ちぐはぐるーぷ
きこりぃぬ・こまき
ちぐはぐな旅人たちは当てもなく旅をする
1-1 旅人たちは無意味な会話を弾ませる
「ソフトクリーム食べたい」
ひんやり冷たく、柔らかでなめらかな舌触り。雪山のように高く積み上げられた甘い甘いソフトクリーム。でも甘く冷たいだけでは物足りないからさくさくしたコーンも付け合わせて。カップは食べやすいし手の汚れる心配はないけれどやはりコーンの存在は欠かせない。なんて偉大な存在。コーンを生み出した人は天才である。チョコやストロベリーなども捨てがたいが、やはり王道のバニラ味は欠かせない。そうは言ってもメニューを見たらどの味からも誘惑され、なかなか決められないことだろう。ミックスにするという手もある。トッピングにチョコソースをつけ合わせたら完璧だ。どうしても食べたい、我慢なんてできない。よし街に降りたら買おう。
ジャージ下にあるペンダントをいじりながら、抜けるように青い空を窓から見つめて決意する。昨日はバケツをひっくり返したように土砂降りだったくせに、今日は雲は一つもないカンカン照りだ。そんな空を見たらまず最初に厚く大きな入道雲が浮かんでいたらよかったのにと思うのは私だけだろうか。いや、そんなはずはない。そのままソフトクリームを連想するのも私だけではないはずと信じている。
「アホ面晒してる」
乾いていた口腔内に唾液が溜まっていく。ソフトクリームを鮮明に思い浮かべただけでこの状態なのだから私の想像力も捨てたものじゃない。街に到着するまでこの想像力で楽しもう。ぼんやりと空を眺めていると頭上から声が降ってくる。同時に後頭部に軽い衝撃が襲ってきた。
後頭部を押さえて振り返る。何も叩かなくてもいいではないか。不満を訴えるように頬を膨らませてみせれば声の主は酷く冷めた目で私を見下ろす。一般的に言われている可愛いという仕草をわざとらしくしてみせたが、恐ろしいほど整った美しい造形を前にしてすぐにやめる。それまでの間ずっと近ちゃんは呆れた顔をして仁王立ちをしていた。その姿すら息を呑むほど美しいのだから困ったものだ。
「女の子を叩くなんて近ちゃん酷い」
「…………」
今度は本気で殴られる。擬音語で表現するとしたら、最初のものは平手で軽く、今のものは拳骨。痛みも何もなかったが衝撃に驚いて思わず痛いと口にした最初のものとは違い、今のものはかなり痛かった。
まあ、それも仕方がない。彼は男性的でもあり女性的でもある美しい顔立ちを揶揄うようにちゃん付けで呼ばれることを心底嫌がっているのだから。
「今日も今日とて完璧な造形だよね。美しすぎて思わず溜め息を吐いちゃいそう」
「今日も今日とてずぼらな姿だな。女というより人間らしさを捨てるつもりか」
軽いジャブをいれると倍くらいの皮肉を込めて返される。指通りの良い濡羽色の髪は絹糸のように美しい。同色の瞳は熱を帯びていようが冷めていようが関係ない。視線を向けられたら緊張のあまり手足が冷たくなる。美男とかイケメンとかそんな陳腐な表現では物足りない。完璧な美。神が創造した傑作。過剰でも誇張でもなくまさにこの一言以外に近という男を表すことはできないだろう。
心を踊らせるイケメンアイドルが群衆の中心にいれば周囲の者は黄色い声をあげて騒ぐ。無名の者であっても美しい人が横切れば二度見をしたくなる。だが、完璧な美を体現する近はどちらにも該当しない。視界の端に映ればどれだけ無関心を貫こうとしても本能的に惹かれる。欲求に従って視線を向ければ、その行為だけで重罪を犯したかのような罪悪感にとらわれる。まるで神の傑作を穢してしまったかのような気持ちになるのだ。それでも一度目を向けてしまえば釘付けとなり目を逸らすことができない。もしも完璧な美以外の言葉で表すとしたら……そう。血が凍るような美しさという表現なんてどうだろう。
「よくもまあ人が嫌がっていることでそこまでからかえるな」
「苦手を克服する近道は刺激し続けることよ、近姫」
「締めるぞ、ジャージ女」
「怖い怖い」
鋭い眼光で射貫かれた私は肩を竦めてから降参のポーズをとる。これ以上揶揄えば拳骨では済まなくなるだろう。それはごめんだ。私は痛いことが何より嫌いなのだから。そう、これは苦手ではなく嫌悪。だから痛覚を刺激し続ける必要はない。
「そういえば何か用事でもあった?できれば動きたくないのだけれど」
