、あたしはこの花が大好きになっていた。

「エリス様にも辛い時期があったんですね。……あれ、つまりこの場所はお頭にとって物凄く大事な場所なんですよね。俺なんかと一緒に来てよかったんですか?」

 …………。

「はあー。キミってさあ、こういう場合は大抵深読みし過ぎて、一人で空回りするタイプの人じゃなかったっけ?」

「ふぁっ⁉ ……ま、またまた、そんな思わせぶりな態度とったって俺は騙されませんからね。今までに何度も同じ手口で期待させるだけさせて最後には裏切られたんだ、あんな思いをするぐらいならもう俺は誰の事も信じないし期待もしない! そう、絶対にだ!」

 頑なに言ってるつもりかもしれないけど、ソワソワしてるのは一目瞭然だ。

「キミって人は、なんでこんなに捻くれちゃったんだろう。そんなに人を疑ってしんどくないの?」

「誰のせいでこうなったと思ってんだ、クリスにも責任の一端があるの忘れるなよ」

「な、なんのことでしょう?」

「ほほう、いい度胸ですね。だったら俺自らこの手で思い出させてあげようじゃないか」

「ご、ごめん、ごめんなさい! あれは反省してるから、その指の動きは止めて!」

 跳ね起きて流れるように頭を下げ、何とかカズマ君の怒りの矛を収める。

 余計な事は口走るもんじゃないね。

 あたしはふーっと白い息を吐き出し、それから池を隔てた場所にある花園を眺めた。

「あたしはさ、キミと一緒に来たかったんだよ。他の誰でもない、キミ自身とね」

「っ⁉」

「昨日、屋敷に着くまでは何処にしようか迷ってたし、正直何の計画も立ててなかった。だけどさ、キミと言葉を交わす内に、ここしかないって、そう思ったんだよ。この美しい景色を、あたしが私でいる為になくてはならないこの場所を、貴方にも見て欲しかった、知って欲しかった」

 ゆっくりと首を動かし、あたしは先程から黙っているカズマ君と向き合った。

 動悸がおかしい。

 血流のあまりの速さに心臓が痛みを訴えている。

「貴方には私の事をもっと知って欲しいし、私も貴方の事をもっと知りたいと思ってる。一緒にいろんなところを回って同じ景色を眺めたいし、一緒に年を重ねて同じ時を刻んでみたいって、心の底から夢見る私がいます」

 頬の火照りだって酷いものだし、可能ならすぐにでもこの場所を逃げ出したい。

 でも、この心の昂ぶりを抑えるなんて……出来ない。

「助手君……いいえ、佐藤和真さん」

 跪坐の姿勢で、私はそっと胸の前で手を組んだ――


「好きです。頼れる友人として、一人の異性として。私は貴方をお慕いしています」


 間違いのないように。

 この想いが彼に伝わるように。

 一言一言に万感の気持ちを込めて、ふわっとはにかんだ。

 私の唐突な告白に、カズマ君はすっかり固まってしまっていた。

 普段から表情豊かな顔を驚嘆一色にして、そして真っ赤に染めて。

 唯々ジーッと、あたしの顔を見詰めていた。

「いつまで呆けた顔をしているの? 女の子にここまで言わせておいて、黙ったままやり過ごすつもりなのかな?」

 からかうようなあたしの言葉に、カズマ君はハッとしたようにパチパチと瞬きをした。

 だが、その後に言葉が続くことはなく閉口してしまう。

 じっと、何かを思い悩み始めたカズマさん。

 組んだ手を膝に置き、あたしは何も言わずに黙って待ち続けた。

「……え……エリス、様…………」

 本当に辛そうに、今にも泣き出しそうな表情を浮かべて。

「……お、俺……は…………」

 それでも投げ出すことはせず、小刻みに揺れる瞳をあたしに合わせてくれた。

「……本音を言えば、エリス様は俺にとって理想のタイプの女性なんです。女神としてのあなたはいつも死んでやさぐれた俺の心に寄り添って優しい言葉を掛けてくれて、この世界の人間の為に陰ながらすごい努力をしてくれていて……。クリスの時も、一緒に盗賊団やったり、くだらない話に付き合ってくれたり。お頭の傍にいると凄く居心地がいいんですよ」

 所々で詰まりながらもカズマさんは話すのを止めない。

「よくよく考えたら、何処にでもいる平凡な人間に過ぎない俺なんかが、女神であるエリス様と接点を持てたこと自体がとんでもない幸運なのに。その上で、あなたは俺の事をす……好きだって……、言ってくれている。身が震えるほど光栄ですし…………多分、これまでの人生の中でもトップクラスで、ドキドキしてると思います」

 ぎりっと、何かが擦れる音が聞こえた。

 暗闇の中、不意にカズマ君は自分の胸元に手を当てぎゅっと握りしめた。

「……でも。……すいません。今の俺には、ずっと一緒にいてもいいかなって思える奴がいるんです。あいつの期待を裏切りたくないし、ここであなたを選んだら、俺は気になってる相手をあっさり見限る様なクズ男になってしまう。そうなれば、ただでさえ釣合い取れてないってのに、一層エリス様に見合う人間からかけ離れてしまう……。だから……ごめん。クリスの気持ちは本当に嬉しい……。……嬉しい……けど。…………俺はあなたとは……付き合え……ません…………」

