第十七話 連絡員

 日が沈み、本来の住人がいなくなった衛兵宿舎は虫の音に包まれる。

 雲が強い風に吹かれ、西へと流れていく。

 部屋で柔軟体操をしていたリオは雲間から顔を出した月を見上げた。

 テーブルの上で丸くなっていたチュラスが耳をピクリと動かし、顔を上げる。


「手練れが来るぞ」


 無言で邪剣ナイトストーカーを発動するシラハの方へと顔を向けたチュラスが首輪の神器エレッテリの鈴を鳴らして発動する。


「落ち着くがよい。敵意は感じぬ。ほれ、足音も聞こえてきたであろう?」


 チュラスの言う通り、廊下をまっすぐにこちらに歩いてくる足音が聞こえてくる。隠す様子もない。

 リオ達の部屋は外から明かりを頼りに特定したのだろう。部屋の前で足音が止まり、扉がノックされた。


「水晶と老人」


 ラスモアと定めた合言葉で、足音の主がロシズ子爵家からの連絡員だと分かった。

 住人が避難し、衛兵すらいなくなった今の町なら、連絡員の出入りも容易だろう。人目をはばかる必要すらない。


「ヌラとオッガン」


 合言葉を返し、リオは扉を開く。

 顔なじみの中年の騎士が廊下に立っていた。怪しまれないように黒っぽい庶民服を着ているが、鍛え抜かれているのが服の上からでもわかる。

 印象の薄い顔立ちの中年騎士はリオとシラハを見て相好を崩した。


「良かった。二人とも無事だ」

「ラーカンルさんも無事みたいですね」


 名前を呼ぶと、ラーカンルは自らの胸をドンと叩いて無事をアピールする。


「ずっとスファンの町にいたからね。ナイトストーカー討伐の連絡をもらって、直後にこの騒動だろう? 二人が心配で避難民の流れに逆らってきてしまった。あぁ、もらった報告書はもうラスモア様に送ったよ」

「心配をおかけしました」

「本当だよ。夜ではあるけど、早く町を出よう。邪神カジハは手に余るからね」


 すぐにでも出立するつもりで部屋に入らなかったのかと、リオはラーカンルを見上げる。


「そうもいかないです。俺とシラハはここで邪神カジハを迎え撃つので」

「……は?」


 邪神カジハ襲来は知っていても、詳しい経緯は知らない様子のラーカンルに、リオは説明する。

 説明が進むにつれてラーカンルの表情は曇っていった。


「そんなことになってるのか」

「はい。邪人コンラッツの証言なども含めた調査報告書もまとめてあるので持ち帰ってください」


 目配せをするまでもなく、シラハがリオの荷物を漁って報告書を持ってきた。

 ラーカンルは複雑そうな表情で報告書を受け取り、リオとシラハを見る。


「話は分かったが、二人が命をかけて戦う理由はないと思うね。ご両親も悲しむし、ラスモア様もリオのことは評価している。我々騎士だって、弟のように思ってるんだ」

「心配してくれてありがとうございます。でも、けじめはつけます」


 リオはシラハの意思を確認しようと目を向ける。

 シラハは宿舎の食糧庫にあった茶菓子を頬張っていた。避難するつもりなど一切ないのが分かる。

 緊張感のないシラハを無視して、リオはラーカンルに向き直る。


「死ぬ気もありません。いざとなれば逃げますし、俺の我流剣術の根幹の思想が何かは知ってるでしょう?」

「まぁ、二人が本気で逃げに回れば騎士でも捕まえるのに一苦労ではあるが、相手は邪神だろう?」

「むしろ、邪神だからこそ俺は逃げられそうです」


 魔力を外に漏らさないリオは姿を隠してしまえばカジハでも位置を把握できない。シラハを先に逃がす必要はあるが、こと逃げることに関してはリオも自信がある。

 意志は固いと分かったのか、ラーカンルは悔しそうな顔をする。


「すぐに戻って、ラスモア様に報告する。領境まで迎えの騎士を出そう。もしも邪神が追いかけてきても、全力で迎え撃つ。だから、安心して戻ってきなさい」

「ありがとうございます」

「……死ぬなよ」


 ラーカンルはリオの肩を叩き、背を向けた。

 ラーカンルを送り出したリオはシラハが摘まんでいるクッキーを一つ拾い上げて口に運ぶ。

 机の上からひょいと飛び降りたチュラスがリオのベッドに飛び乗った。


「我にも寄越せ」

「ほら、あーん」

「やめよ。視線が刺さるのだ」


 シラハを気にして毛を逆立てるチュラスの前に、リオはクッキーを置く。

 器用に猫の両前足でクッキーを持ち上げたチュラスは、猫の骨格ではありえない胡坐をかいてクッキーを頬張る。


「湿気っていないクッキーは久方ぶりである。甘味は良いな」

「リオ、私も」

「シラハは手元にあるじゃん」


 二度手間をかける必要がないと指摘するも、シラハはクッキーを片手にリオへと差し出してきていた。


「はい、あーん」

「やらないよ」

「はい、あーん」


 食べるまで続けるつもりらしいと見抜いて、リオはそっぽを向く。ちょうど、見上げてくるチュラスと目が合った。


「食べてやれ。これも情操教育というやつだ」

「なにそれ?」

「豊かな心を育むための年長者の務めである」


 そうまで言われては、兄として食べないわけにもいかなくなる。

 意地でも食べさせようとほっぺに押し付けられるクッキーへと、リオは恥ずかしさを押し殺して口を開く。


「はい、あーん」


 リオにクッキーを食べさせたシラハは満足そうに目を細め、うっすらと笑う。


「私が触れた物を食べてる」

「気色悪い言い方しないでくれる?」


 どこかうっとりしているシラハに身の危険を感じてリオが身を引いた時だった。

 弾かれたようにチュラスとシラハが旧シュベート国の方角を見る。


「来た……」


 シラハが呟き、愛用の剣と邪剣ナイトストーカーを手に取る。

 リオは立ち上がり、深呼吸を一つして剣を取った。


「――行くよ」

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