第58話 師匠と弟子

 「来たか」


 「大和」艦橋で砲戦部隊の指揮を任された第一戦隊司令官の西村少将が胸中でつぶやく。

 開戦時には一〇〇隻以上あった英艦隊の中でここまでやってきたのはわずかに三隻のみだ。

 他の艦艇はすべて撃沈されるか撃破された。

 だが、眼前の三隻はそのいずれもが大型艦であり巡洋艦や駆逐艦とは一線を画するボリュームを持つ。


 間違い無かった。

 戦艦「キングジョージV」と「デューク・オブ・ヨーク」、それに巡洋戦艦「レナウン」だ。

 「キングジョージV」と「デューク・オブ・ヨーク」は三六センチ砲を一〇門搭載する英国が誇る最新鋭戦艦だ。

 開戦劈頭に生起したマレー沖海戦で一式陸攻隊が撃沈した「プリンス・オブ・ウエールズ」の姉妹艦でもある。

 主砲口径は小ぶりだが、一方で防御力が充実しており、不沈艦との異名を持っていたと聞いている。

 実際にはそうでは無かったようだが。

 「レナウン」もまた、マレー沖に沈んだ「レパルス」の姉妹艦だ。

 「キングジョージV」も「デューク・オブ・ヨーク」も、そして「レナウン」も、まるで先に帝国海軍に討ち取られた姉や妹の敵討ちにやってきたかのようだ。


 だが、そんなどうでもいいようなことを考えている一方で、西村司令官は敵将の心中を慮る。

 制空権の無いなか、たった三隻の大型艦で戦力の隔絶した相手に対して殴り込みをかけてきたのだ。

 当然ながら、生還は期し難い。

 三隻の戦艦乗組員にとっては間違いなく片道攻撃となるだろう。


 そのような境遇の英艦隊将兵にわずかばかりの憐憫の情を覚えると同時に西村司令官はふと宇垣軍令部次長のことを思い出す。

 人づてに聞いたのだが、宇垣次長は自分を鉄砲屋の垂涎の的である第一戦隊司令官に強く推していたのだという。


 「西村さんには十分な戦力で存分に戦ってもらいたい。寡兵ではなく、圧倒的な力を持った強力な艦と、そして戦力で。

 ただ、それだけです」


 どこで彼とそう話したのか、今となってはあまりよく覚えていないが、そのとき宇垣次長は親しみとともにどこか懐かしみをこめたような表情でそのような事を言っていた。

 西村司令官と宇垣次長は海兵では一期しか違わないものの、かと言ってさほど親しい間柄でもない。

 だが、自分はともかく宇垣次長のほうはまるで一緒に激戦をくぐり抜けた戦友のように接してくることが多かった。

 はっきり言えば自分は宇垣次長に好かれている。

 西村司令官はなぜ宇垣次長が自分に対してそのような態度をとるのかよく分からなかったが、それでも嫌われるよりはよほどましなので、あまり気にしないようにしていた。


 そんな西村司令官は現状に意識を戻し、砲戦部隊の布陣を再確認する。

 現在、砲戦部隊のうち「大和」と「武蔵」、それに「信濃」は英艦隊に対してT字を描いている。

 それら三隻を守るように左翼には駆逐艦「雪風」と「初風」、それに「天津風」と「時津風」が、右翼には「黒潮」と「親潮」、それに「早潮」と「夏潮」が同じく展開し、水面下に潜む刺客に目を光らせている。

 さらに「大和」と「武蔵」、それに「信濃」の後方には重巡「熊野」と「鈴谷」が控え、不測の事態に備えていた。


 距離が三〇〇〇〇メートルあまりとなったところで英艦隊が変針する。

 T字を描き全門発射態勢の「大和」以下の戦艦に対し、前部砲塔しか使えない不利な状況を放置しておくわけにもいかないからだろう。

 この時、西村司令官は英艦隊があくまでも味方の空母を狙って反航戦を選択するのであれば全艦による包囲攻撃を決意していた。

 端的に言えば四六センチ砲や酸素魚雷を使った袋叩きだ。

 空母を無用の危険にさらすわけにもいかない。

 だが、英艦隊は舳先を「大和」と同じ方向へと向けた。

 同航戦だ。

 英艦隊の指揮官は「大和」との勝負を選んだのだ。

 一連の動きを見た西村司令官は矢継ぎ早に命令を下す。


 「目標『大和』一番艦、『武蔵』二番艦、『信濃』三番艦。

 巡洋艦ならびに駆逐艦は不測の事態に備え、周辺警戒を怠るな」


 巡洋艦や駆逐艦に対して暗に手出し無用との命令を発しながら西村司令官は三隻の英戦艦を見定める。

 かつて、見張りにおいて誰にも負けなかった西村司令官の目は敵一番艦と二番艦が「キングジョージV」級、三番艦が「レナウン」であることをあっさりと見抜く。

 他に艦影は無い。

 上空にあるのは日の丸マークをつけた機体ばかりだ。

 英艦隊にとっては向かうところ敵だらけ。


 その事実を改めて認識した時、西村司令官は英艦隊の指揮官、それに乗組員に対して敵でありながらも畏敬のような念を抱く。

 それとともに、もし自分が英艦隊の指揮官の立場であった場合はどうなのだろうかとつい考えてしまう。

 仮に、自分がわずか三隻の大型艦で圧倒的に優勢な敵の戦艦部隊と対峙するようなことになったとしたら。

 それが命令であるとしたらその時は目の前の英戦艦と同じように敵に突っ込んでいくのだろうか。

 たとえ、それが理不尽な命令であったとしても。


 彼我の距離が詰まったことで目の前の相手に対する同情を打ち切り、西村司令官は再び現実に思考を切り替える。

 そして、部下の将兵を鼓舞するように下令する。


 「距離二七〇〇〇で砲撃開始。

 敵の戦艦はいずれも『大和』の敵ではない。

 だが、命を捨ててでも国を守ろうとする連中だ。

 そして、英海軍は我々の師匠筋でもある。

 これよりの砲撃は師に対する感謝を込めて、絶望的な状況でもなお戦い続ける敵将兵への敬意を込めて全身全霊で撃ち尽くせ。

 命令する。

 四六センチ砲をもって英戦艦を掃滅せよ!」

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