第三十八話 起死回生の――
もう一年以上も前のことだ。
剣の才能はなく、技ばかりが増えていく。冴えもなく、免許皆伝を受けた者はもちろん、道場の門下生相手にも通用しない技ばかりが。
小器用なだけの二流にしかなれないのだと、嫌でも自覚させられたカリルはそれでも諦めがつかなかった。
そんな時だ。冒険者ギルドから直接の依頼が舞い込んだのは。
『――魔の森リヘーランから移動したらしき未知の獣の群れが消息を絶った。以後、周辺で行方不明者が続出している。調査を求む』
あからさまに危険な依頼だった。ギルド側も万全の態勢で臨むべく複数の上位パーティに依頼を発注しており、カリルたちに下ったのは退路の確保を主目的にした補佐的な依頼だった。
予定地点に布陣したカリルとフーラウ達パーティメンバーは主戦力を見送った。
二刻ほどが経った頃だろうか。背後の街道を猛スピードで馬車が走ってきた。
未知の獣、それも魔法を使う可能性が高い魔物の群れを討伐する作戦行動中だ。街道は封鎖されているはずだった。
警戒するカリルたちの前で馬車が止まり、馬車から血だらけの女性が転がり出てきて、カリルの脚に縋った。
「――子供が山賊に攫われた!」
女性は町へと急ぎ、冒険者ギルドに緊急依頼を出し、衛兵にも出動を願うつもりだったという。
だが、今回の大規模な作戦の影響で衛兵は町の防備のため動けず、冒険者も出払ってしまっている。
カリルはフーラウ達にその場を任せ、森に入った。子供の救助は目的ではなく、第三勢力として山賊が介入してくる可能性について、冒険者たちに注意喚起するのが目的という建前で。
先行している上位冒険者に追いつこうと森の中を駆けていたカリルだったが、不意に視界が歪み、突然目の前に現れた光景に唖然とした。
七人ほどの男たちが死体となって転がっていた。
直前まで存在していなかった死体の山の向こうに異質な生き物の群れがいた。樹上に枝と葉を組み合わせた簡単な小屋を作り、そこから顔を出す爬虫類らしき群れだった。
二足歩行し、三つの目と異様に鋭い爪のある片手、その体格は爪で今まさに切り裂こうとしている十歳ほどの少年の倍。
「――何してやがんだ、クソトカゲ共!」
数の差も無視して斬りこんだカリルは少年を庇いながらその隠れ里で死闘を繰り広げ、上位冒険者が到着した頃には右腕を失っていた。
※
思い出したくもない過去と今の状況がダブって、カリルは舌打ちする。
『……名も無き宙に編み出す目の無き網籠』
シラハが呟き、パンッと一度手を打ち鳴らす。音が広がると同時に周囲へと何かが広がっていく感覚があった。
目には捉えられない何かがドーム状にカリル達三人を覆っている。本能的にそこにあることを確信できる独特の存在感は防御魔法だろう。
「防御魔法か。どれくらい持つ?」
「分からない。敵の威力次第」
自信がなさそうな顔で、シラハは猿の邪獣を見る。
それに、とシラハは続ける。
「魔法しか防げない」
「――っ!」
シラハの言葉と同時に防御魔法を抜けてきた投石をリオが剣ではじく。あまりやりたくはないはずだが、鞘が砕けているため他に手立てがないのだろう。
魔法しか防げないとなれば猿たちが突入してくる。
「カリル、何か手はある?」
「ないな。詰んでる」
流石に声に焦りを滲ませて、カリルはそれでも生き残る手立てを探して視線をさまよわせていた。
包囲を抜ける際に数匹倒したものの、いまだに猿は二十匹近くいる。さらには邪獣化した濁流魔法使いの邪獣猿までおり、戦力差は絶望的だ。
上手いこと逃げ出せたとしても、山の斜面を下っている際に背後から濁流魔法を放たれればよくて重傷、最悪の場合は死亡する。
村からの援軍があればとも思うが、それも濁流魔法がネックになる。最悪の場合、ここの状況を知らない村人や非番で村にいる騎士が濁流魔法で犠牲になるだろう。
リオが苦々しそうに邪獣を睨んでいた。
「あの濁流魔法って斬れないかな?」
「場数を踏んでいる魔法使いってわけではねぇだろうし、魔法の核の位置は中心だろうな。だが、刃が届く前に濁流に巻き込まれる。斬るのは無理だと思った方がいい」
むしろ、魔法を使う邪獣そのものを斬り伏せる方が現実的だ。
体格はリオと同程度だが、群れの背後に陣取っていて簡単には手が出せない。防御魔法を見るのが初めてなのか、濁流魔法を撃つ気配もないのが救いだろうか。
そんなことを考えていると、邪獣が空に向かって大口を開けた。なにかと思っていると、リオとシラハがぎょっとして背後を見た。
