余裕と慢心

 魔界は、この人界とは比較にならないほど過酷な土地だ。

 それは、自然環境が人の住むのに適していない……と言う訳じゃあない。……いや、どちらかと言えば、魔界の方が良いだろうなぁ。

 魔界が人界より過酷だと言えるのは、偏にそこに住む怪物たちの強さからくる話だ。

 魔界に生息するモンスターは、弱いものでもこの人界では上位に属する個体が多い。

 個体数の少なさが幸いして、何とか人の生活圏が確保出来ているんだ。

 メニーナの故郷であるエレスィカリヤ村の周辺に至っては、人界の最上位に属する強さを持つ魔物が稀に現れるほどだ。

 実際俺とメニーナが出会ったのも、エレスィカリヤ村の近くで死狼族ヘル・ハウンドに襲われている彼女を助けたのが切っ掛けだった。

 ヘル・ハウンドの強さは、ハッキリ言ってこの人界でも屈指の魔物と同等だと言って良い。そんな魔物が村の近くに出現するっていうんだから、それだけで魔界の厳しさは言うに及ばず……って奴だ。

 そしてその時襲われていたメニーナは、戦闘訓練など受けていなかっただろうに、2匹のヘル・ハウンドの攻撃を凌いでいた。

 勿論、倒せる様子じゃあなかったし、もう少し遅れていればたぶん食い殺されていただろう。

 それでも、例え大の大人であっても、死狼族の攻撃を耐え続けるなんて簡単に出来るもんじゃあない。

 思えば、その時にはもうメニーナの戦いにおける才能は目覚めていたのかも知れないな。




「え―――いっ!」


 まるで幼子がボールでも投げる様な掛け声で、メニーナが手にした剣を振り下ろす。一瞬、ほのぼのとしたエレスィカリヤ村での生活を思い浮かべてしまう雰囲気だ。

 無邪気な笑顔を湛えて駆けてくるメニーナを思い出して、思わずホッコリとしそうになるが。


「ギャブッ!」


 その後に響く断末魔の悲鳴が、そんな妄想をあっさりと打ち砕いた。

 彼女の振り下ろした剣の先には、無残に断絶されたウォーウルフが。

 その様子を見れば、いっそウォーウルフの方が哀れに思えるほどだ。


「やったぁっ! ゆうしゃさまぁ、やったよ―――っ!」


 牙狼ウォーウルフの惨殺死体を前に無邪気に笑う少女メニーナ。……いや、これってかなり怖い情景だぞ。

 それでも俺は、引き攣った表情に何とか笑みを浮かべ軽く手を振って応えてやった。

 ここへと連れて来たのは俺だし、彼女はそんな俺のお題に答えてくれているだけなんだしな。


 ……こりゃあ、早々にこの場所から立ち去った方が良いかもなぁ。


 なんせここはいわゆる公共の場であり、俺たちだけがここで戦っているとは限らないからな。

 他の……まだ駆け出しの冒険者が真面目にこの塔の攻略を試みているかも知れないのに、レベル違いと分かる者たちが乱獲していては迷惑極まりないってもんだ。

 そこまで考えて、俺はもう1人の少女の方へと視線をやった。

 その相手と言うのは当然……パルネだ。

 彼女もまた本格的な戦闘は初めてのはずで、もしかすれば苦戦しているかも知れない。

 メニーナやパルネの身体能力を考えればすぐに危険な状態へと陥る事なんて考えにくいけど、怪我の1つもさせてしまっては可哀そうだからな。


「……我が敵を……燃やし尽くせ。……火炎魔法フラム


 俺がパルネの方へと振り向いた丁度その時、もう1匹のウォーウルフが彼女へと襲い掛かり、パルネはその迎撃に初歩魔法「フラム」を唱えていた処だった。

 対応としては、まるで問題ない。動きの速い魔物の攻撃に対して、魔法使いが出の速い魔法で対抗する事は定石だからな。


「う……わ……」


 しかし俺は、ここでもまた絶句させられる事となったんだ。

 それもその筈で、パルネの唱えた魔法は正しく初歩魔法。だが出現した火球は極端に大きく、しかも高火力だったんだ!