「飯」
「なるほど、それは重要な案件ね。早急に行動するわ」
さすがにソフトクリームを作る器材をトレーラーに積んでいないので今一番食べたい物で食欲を満たすことはできないが、それでもよい。近が作るものはなんだって美味しいのだから。カーテンを閉めて立ち上がり、早く行こうと近の背中を押す。ダイネットに行くわずかの間にいろいろと言われたが、食い意地やらなんやらと聞き慣れた話だったので右から左へと流していく。
「あれ、全員揃ってる」
「どこぞの誰かが寝癖もそのままにぼけっと空を見ている間にな」
「空の汚れを全て洗い流すように土砂降りとなった翌日の朝はね、とっても澄み切った青空をしているの。それを眺めて穏やかな気持ちになろうとしたんだよ」
「穏やかもなにも、心が波立つようなことをお前はしていないだろ」
「失礼ね。そこまで無関心を貫いて心の均衡を保とうとは思っていないわ」
「どうだか」
ダイニングテーブルに並んだ朝食から視線を逸らさず会話を弾ませる。いつだったか私たちの会話はゴムボールのように勢いよく弾みすぎてそのうち怪我をしそうだと言った人がいたことを思い出しながらソファーに身を沈める。
「一番飯を食うやつが何もしないとはどういうつもりだ。飲み物くらい自分でとれ」
「失礼ね、まるで私が大食いみたいじゃん。あ、朝は牛乳派」
「みたいじゃなくて事実だろ。そんなこと今更言われなくても知ってる」
「全然違う。私、食べることは好きだよ。いろいろな味を堪能してみたいと思うし、美味しいものを食べたときは少しだけど幸せを理解できた気がするからね。でも食べる量はそこそこだ、ここ重要」
女子として聞き捨てならなかったので長々と説明していると近は辟易とした様子で冷蔵庫から牛乳を取り出す。空色のマグカップにとぽとぽと音をたてて注ぎ、私の頭の上に置く。よりにもよってそんなところに置くとはどんな嫌がらせだと思いながら慎重に降ろすとこれまた驚くことになみなみ注がれていた。生きていてこんなにも表面張力に感謝する日が来るとは思っていなかった。仕返しにシンクで洗い物をする背中を睨んでみるが振り返ることはない。
ああ、こんなことをしていたらできたての朝食が冷めてしまう。鼻腔と空腹をくすぐる香りに視線を戻す。分厚いベーコンの上に白身を広げ、ふっくらとした黄身を揺らして誘惑してくるベーコンエッグから食べることにしよう。
「萩野、おはようございます」
「いただきます。ん。おはよう、
「今日も髪を結ってください!」
「何度も言ってるけど、期待に添えるほど綺麗に結うことはできないよ。そういう手先の器用さはイオンの専門だからね」
「えへへ。それでも萩野に結ってもらうの好きなんです!」
部屋の隅で真っ白な毛の塊に埋もれていた笑流がとてとてと可愛らしい足音と共に近寄ってくる。車体の振動にに合せて揺れる照明の光と窓から射し込む太陽光の当たり具合で腰まで伸びたあお色の髪が表情を変える。隣に座ってきたので頭を撫でてやると笑流はにこにこと嬉しそうに笑いながら櫛とリボンを差し出してくる。朝食に集中したいところだが、今日はどんな髪型にしてくれるのだろうと全身でわくわくを表現してくる笑流に待ってと言うことはできない。大きく切ったベーコンエッグを口の中に放り込み、肉汁を味わうように咀嚼しながら希望通り髪を結ぶことにする。もちろん、こんなに綺麗なあお色の髪を油で汚すなんてことはしたくないので布巾で手を拭いてから。
「笑流はもう食べ終えたの?」
「はい。優白と一緒に食べました!」
「早起きだね」
「萩野がお寝坊さんなんですよ」
光源の種類、当たり方、強さ。もろもろによってあおの種類が変わる不思議な髪と瞳。櫛で梳いているだけで闇のように夜空のように深いミッドナイトブルーだったり、澄んだ青空のようなスカイブルーだったり、海のように鮮やかなコバルトブルーだったり。宝石のように煌めく瑠璃色にビー玉のように透き通ったセレストブルーだったり。無数のあお色が顔を出す。毎日のように笑流の髪を結っているが昨日と同じ色を見つけたことは一度もない。
笑流は光源の角度が少し変えるだけで色を変える髪と同じくらい素直ですぐに顔に感情が表れる。今だってふっくらとした頬を桜色に染め、上機嫌に鼻歌交じりに足をぱたつかせている。
「はい、できた」
「ありがとうございます! 優白、みてみて。萩野に結ってもらったの!」
髪を結い終えると笑流はぴょんっと跳ねるようにソファーから降りて部屋の隅を陣取る毛の塊に駆け寄る。笑流の弾んだ声に毛の塊はのそりと動き始める。後ろ足で首を掻き、頭を振って耳をぱたつかせる。それから閉ざされていた瞳を露わにする。深紅の瞳で笑顔を映すと優しい鳴き声をあげる。
「……優白を見ていると濃厚なミルクが飲みたくなるのよね」
「だから朝は牛乳派なのか」
「考えてみればそうかもしれない」
「単純だな」
「人間、単純が1番よ」
不思議な色をした一人の少女ととても大きな一匹の狼。まるで絵本のような組み合わせを眺めながらベーコンエッグを堪能することにする。洗い物を終えたらしい近は先程まで笑流が座っていた場所に腰をおろし、珈琲を飲み始める。それだけで絵になるのだから美しい容姿とは末恐ろしいものだ。感心しながら笑流と優白の方に視線を戻せば笑流は優白の艶やかな白い体毛に埋もれて笑っていた。
相変わらず気持ち良さそうな毛並みだ。もっふりと顔を埋めて昼寝でもしたらさぞかし心地良いことだろう。もっとも、優白は笑流以外の人間に気を許すことはしないから実現不可能だろ。今だってただ眺めているだけなのに視線を向けるな興味を抱くなと威嚇をしてくる。笑流に向ける優しさの一割でもいいから分けてほしい。
「近ちゃん、俺も飲み物のおかわりを」
「自分でやれ」
「萩野にはやってあげるのに! 贔屓だぞ!」
「そのまま干からびて口を閉ざせ」
「ひっでえ!」
それまでの間黙って朝食を摂っていたイオンはスパウトパウチの中身が空になるなり喋り始める。何度見てもスイッチのオンオフの差が激しすぎる。巻き込まれたら面倒臭いことこの上ないので近から距離を置く。とはえ、同じソファーに座っているのだからたかが知れている距離なのだけれど。
長い脚で向かいに座るイオンを蹴る近。その振動で皿が揺れるし埃もたつのでやめていただきたいものだが……蹴られていることに構わず爽快な笑顔を浮かべて近にじゃれ続けているのでしばらく収まらないだろう。
「イオンは今日もゼリーだけ?」
「消化しやすいからな」
「夜通し運転していたっていうのに……エネルギー不足にならない?」
「だいじょーぶだいじょーぶ」
とはいえ、疲労は蓄積されているのだろう。灼熱の太陽を連想させる目に痛い赤い髪をがしがしと掻き混ぜて大きなあくびをする。足元に土汚れがこびりついた迷彩柄のつなぎによれよれとなった白衣。夜中に外でも出たのだろうか。イオンの足を蹴っていた近に泥汚れが移ったようで顔を顰めていた。
嫉妬しちゃいそうなくらい仲睦まじい二人のやりとりを見ていると、視界の端にここにいてはならないものが映った。マヨネーズがかかったサラダを咀嚼しながら考えること数秒。ごっくんと嚥下してからイオンに質問する。
「ところでイオン。きみがここにいるということは誰がこのトレーラーを運転しているの?」
「ツナグが代わってくれるって言うから任せた」
「……ねえ、ツナグ。箒にすら乗れない自称底辺魔導士がトレーラーの運転をできるとは思えないのだけれど」
「ええ、できませんよ」
「で、イオン。もう一度聞くけど、運転しているはずのツナグはさっきからそこで優雅にティータイムをしているのだけれど……このトレーラーは誰が運転しているの?」
私たちが旅の移動手段にしている大型キャンピングトレーラー。
五人で使っても広さの余るダイニングテーブルにソファーが設けられたダイネット。三口電気コンロにシンク、更には冷凍庫付きの冷蔵庫を装備したギャレー。トイレ、シャワーと生活必需品の設備は当然のこと。最新式のエアコンを搭載。男女の部屋を分けた寝室。更には牽引されることなく自走するという優れもの。
キャンピングトレーラーというより自走するトレーラーハウスというべきかもしれない。当然、市販で販売などされているものではない。素敵なファッションセンスを持ち合わせたイオンの天才的な頭脳と豊富な技術を駆使して改造されたものである。なお、味覚が死んでいるのか食への関心が薄いのか料理だけは壊滅的である。
さて、話を戻すとしよう。隅々まで改造されたこのトレーラー。運転できるのは技術屋の肩書きを持つイオンくらいだろう。少し考えたら分かることだろうにツナグに代わると言われて素直に運転席を譲ってしまったのは昨日の土砂降りの中の運転が想像以上に疲れるもので頭が回っていなかったのだろう。