「カリル、後ろから猿の群れが来る」
カリルには聞こえない音で仲間とやり取りをしているらしい。
だが、カリルの予想の範囲内だ。
「オレたちが進路変更せずに突き進んでいたら鉢合わせていた、濁流跡地の部隊だろう。数は最低でも十だな」
「邪獣たちが仕掛けてこないのって、もしかして……」
「隠れ里を知ったオレたちを逃がさないよう、万全の態勢で包囲してから仕留める気なんだろ」
隠れ里なんて作るだけあって、実に慎重な性格をしているらしい。
時間はない。打てる手もない。
前回と違って救援の見込みもほぼない。
「……あぁ、最悪だ。リオ、シラハ、今のうちに死ぬ覚悟を決めておけ。三人で邪獣だけでも仕留めるぞ」
現状、死の運命は回避できない。
だが、ここでカリル達が死ねば猿たちは隠れ里に引きこもり、さらに数を増すだろう。
ならば、死ぬとしても村の脅威を排除する方向で考えるのが不本意ながら合理的だ。
つまり、村の脅威となる邪獣を優先して排除する。
リオもカリルの考えを読み取ったのだろう。真面目な顔で頷いた。
「……まぁ、この状況で生き残れるとも思えないしね。それくらいなら、一矢報いて、村のみんなのためになる方がいいかな」
リオの年不相応な覚悟の決まり方に、提案したカリルの方が苦笑する。
リオはいつも、物事の本質を見抜く。それゆえの頑固さで自分を追い込むことがあっても、覚悟が揺らがない。
その覚悟で築き上げたリオの我流剣術がここで失われるのは、共同開発したカリルにとっても残念だった。
「シラハはどうする? 覚悟が決まったリオとオレで、一か八かになるが逃がすこともできるぞ?」
「リオと一緒がいい」
「だと思ったよ」
シラハの方は謎が多い。それでも、リオのそばを離れようとしないことだけは間違いないとカリルも思っていた。
考えてみれば、前回とは違ってここにいる二人は護衛対象ではなく、一人前に戦える剣士と魔法使いだ。
一緒に戦って死ぬとすれば、なかなか上等な人選なのかもしれないと、カリルは小さく笑った。
腕を失って腐っていた自分が、いつの間にか我流剣術作りに協力し、曲がりなりにも作り上げた。
ならばここで、我流剣術の使い手の一人として――剣士として死ぬのは勿体ないくらいの人生の締め括りだ。
「覚悟が決まったんなら話は早い。オレが斬りこむ。シラハは魔法を防御、リオはシラハの護衛」
役割を振って、カリルがリオ達の前に出る。切っ先を地面すれすれまで下げて腰だめに構え、猿の群れを睨みつけた。
直後、カリルの周囲が陽炎のように揺らいだ。身体強化の魔法を限界以上に強く発動したのだ。
短期決戦の覚悟を読み取ったか、邪獣が仲間の猿たちに防御を命じる。
牽制に投げられた石が防御魔法を越えた瞬間、カリルは動いた。
次の瞬間、邪獣を守るように槍を突き出していた猿が血を噴き出しながら山の斜面を転がっていった。
「捨て身ならてめえらの半分は殺せるぜ」
眼光鋭く次の獲物を睨んだカリルが地を蹴るのに合わせ、猿たちが雄叫びを上げながら邪獣を守るべく盾になる。
猿が振り下ろす石作りの剣へ、カリルは武器の損耗も気にせず自らの剣をぶつけて弾き、手首を返しざまに猿の懐へと入りこむ。
猿の顎を柄頭でかちあげ、露出した喉を切り裂き、自身の身体を半回転させながら隣の猿へと斬りかかる。
限界を超えて強化された身体を傷めないよう、自身にかかる慣性などの力を抑え込まず、逆に利用する。
回転を主体とするカリルの動きは異伝エンロー流の初見殺しを交えつつ、リオの我流剣術の足捌きを取り入れ、加速し続けていく。
リオやシラハの安全は気にしない。捨て身というのもあるが、それ以上に援護が飛んでくるからだ。
シラハが放ったらしい黒い霧の魔法がカリルの後ろで猿たちをかく乱する。
投石されたものをリオが投げ返したのか、猿の横っ面に石が命中する。騎士から教わったのか、的確な援護はやたらと心強かった。
いける、とカリルは左足の踵で猿の足を踏みつけ、その両目を切り裂く。致命傷にはならないが、脚を踏まれて逃げられない状況から突然視界を奪われればパニックに陥る。
カリルはパニックを誘発するように猿の腹部へ蹴りを入れて離れた。狙い通りにパニックに陥った猿が武器を振り回して悲鳴を上げる。
恐慌状態が伝播すれば邪獣を仕留める隙ができる。
ちらりと邪獣の様子を窺う。
「やべっ」
邪獣がかざした手から亀の甲羅のような石が射出され、パニック状態の猿の脳天を砕く。