 どれほどの熱量かと言えば、俺の眼前でパルネに飛び掛かっていたウォーウルフが、彼女の放った火球を受けて消し炭……どころか、骨も残さずに消え去ってしまっうほどだった。


「ゆ……ゆうしゃさま。……い……如何でしたか?」


 唖然とする俺に、パルネがおずおずと問い掛けて来た。

 その様子を伺うに、彼女は自分がどれほどの事をしたのか全く分かっていないようだった。

 人界の駆け出し冒険者がこの魔法を使えば、小さな火球を発現させるだけでも大変で、ダメージよりも牽制に使用されることが多いだろうか。

 勿論魔力がそれなりに備わっている魔法使い……それこそ「魔女」であるソルシエなんかが使えば、実戦でも攻撃力として期待出来るけどな。

 それでもやっぱり、一撃でウォーウルフを殺傷させるまでにはいかないだろう。

 それこそ……消し炭にしてしまうなんて芸当……上級冒険者でもなけりゃあ難しいだろうなぁ。


「な……何か……失敗しました……か?」


 閉口し続けている俺に、パルネは涙目になって再度確認して来た。

 きっと彼女は、何も言えない俺を見て何かまずかったと勘違いしてるんだろう。


「い……いや、失敗なんてないよ。良くやったな……パルネ」


 だから俺は、慌てて笑顔を作って彼女を褒めてやったんだ。

 おかしなもので、そんな事でパルネの表情にも安堵と明るさが戻って来ていた。

 よくよく考えなくても彼女たちにとってこれは初めての戦闘で、俺に試されていると言うものでもある。

 それを考えれば、自分の行動が間違っていないなんて自身で判断出来ないだろうし、年長者である俺が褒めてやらないとダメなんだよな。


 ……年長者と言うよりも、傍から見れば親子……なんだろうが。


 と……とにかく、この場でのメニーナとパルネの動きや能力に不足など寸毫もない。

 ……と言うか、過剰なほどだ。

 これはさっさと先に進んで、他の動向にも目を向けないといけないな。


「あ―――っ! パルネばっかり、ずるい―――っ! ゆうしゃさま、私も褒めてよ―――っ!」


 俺とパルネのやり取りを見ていたんだろうメニーナが、頬を膨らませて駆け寄り推賞を求めて来たんだ。

 その姿だけを見れば、本当にまだまだ子供だと思わされるんだけどなぁ。


「メニーナも、十分に強かったぞ。……怖くなかったか?」


 だから俺は彼女を褒めた後、戦闘の感想を聞いてみたんだ。

 圧倒的な力量差で勝ったとはいえ、その心中までは推し量る事なんて出来ないからな。

 でもそんな心配は見たままに無用みたいで。


「うん、別に怖くなかった! ヘル・ハウンドに比べれば、動きなんて止まってるみたいだったしね!」


 満面の笑みで、そう返してきたんだ。

 そりゃあ、魔界のヘル・ハウンドとは比べるべくもないだろうに。


「そ……そうなんだ? 私は……怖かったなぁ……」


「ええ、そうだったの!? 全然そうは思えなかったなぁ。ちゃんと魔法も使えてたみたいだし」


 ただここで、聞かなければ分からない事も浮かび上がっていた。

 圧倒的な魔力で初級魔法を中級レベル以上にまで作り上げ、それを以て魔物をあっさりと駆逐したパルネであったが、やはり襲い来る魔獣には恐怖を感じていたらしい。

 結果だけを見ただけでは、この心情は理解出来ないよな。


「そうか。その恐怖心を忘れない事だ。油断や慢心は隙を生むが、恐怖心は警戒心と集中力を生むからな。過剰に反応する必要はないが、常に魔物は恐ろしい存在だと心に留めておけよ。……メニーナもな」


「……はい」


「はぁい」


 ちょっと説教臭かったけど、これからは戦闘の何たるかを逐一教えていかないといけないからな。パルネに説明するついでに、メニーナにも釘を刺しておいたんだ。

 案の定、パルネは先ほどの戦闘で覚えた「恐怖」と言う感情を噛みしめているみたいだったけど、メニーナには今一つピンと来ていないようだった。

 こりゃあ、早急にもう少し強い敵と戦わせる必要があるかも知れない。

 ……いや、それでは本末転倒か?

 ……ったく、やっぱり育成って奴は俺の性には合っていないかもなぁ。

 だいたい、子育てどころか結婚なんてまだしも、女性と付き合った事さえないんだからな。……とほほ。


「とにかく、当初の目的通りこのままこの塔の最上階まで行くぞ」


 そんなネガティブスパイラルハリケーンに突入しそうな俺の心に活を入れ、俺は2人を連れて更に上を目指したんだ。

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