 一陣の風が吹いた。

 それはあたし達の髪をたなびかせ、紫の徒花を天へと誘っていく。

 目の端に涙をじわりと滲ませた彼はすっかり縮こまっていて、それでも最後まで視線を逸らさなかった。

 …………。

 ……分かってた。

 カズマさんならこう言うんだろうなって、なんとなく予想はしていた。

 一見、やらせてくれるなら誰でも良さそうだし、ちょっと誘惑しただけであっさり篭絡するぐらい意思も弱いが。

 根本的な部分はとても純粋なのだ。

「……そっか」

 色んな感情が身体の中で渦巻いていく。

 空を仰いでみた。

 数分前と比べれば上昇する光子の数はかなり減っているが、それでも蛍の灯の様にふわふわと浮上するそれらの美しさは陰りを知らないようだ。

 ふうーっと、白く長い息を吐き出し。

 ニッコリと口角を持ち上げ、勢いよく立ち上がった。

「ありがとうね、真剣に応えてくれて。これでもう、思い残す事はないよ。さーてと、そろそろホテルに戻ろうか。随分と長い時間ここに居たし、こりゃ受付の叔母さんに怒られちゃうかな」

 未だに顔が晴れないでいるカズマ君も、ゆっくりとではあるがあたしに続いた。

 すかさずレジャーシートをポーチに仕舞い込む。

「よしっ、これで忘れ物はないかな。まだ光子が浮かんでるとは言え暗いんだし、足元には気を付けてね」

 高らかに声を掛けるも、カズマ君の動きは非常に緩慢で明らかに足元がお留守になっている。

「もう、しっかりしてよね。キミがそんな調子だとあたしが諦めきれないじゃないか」

「あ。ああ、悪い……」

 冗談めかして言った言葉にさえも、カズマ君は曖昧に応えてくる。

 ………………。

「だったらさ。一つだけ、我侭を言ってもいいかな」

「………………えっ?」

 数瞬遅れてから、漸く顔を上げるカズマ君。

 あたしは数歩分下っていた斜面を登り直し、彼の真正面に立った。

「キス、してくれない?」

「……ふあひゃ?」

 擬音にもならない音を出すカズマ君など気にせず、あたしは言葉を続ける。

「一度だけでいいの。これを最後に、キミの事はキッパリ諦めるから。だから……」

 彼の胸板にそっと手を添え、上目遣い気味に顔を見上げて――


「私の初恋を、あなたの手で終わらせてください」


 すっと目を閉じた。


 我ながら、何てあざとい迫り方だろう。

 こんな事をしたって、カズマさんを困らせる一方だ。

 第一、最後に一回だけとか、小説なら最後まで未練が残る人の常套句じゃないか。

 臆面となくよくもまあそんな事を言えたものだと自分で自分を締めてやりたくなる。

 でも、ダメなのだ。

 私はもう、自分で自分を抑え切れない領域に足を踏み入れかけている。

 だが、まだ間に合う。

 ここでケジメを付けられれば、まだ何とかなる。

 だから……この場所に全てを置いていく。

 後腐れなく、ホテルに戻ったらいつも通り、明日は何をしようかと声をかけるんだ。

 将来、今日あった日の事を思い返して、そう言えばそんな事があったねって、二人で懐かしむんだ。

 だから、これで最後だ。


 ごくりと喉が鳴る音が聞こえた。

 微かに服が擦れる音がしてから、手が両肩に乗せられる感触を覚えビクッと身を竦めてしまう。

「す、すまん!」

 慌てたように手を放したカズマ君に、あたしは眼を開き頭を横に振った。

「う、ううん、こっちこそごめんね! あたしは大丈夫だから、続けて」

「は、はい……その……い、いいんだな? 本当にいいんですね⁉ 直前になってやっぱ無しとか絶対やめてくださいよ!」

「お願いしたのはあたしなんだから、そんなこと言わないよ」

 この人は、ここにきてまで怯まないで欲しい。

 再び目を閉じたあたしに、今度はしっかりと両肩を掴んだらしいカズマ君の息遣いが段々と近付いてきて。

 柔らかいものが唇に触れた。

 一瞬ヒヤリとしたがすぐに熱を共有し合い、その温もりが身体中に伝達していく。

 ……そっか、これがキスなんだ。

 なんて言えばいいのだろう。

 頭がぼーっとしてくると言うか、身を委ねたくなるというか、ずっとこのままの状態でいたい。

 だがあたしの意に反して、それはすぐに終わってしまった。

 ゆっくりと眼を開いたあたしの目の前には、顔を真っ赤に染めたカズマ君の顔が。

 視線を逸らして何か言ってるのが、なんだかすごく愛おしい。

 ……ちょっとぐらいなら、そのほっぺたに触れてもいいだろうか。

 手を伸ばし、その色付いた頬を撫でようと……。


 ……………………。

 ……あれ、なんで視界が葵色に染まってるんだろう。

 カズマ君は何処に?

 ……ああ、なんだ、そこに居たんだ。

 首を横に曲げてるけど、一体どういった趣旨なのか。

 それに見た事無いぐらい真剣な顔つきをしている。

 本当にどうしてしまったんだろう。

 クリスの光もなんか右に流れてるし。

 不思議な……感じ…………だ……な……………………

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