第二十四話 ――騎士

 身体強化を最大まで引き上げ、リオは街路を疾走する。

 激痛を無視して、リオは防衛隊の後ろへと追いつき、横にある二階建ての宿屋へとつま先を向けて跳躍した。

 腰のベルトから抜いた鞘をバルコニーの手すりの隙間に差し込んで体を持ち上げ、バルコニーの幅を限界まで使い助走をつけて跳んだリオは防衛隊を抜き去ってその正面へと降り立った。

 突然ボロボロのリオが正面に着地して、防衛隊長が目を丸くするのも気にせずにリオは再び駆けだした。


「おい、待――速っ!?」


 明らかに満身創痍のリオを引き留めようとした防衛隊長が思わず声を上げて驚くほどに、リオの速さは常軌を逸していた。

 持ち前の身軽さと身体強化の限界発動を組み合わせたリオの全力疾走は転がっている死体や血だまりも障害物とはなりえず瞬く間に最高速へと達する。


 防壁の向こう、跳ね橋を渡った先でガルドラットが一人で剣を振るっている。魔力を無駄にせず身体強化で首輪の圧力に抗いながら群れるテロープの角を躱し、ブラクルの触手や飛ばされる黒い蝋を最小限の動きで避けている。

 ガルドラットが反撃に剣を振れば確実に一匹ずつテロープやブラクルが命を散らす。


 ガルドラットは満足そうに笑っていた。

 師であり主でもあるナック・シュワーカーに託されたこの町を最期に同じように命を賭して守れている。

 騎士であるナック・シュワーカーに追いつけたから悔いはないと、笑っている。


「……ふざけんなよ」


 リオは剣の柄を握る手に力を込める。

 ガルドラットに殺到するテロープ達の向こうで白いテロープがこちらを注視している。リオを視界にとらえたのか、視線を向けて怪訝そうに首をかしげた。

 あまりにも人間臭い動きをした白いテロープはリオの眼がテロープ達ではなくガルドラットに向いていることに気が付いたらしい。


 ようやく態勢を立て直し始めた人間勢力で、その支柱たるガルドラットに向けて怒りを剥き出しに武器を持って駆けていく満身創痍の少年。

 意味が分かるはずもない。意味が分からない存在だからこそ、白いテロープは大きく一鳴きして精鋭部隊をガルドラットに向けて突撃させた。

 首輪のせいで余命が短いとはいえまだガルドラットは戦える。それでも、精鋭部隊を今すぐに投入すべきだと白いテロープは判断した。

 不確定要素の塊が防壁の下をくぐって突っ込んでくるからだ。


 白いテロープの一鳴きが何を懸念したものなのかを察して、精鋭部隊が一気にガルドラットへと殺到する。

 跳ね橋の際に立つガルドラットはその場からほぼ動くことなく、まるで自身こそが防壁であるかのように殺到するテロープの首を落とし、ブラクルの胴体を切断する。


 跳ね橋へと足を踏み入れたリオに、白いテロープが不愉快そうにいなないた。

 すると、ブラクルたちが互いの触手を絡ませて縄のようになり、空堀の深さを利用してブランコのように反動をつけ、ガルドラットを大きく迂回して跳ね橋へと仲間を放り込んだ。

 振り子の要領で下から上へと打ち上げられ、跳ね橋へと降るブラクルたち。ガルドラットではなく、リオとそのはるか後方から陣形を維持しながら最大速で走ってくる防衛隊を睨んだ手だ。

 当然、跳ね橋の上を一人で走るリオは最優先の排除対象。


 リオは降ってくるブラクルと、突き出され、あるいは振り抜かれる触手を見て、軌道を予測する。

 リオは降ってくるブラクルたちの間合いを見切った。

 剣の腹を右肩に当て、跳ね橋の上でスライディングする。

 極限まで加速したうえでのスライディングは滑りやすい血が大量に流れる跳ね橋の上でほぼ減速しなかった。

 地面すれすれを移動するリオにブラクルたちの触手は届かない。


 リオは右肩を支点に剣の角度を変えて切っ先を跳ね橋に引っかけ、てこの原理と慣性で体を起こす。

 そのまま剣を肩に担ぎ、リオは再度加速した。

 跳ね橋に降り立ってリオの行く手を阻もうとしたブラクルが突きだす触手を我流の歩法で拳一つ分ズレて躱し、肩に担いでいた剣を振り下ろして触手を断ち切る。

 とどめを刺さずにブラクルの横を走り抜けたリオは剣を腰だめに構えながら十数歩先にいるガルドラットに狙いを定める。


 ガルドラットもリオに気付いて、戸惑ったような顔をした。

 しかし、リオの動きも視線も自分を狙っていることは理解できたのだろう。リオの間合いから逃れるように邪魔なテロープを斬り殺して退路を確保する。

 首輪に対抗しているため声を発することができないのか、ガルドラットはリオに問うような視線を向ける。

 なぜ、満身創痍の状態でこんなところにいるのかと。

 それに対して、リオは魔力が乗った声で答えた。


「追いついただけで満足してんじゃねぇ!」


 陽炎のような声が広がる。発せられた純粋な魔力はガルドラットの首輪に届き、掛けられた魔法の核を膨張させる。

 リオは勢いよく地面に軸足を下ろし、剣を振り上げる。首を狙うその剣を、ガルドラットは驚愕の表情で見て、巧みな足捌きで後方へと逃れようとした。

 ガルドラットの身に刻まれた師匠との訓練の成果は反射的にリオの剣を避けていた――はずだった。

 リオの軸足と剣を持つ両手、腕、肩が陽炎を纏う。


 ガルドラットが目を見開く。身体強化の限界発動は体を壊すため、普通の流派ならば未熟者がやる禁じ手だ。まして、ガルドラットが接してきた者たちは才能に恵まれ限界発動をしようとしても膨大な魔力が必要になる。

