第4話
私の隣に腰を掛けさせ、甘めの紅茶を差し出した。
メイドに頼んで菓子も充実させると、子供の目の色はみるみるうちに変わっていった。きっと空腹なのだろう。菓子ではなく栄養のある食事も準備させなくては。
「食べたいか?」
私がそう問うと、子供は「グッ」と声にならない声をあげた。屈したくないと耐えているんだなぁ。なんていじらしい。
「食べたいなら食べたいと言え」
「た‥‥、た、た‥‥‥‥い」
「ん?よく聞こえないなぁ」
さっきまで勢いよく吠えていたことを、自分でもよく分かっているのだろう。それ故に素直になれないのだ。あぁ可愛い。
「た‥食べたい‥」
子供は顔を真っ赤にしてそう言い切った。そして、許しを乞うように私を上目遣いで見つめてくる。まるで子犬のようだな。
「どれがいい?これか?」
そう言って苺と生クリームのパイを指差すと、子供は目を輝かせて頷いた。恐らく先程の無礼な態度はもう許されているのだと思ったのだろう。実に子供らしい表情を浮かべている。
許すも何も私は最初から怒ってすらいないのだが。
「これを使っていいぞ」
そう言って子供にフォークを渡す。「ありがとう」と言ってフォークを受け取った子供は一目散にパイに向かってフォークを突き刺した。
目はキラキラと輝き、緩んだ口元からはヨダレまで溢れそうだ。それほどまでに幸せなんだろうな。
「い、いただきます‥!」
そう言って口を開けた子供の手を掴んだ。
子供はきょとんとした表情で私の顔を見ている。
「食べていいとは言っていない」
「?!」
あはは。一気に顔が青ざめたぞ。
感情が全て顔に出るのだな。
「まぁ、少しだけ話をしよう。
私の名前はアデル・ウルフだ。このウルフ子爵家のひとり娘」
「さ、さっき聞いた‥風呂場で‥」
自己紹介などどうでもいいから早く食わせろとでも言いたげな表情だ。
「お前の名前は?」
「!」
さっき聞きそびれたからな。名前を知らないと何も始まらないだろう。
「早く答えろ」
「‥‥ノア。苗字はない」
いや、あるんだよ。お前の苗字はグレイディだ。まぁそれが周囲に知られた途端に魔族が攻め込んでくるかもしれないから教えてやれないが。
それにもう50年以上の年月が経っている。逃げ延びていく間に名を捨てて別の名で生きてきた可能性もあるか。‥まぁいい。
「ノアか。宜しくな」
「う、うん‥」
そんなのどうでもいいから食わせろと言いたげな目をしているな。
まぁまだ5~6歳だろうから仕方ないか。
「‥‥食べていいぞ」
「!」
ゴーサインを出した途端にノアはパイを口に含んだ。喉に詰まるのではないかという勢いで菓子を食べ進めていく。1人大食い競争だな。
「ノア。お前は私の奴隷だ」
「モグ、モグモグ(ん、分かってるよ)」
ノアが何を言ってるのか分からないが、先程とは違って素直に聞き入れている気がする。
もちろん実際は奴隷ではなく勇者として育てあげるつもりだ。だが、魔族が蔓延るこの世の中で勇者の一族の生き残りがいたなどと周囲に知られるわけにはいかない。
勇者がいるということは人間の希望になるだろうが、魔族は寄ってたかって襲ってくる。それに私が謀られて焼き殺された原因も“人間”だ。誰を信用し、誰を疑うべきかが分からないうちは誰にも言えない。だから周囲には“奴隷”として通すのだ。
ただし‥ただの“奴隷”では常に一緒にいることは許されないだろう。
ここはまたひとつハッタリを言わなくてはならないな。
ノアが2つ目の菓子に手を伸ばしたので私は古代魔法を唱えた。
「グレイプニル」
そう言ってにんまりと笑うと、ノアの手首に光る糸が巻き付いていく。
チョコレートクッキーを掴もうとしたノアの手は、ビンッと糸に引かれたようにして固まった。
「?!」
恐らくこのような古代魔法は初めて見たのかもしれないな。
私も転生して驚いたのだ。文明が発展しているのかと思いきや、使える魔法は消え失せて文明は退化し、人々の力も激減している。
魔族にそう操作されたのか、勇者一族を失った嘆きから人間たちが素直に応じたのかは分からないが。
「お前にだけこっそり見せてやる」
ノアと私は深いソファの背もたれにすっかり隠れている。つまりメイド達からは死角なのだ。
「な、なにこの光の紐‥」
「古代魔法だ」
「ま、魔法‥‥?」
ノアは「へぇ!」と一瞬だけ目を輝かせたが、すぐに視線をクッキーに戻した。次期にお前にも習得させる予定なんだからもう少し興味を持って欲しいところなんだがな。
「食べたいのか?」
「う‥うん!」
先ほどゴーサインを出したからか、圧倒的信頼感のある瞳でおねだりされているように感じる。
まぁひとまず餌は与えるだけ与えておくか。これからノアは誰よりも血反吐を吐き、誰よりも茨の道を歩んでいくのだから。
そして、それは本人の意思に左右されない。
私はノアを信頼させ、ノアにとっての心の底からの支えとなり‥支配するのだ。
せっかく見つけ出した勇者一族の生き残り。
もしも“勇者”になることを拒まれたら、この世は一生救われない。
だからノアの意思は要らない。
私が唯一無二の“勇者”として育てあげるのだ。我が子にできなかった分も含め、私の全身全霊をかけて‥。
「お食べ、ノア」
「う、うん!!」
私がグレイプニルを解いて微笑むと、ノアは幸せそうにクッキーを頬張った。ーー今はこうして、幸せを存分に味わえば良い。
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