「お、おま、お前!」
「安心してください。自動運転モードにしています」
「俺、そんな機能を付けた覚えはない」
「魔法でちょちょいと」
「このトレーラーに魔法をかけるなって何度言えば分かるんだ! 解除だ解除、今すぐに!!」
快適に過ごすために改造されたトレーラーの数少ない欠点。それは揺れが大きさと魔力への耐性がゼロに等しいこと。ありとあらゆる科学技術を駆使して改造されているため、微弱な魔力だとしても影響を受けて不調を起こしてしまうのだ。
ということをどれだけ作られても食べられない非生産的なタコが耳にできるほどイオンから聞かされた。にも関わらず、この魔法使いはこっちの方が早いからとたびたびトレーラーに魔法をかけている。そのせいでトレーラーを何度修理したことやら。
大慌てで運転席に戻るイオンの背を眺め、唯一の運転手とは苦労するものだとほんの少しだけ同情する。だからといってイオンを休ませるために運転免許を取得しようとは思わないけれど、
「おはようございます、萩野。今日も素敵な朝ですね」
「おはよう、ツナグ。今日も素敵な笑顔で悪戯をするね」
「笑顔ほど人を素晴らしい気持ちにするものはありませんからね。どうですか、朝一番に萩野も笑ってみては」
「面白くもないのに笑うことは無理」
「おや、私の悪戯は琴線に触れませんでしたか」
「そうね、私の好みではなかったわ。近は満足気だけれど」
運転席に続く扉の横で優雅なティータイムを続けるツナグ。運転席からイオンの怒鳴り声が聞こえてきたので彼はやれやれと指を鳴らす。きっとこのトレーラーにかけたという魔法を解いたのだろう。
さて、今回はどのような不具合を起こすのか。腹を抱えて笑う性格の悪い近を横目に溜め息を吐く。悪戯をした当人と言えばにこにこと楽しそうにしているので、これは停車した後にイオンから拳骨が落とされることだろう。
「トレーラーは魔法で運転できるのに箒には乗れないってどうなの?」
「魔法を扱う者か箒で空を飛ぶという発想そのものが古典的ですよ」
「あ、そうなの」
「よく考えてください。あんな不安定で無防備な物で空を飛ぶということを」
「……ぞっとする」
想像するだけで血の気が引いてくる。その反応を見たツナグは夜空のようにきらきらした黒髪を揺らして笑う。髪も瞳もローブも真っ黒。そして褐色の肌。重たい印象を与える容姿をしているが柔和な笑顔で緩和されている。
近といい、笑流といい、ツナグといい。容姿とはとても大切なものだと思わされる。
「さて、トレーラーが停まるのも時間の問題だから近くの街でも調べておこうかな」
「地図をどうぞ」
「そういう準備はいいのよね」
「食料が買い足せるところない? できれば補充したいんだけど」
「となると……イシアかしら。商業で栄えていると言われているし。まあ、貧富の差が激しくて治安も悪いけど」
完璧な美。不思議な色。天才的な技術。巧みな魔法。
唯一、個性的な肩書きもなければ特徴的な容姿もない平々凡々な私。どこにでもいそうな女である。四人との違いといえば、私だけがセーラー服を身に纏って義務教育を受けていたことだろう。まあ、その義務教育ですら途中放棄しているので何とも言えないが。そんな私がなぜ個性の殴り合いをする集団に混ざって旅をしているかを語ろうとすれば長くなるので割愛しよう。
「イオン。トレーラーを直すならイシアに寄ろう」
「その心は」
「燃料補給もできるから」
「からの」
「美味しい名産品が食べたい」
「さすが萩野! 期待を裏切らねぇな!」
出生、年齢、性別。全てがばらばらな五人。一匹に関しては種族から違う。
あえて共通点をあげるとしたら相手の都合を聞かず自分勝手に行動するわがまま集団であるということ。つまり自由人の集まりである。私たちがどのようにして集まったか説明を始めるととても長くなるし、行先がどこかと聞かれたらそんなもの私たちが知りたいと答えるしかない。
これはちぐはぐな私たちが自分たちの足りないものを不格好に補い合いながら旅をする物語である。
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