 リオが纏う余剰魔力の放出量は身体強化の才能がない者にしか実現できない。

 だが、その無才が故にリオの身体と行動の起こりは――陽炎に消えた。


 空気を裂くリオの剣の切っ先がガルドラットの首輪を突く。

 金属同士が激しくぶつかる甲高い音が鳴り響き、ガルドラットの首輪が力を失う。

 一気に緩んだ首輪が割れ、ガルドラットの首から滑り落ちた。

 あまりに常識外れな出来事に、ガルドラットが戦場にいることも忘れ、呆然と喉を撫でる。


 その横を抜けたリオはテロープの死骸を踏みつけて停止し、血のにおいが混じる息を吐きだし、ガルドラットを振り返った。


「――追い抜け!」


 リオが叫んだ瞬間、ガルドラットが反転してリオの横を抜けた。

 鋭い光が空を走り、リオへと走り込んでいた体格のいいテロープが一頭、首を深く斬られて空堀へと落ちていく。


「……追い抜け、か」


 呟いたガルドラットが首を撫でる。長くそこにあった金属製の首輪がすでに無くなったことを改めて確認して、困ったように笑った。

 ガルドラットが笑みを消して敵を睨む。


「騎士と成って死ぬばかりの私に、騎士として生きる猶予を与えてくれたリオに感謝を」


 リオに背を向けたまま、剣を水平に構えたガルドラットが晴れ晴れとした顔で空を仰いだ。


『悔悟を掲げ、恥を晒し、いま、貴方の隣にて誇りを振るいましょう』


 白いテロープが大きくいななき、先頭を切ってガルドラットへと駆け出した。その目には殺意と憎悪と、それよりも圧倒的に大きな焦りがあった。

 対して、ガルドラットは戦場の血なまぐさい風を浴びてなお清々しいほど静かな笑みを浮かべていた。

 ふわりと、ガルドラットを中心に何かが膨れ上がる。

 隠れ里の結界に似たその気配は跳ね橋の際に立つガルドラットの間合いの倍近くにまで広がり――触れたテロープやブラクルを突然斬り裂いた。

 ガルドラットはただ剣を構えて立っているだけにもかかわらず、空間に入った者を問答無用で斬り伏せる。


「……魔法?」


 そうとしか思えず、リオは呟く。

 ガルドラットが纏う空気がどこか清浄なものに変わっている。

 ガルドラットの変化を見て取ったのはリオだけではなかった。


 白いテロープが頭部の二本角を振りかざし、大きく叫ぶ。

 完全に逆転した戦局も、ここでガルドラットを仕留めれば修正できると信じているのだろう。

 突進しながら、白いテロープが魔法を使った。

 足元が爆散し、白いテロープが爆風と共に大幅に加速し、ガルドラットが張った空間に突入する。白いテロープの体に浅い傷が次々と刻まれていくが、どれも致命傷からわずかにずれている。

 まさに命懸けで戦局を左右しようとする白いテロープに、ガルドラットは一歩踏み出し、朗々と名乗りを上げる。


「ナック・シュワーカーが従騎士ガルドラット、参る!」


 白いテロープが応じるように鳴いた。

 減速せずに角で突き殺すつもりの白いテロープを、ガルドラットは腰だめに剣を構えたまま待ち受ける。

 白いテロープはガルドラットにぶつかる寸前、衝撃に備えて首に力を込めた。


 首の硬直を見届けたガルドラットが片足を半歩後ろに下げて半身になり、剣を白いテロープの前足の間が来る予測地点へ滑り込ませた。

 手首を返し、刃を白いテロープの脚の付け根に向ける。

 下げた足を再び前へ、その踏み込みで白いテロープの前足を付け根から斬り飛ばした。

 突進するために絶えず動く脚を狙って致命傷を与える一撃。


 白いテロープが勢いのままに跳ね橋を転がる。ガルドラットが張った空間の中で速度を落とすほどに体中を斬り刻まれていき、跳ね橋の端で止まった瞬間に胴体が深く斬り裂かれた。

 白いテロープの死と同時に、あれほど果敢に攻めてきていたテロープやブラクルが突撃をやめる。

 わずかな間、静寂に包まれた戦場を斬り裂いたのは、跳ね橋を渡ってきた防衛隊だった。


「掃討しろ! 生かして帰すな!!」


 跳ね橋を渡っていく防衛隊を横目に、リオは跳ね橋の手すりに背中を預けて喉に絡む血の塊を吐き捨てる。

 影が落ちた気がして、霞む視界で見上げた。

 出会ったばかりの頃のような何の感情も宿さない瞳で、シラハが見下ろしていた。

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