続く濁流を察した猿たちが邪獣とカリルを結ぶ一直線上から慌てて離脱した。
当然、カリルも離脱するべくシラハが張った防御魔法へとバックステップで退く。
しかし、猿たちもカリルを逃がすつもりはない。シラハに集中させていた投石をカリルへと向けた。
投石へ対処せざるを得ず、カリルが一瞬脚を止めて石をいなした瞬間、邪獣の正面から濁流が噴き上がった。
カリルは濁流から逃れるべく後ろに跳ぶが、今まで以上に濁流の動きが速かった。
追いつかれると察して一か八か、魔法斬りに挑戦しようと剣を構える。
「――っ!」
自分に活を入れるべく大声を発しながら、カリルが踏み込もうとした瞬間、襟首を掴まれて後ろに引き倒された。
すぐにリオに引き倒されたのだと気付く。
「――シラハ!」
リオが名前を呼ぶと同時に、リオとカリルの前に防御魔法が広がり、迫りくる濁流が衝突する。
直後に魔法の核が防御魔法に触れ――濁流は消え失せた。
濁流で巻き上げられた小石や土がばらばらと地面に落ちるのを眺めながら、カリルは数度瞬きする。
目の前で起きたことが信じられなかったのだ。
濁流が消えた場所、防御魔法の位置を再度見て、状況を確認しながら先ほどの光景を脳裏で反芻する。
リオが剣を構えてカリルの前に立った。
「カリル、何してんだよ! 早く立て!」
呼びかけられて、カリルはゆっくりと立ち上がり、リオの肩を押し退けた。
目の前で見た現象を思い出しながら、カリルは静かに笑みを浮かべる。
「カリル?」
笑うカリルを見てリオが怪訝そうな顔をする。
「リオ、シラハ、喜べ。打開の一手が見えた」
その一手は、自分にはおそらく打てない手だ。
才能はない。訓練もしていない。そんな状況で閃いた技を一発でものにすることなど、才能の無い自分にはできない。
だが、才能がなくてもできる奴がいる。
カリルは大きく息を吸い込み、剣の切っ先を邪獣に向けた。
「多分失敗するが、リオなら成功させるはずだ。見ておけ!」
失敗すれば死ぬ可能性が高い。成功させる自信はかけらもない。
リオが眉をひそめながらもカリルに注目する。
この場の全員はすでに決死の覚悟が決まっている。あとは命をどう使うかだ。
ならば、とカリルは笑う。
「――最期に技を生み出して死ねるなら上等だよな!」
防御魔法の範囲から飛び出す。
濁流魔法の直後だけあって、まだ猿たちが邪獣の防御を固めていない。
防ぐ者のいない一直線を、カリルは駆ける。重心を前に押し出して、止まることを考えない全速力で。
いきなり突っ込んでくるのは予想外だったのか、邪獣がすぐさま手の平をカリルに向け、亀の甲羅のような石を放つ。
濁流魔法の予備動作。
カリルはリオの我流剣術の足捌きを用い、減速せずに体を拳一つ分横にずらす。石がこめかみをかすめ、血が流れるがカリルは一切怯まない。
邪獣を真正面から見据え、殺意を真っ向からぶつける。
邪獣は目を細め、一歩下がった。濁流魔法で確実に迎え撃つ自信があっても、カリルの殺意に気圧されたのだ。
「ガアアアア!」
気圧された自分に気が付いたのだろう、邪獣がいら立ったように吼え、濁流魔法を発動させた。
民家程度であれば容易く呑み込める濁流が噴き上がる。邪獣のいら立ちを象徴するように、先ほどよりも明らかに大きい。
カリルは剣を寝かせて濁流に切っ先を向け、速度を緩めずに口を開く。
身体強化をいままで以上に過剰に発動し、陽炎のような魔力に包まれながら、カリルは声を発した。
「失せろおぉぉぉっ!」
声に魔力が乗る。それは、シラハの使った防御魔法のようでもあった。
過剰発動した身体強化で肺や喉の空気にさえ魔力が乗り、陽炎のように声の波を揺らめかせる。
陽炎の声が濁流魔法に衝突した直後、カリルは渾身の突きを濁流の先端に向けて突き出した。
その場の全員が想像した通りに、濁流魔法の水圧にカリルの剣が弾き飛ばされる。剣を突き出していた左腕ごと濁流に巻き込まれ、カリルは濁流が巻き上げた石や木の枝を叩きつけられながら流された。
何がしたかったのかと、邪獣が怪訝な顔をする。
そんな邪獣を、カリルはせせら笑う。
濁流にもみくちゃにされながらも一瞬目があったリオに、何がしたかったかは伝わっているから。
「……ほんと、いい眼をしてやがる」
防御魔法の内側まで流され、地面に叩きつけられるカリルの横で、リオが地面を蹴った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます