40 栗栖川

 マーカスの肩は疲労のために大きく上下し、その体を支える私の肩に置かれた手にはどっしりと体重がかけられていた。


 私の父親を自称するだけあって、娘である私には弱さを見せない男だと思っていただけに戦闘の負荷のほどが窺い知れる。


 だが栗栖川に向けられた銃口は微塵も動かず、それはマーカスの強い意思がハッキリと形を取ったもののように思えた。


「……理由を聞いてもいいかな。 粕谷さん?」


 周囲の者たちは私を含めて水を打ったように静まりかえっている。


 当たり前だ。

 このVR療養所はこのゲームの運営元であるVVVRテック社と国が共同で計画したプロジェクトなのであり、栗栖川は現実の世界にある病院の医師なのである。


 当然、このゲームの正式サービス開始以前からここの子供たちとは顔見知りであり、子供たちの容態を知る彼女がVR療養所を一時的にでも失うような事をしでかすとは誰しもが思わなかった。


 VVVRテック社の社員も、施設職員のNPCも、そして子供たちですらマーカスの言葉を信じられずに言葉を失っている。


 だが、そんな彼らが栗栖川に銃を向けるマーカスを取り押さえるような事をしないのは、彼のこの戦闘での貢献を知っているから。


 結局、静寂の中で真っ先に口を開いたのは疑惑の当人である栗栖川であった。


 マーカスが飛燕隊の指揮官と戦っている時にリョースケ相手に通信で「俺の名を冠して」だなんて言うものだから、すでに彼が粕谷正信その人であるという事は知っているようだ。


 栗栖川の睨みつけるような、それでいて値踏みしているような視線にさらされながらもマーカスは私の肩に置いていた左手を離す。


 そしてツナギ服のポケットから取り出したのは折り畳み式のタブレット端末。


 タブレットのホログラフィックディスプレーを展開すると片手で操作して、短い音声ファイルを再生させた。


『なんでパイドパイパーがッ!? コイツはランク5の機体だぞ!?』

『…………か、陽炎……?』

『アレはセンチュリオン!? いや、だいぶ姿が違うな?』

『カスタム機、……違うな。運営チームの専用機じゃないか?』


 それは戦闘開始直後にオープンチャンネルで聞こえてきたハイエナ・プレイヤーたちの通信であった。


 音量を最大限に上げていた事もあって、音声ファイルは周囲の者たち全てに聞こえたようだ。


「マ、マーカスさん、それが一体、どうしたって言うんです?」

「それがなんで先生がここの情報を漏らしたって事になるんだよ!」

「まあ、今から説明してやるから少し黙って聞きなよ? でも、君たちはおかしいとは思わないか?」

「うん……? どういう事だ、マーカス?」


 マーカスは銃口はそのまま、首だけ回して周囲の者の反応を見ながら自身の推理を話していく。


「オーライ、サブちゃん。敵さんがパイドパイパーと陽炎について驚くのはいい。だって2機はたまたまやってきた俺たちが持ち込んだ機体なんだからな」

「うん……、それは分かる」

「でも山下さんのセンチュリオンに驚くのはどうなんだ? だって、あのセンチュリオンはここの防衛用にずっと地下に隠してたんだろ? つまりは情報を漏らしたのは運営の社員ではないって事にならないか?」


 マーカスは運営のブルゾン姿の者が固まっているあたりへ視線を移して、首を傾げて問うてみる。


「なあ、運営社員の中でセンチュリオン・ハゲの存在について知らなかった奴はいるか?」

「いや……」

「少なくともウチのチームにはそんな人はいません。皆、正式サービス開始直前の飲み会で次の人事異動で自分も専用機がもらえるような役職につけたらな~って話してたくらいですから……」


 運営の社員たちは互いの顔を見合わせながらも、そろってマーカスの問いに首を横に振っていた。


 未だ社員たちはマーカスの言う事に半信半疑の様子ながらも、真っ先に自分たちの無実が証明された事でいくらか顔に明るさが戻ったように見える。


「つまり、運営の社員がここを潰す目的でハイエナ・プレイヤーたちをけしかけたのなら、本来の最大戦力であるセンチュリオンの事は当然、向こうにも教えておくのが普通だろう? それが奴らはセンチュリオンの事は知らなかった……」


 さらにマーカスは次の音声ファイルを再生させた。


『クソ! あのランク2の雑魚ども、ホントにガキが乗ってんのかよ!?』


 私には聞き覚えのない内容であったが、それもハイエナ・プレイヤーたちの声なのだろう。


「似たような悪態はいくつもあったがね。それを否定するような言葉は1つもなかったよ。つまり彼らはここの機体に乗っているのは子供たち自身だと思っていたって事じゃないかな? もし情報を流したのがNPCなら迎撃の際に自分たちがパイロットになる可能性を考えるだろう?」


 つまりマサムネやゾフィー、デイトリクスたち元β版のユーザー補助AIが情報を漏らしたわけではないという事。


「じゃあ、子供たち自身が情報を漏らしたのか? 俺はそうは思わんね。子供たちがゲーム世界内でもっともよく接触するNPCたちがどういう存在なのか知らん者がいるのかね? そもそも子供たちには自分たちの居場所を潰す理由が無い」


 社員でもない。

 NPCたちでもない。

 子供たちでもない。


 ならば誰がここの情報を漏らしたのか?


「どうだい? 先生、アンタ、ここのNPCたちがβ版あがりの連中だって知ってたかい?」

「いや、ついさっき知ったばかりだよ。何せこの人数の子供たちの精神状態を1人で観察せにゃならんし、ゲームの世界の服屋やらメシ屋には興味が無いからな」


 栗栖川は自身にかかった疑いを否定するわけでもなく、ただマーカスの推理の続きを促しているように見えた。


「……で、だ。俺とサブちゃんがここに来た時、最初、事務室からはビジターパスを取りに来いって言ってたのに、アンタは『リョースケの勉強を見るついで』と言ってビジターパスを持ってきただろ? あれ、事前偵察の連中が捕まったとでも思って様子を見にきたんじゃないか?」


 確かにマーカスが言うようにそのせいで事務室までビジターパスを取りにいったキャタピラーは行き違いになってしまって無駄足を踏んでいたのだ。


「最短ルートで来たのならキャタ君と行き違いになる事ってあるか? 事務室って温泉大浴場の近くのあそこだろ? 階層が違うならどこの階段を使ったかで行き違いになるってのは分かるんだけどなぁ」


 格納庫脇のカフェーも大浴場やフードコートの近くにあった作戦室兼事務室も同じく1階であった。


 キャタピラーと栗栖川、両者が最短ルートを通ったのなら行き違いになるわけがない。


「落ち着きの無いキャタピラー君やパス太君もいる事だ。どちらかがビジターパスをとっとと取りに来ることを考えてわざと先生は遠回りしてカチ合わないようにしたんだろう? だいたい貴女はわざわざビジターパスを持ってきてやるって人じゃあない」


 その言葉でマーカスを睨むように見据えた栗栖川の視線が僅かに揺らいだ。


「粕谷さん、貴方に私の何が分かるっていうんだ?」

「リョースケ君の勉強を見てる時に聞いた話から想像するに、『以前にミッションを共に受けたプレイヤーが来た』と聞いたなら、貴女は『自分の客の相手は自分でやれ』ってスタンスなんじゃないか? どんな小さな事でもいい。子供にできる事は子供にやらせる事が子供の自尊心を育む。子育ての基本だろう?」


 うん。なんていうか「お前が子育てを語るのか?」と言いたい気持ちはあるけれど、格納庫の床のコンクリートのごとくに冷え切った雰囲気の中でそんな事を言って茶化す勇気は私には無い。


「……流石だなぁ、粕谷正信。噂通り、いや、噂以上じゃないか。数々の逸話が示しているような、ただの野蛮人ではないという事か。頭も回るし、戦闘中に敵の通信内容を切り抜きして音声ファイルを作るような用意周到さまである」


 大きく深呼吸して再び視線をマーカスへと戻した時、栗栖川の目に灯っていたのは明確な悪意であった。


「でも、まさか貴様に断罪される事になるとはね! 粕谷正信ゥッ!!」


 栗栖川は不意に僅かに腰を屈めて白衣の前をはだけ腰のホルスターへと手を伸ばす。


 その瞬間、耳をつんざく銃声が格納庫内に響いてコンクリートの床に銃が落ちると栗栖川がその場でうずくまっていた。


 栗栖川の銃を抜く動作は早かった。信じられないほどに。

 白衣をコートに見立てるならばFBIスタイルの抜き撃ちをやろうとしたのだ。


 瞬きするような極短時間で銃を抜く動作、いかにマーカスが栗栖川に銃口を向けていたとはいえ、油断していたのならば栗栖川の方が先に撃てていたのだろう。


 まあ、マーカスが油断なんてするのかという疑問はあるが。


「俺が粕谷正信だと知って早撃ち勝負を挑むとはね。……馬鹿が」

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