2-5 帝国の先兵
地面に亀裂が走る。
次いで、その亀裂に沿って光が伸びる。
しかしそのどれもが一瞬であった。ただ、楽士の称号を持つ者たちにとってはそれだけで何が起こるかを悟った。
一人は「もう遅い」と。
一人は「何が出るのか?」と。
その他大勢は「始まった…」と。
黒服の男の演奏が、光が消える直後には完成し、レイヤー達へと放たれる。全力であったせいか、あるいは油断か、音の処理までに気が回らず、いささか雑な
(問題ない、既にスタミナ切れを起こしている中低音楽機には捌ききれまい!)
そんな状態の中、レイヤーはワクワクしていた。
もう自身の興味は黒服の男にはなく、どんな音を重ねてくれるのか、どんな音で自分を歓喜させてくれるのか。体はそんな期待に震え、全身でリズムをとっていた。
幸か不幸か、そのリズムの取り方がカノンにとって曲に飛び込むタイミングを教えていた。そして、最後のフィナーレへ入る
街は、鋭い爆音に包まれた。
まるで巨大な生物が地面を踏みしめる音。はたまた、大地から噴き出す溶岩のような音。
だが、驚くべきはその指向性。
まごうことなきその爆音は、周囲の想像を越えて整えられた音形と、確かな収束をもって放たれた。
もちろん唯一の観客、黒服の男へ。
『これは!?』
自分の想定を遥かに上回る音量と、自身のそれを優に越える音圧が、黒服の男と彼の放った音に覆い被さる。言うまでもなく男の音は掻き消され、男自身も
とっさの判断で、男はマレットごとティンパニを抑え、音を止める。次いで、防御のための演奏に切り替える。楽機もそれに対応して、音を遮る並びへと姿を変えて襲い来るであろう旋律に備えた。
『甘いですよ』
カノンの演奏が耳に入り、自分たちの音楽に合わせての演奏と理解したレイヤーは、くるくると楽機の
『『了解!』』
二人はその指示を理解し、再び横隔膜を解放する。下腹部へ押し広げられる肺の空間が再びいっぱいまで広げられ、指示である
三人は、最終
レイヤーは流れる
タクトは旋律を浮き上がらせる
カノンは、二人を支える
急ごしらえとは思えない『
「う、ぐっ!」
鼓膜だけでなく、全身に響くレイヤーたちの音楽が黒服の男へ迫る。たまらず男は膝から崩れ落ちる。楽機も最後の抵抗虚しくその力を維持することができなくなり、空中に霧散する。
「そこまでです」
演奏を最後まで終えたレイヤーは、男に向かって降伏を促す。
「その
帝国、と聞いて男は体を強張らせた。すっと立ち上がり、再び鋭い視線を投げかけてくる。
「……見識の深い楽士がいたようだな。確かに俺は帝国の使いだ」
男はさらに何かを話したがっていたようだが、それは本人の体が突然消失したことで遮られた。
「え!?」
レイヤーたちが驚いていると、別の人物がその近くから突然現れた。
「もう。パイプオルガンを譲ってもらいに来ただけなのに、勝手に街まで行くし、勝手に
代わりに現れたのは、カノンと同じくらいの年齢に見える少女だった。手にはそこそこなサイズの金色のお皿のようなものが抱えられている。
「驚かせてごめんなさい、すぐに出ていきますわ」
「ま、待て! 街をこのままにしていく気か!?」
なけなしの声でトーベン団長が男の連れと思われる少女に突っかかる。
「ええ。そのつもり」
少女は当然でしょ、と言いたげな薄い笑顔で答える。周囲は
「騒がした自覚あるなら、片付けくらいは手伝ってもらうぞ」
だが、少女はうすら笑いを浮かべながらゆっくりと一礼をする。
「ごめんなさい。
少女はレイヤーに向き直り、強い視線を送る。
「お名前を、聞いておかねばと思いまして」
レイヤーは、既に小鳥に戻ったニックを再び肩に収め、笑顔で少女に答えた。
「レイヤーです。サレインノーツ楽士団団長となりました。所属はアレクセント楽士隊組織連合ですね」
覚えたての自分の所属をすらすらと答える。そして右手を少女にかざして「そちらが名乗る番ですよ」と促す。
「ありがとう、覚えておくわ。彼はディフロント。私はマーサ。所属は……」
そこまで言うと、現れたときと同じように消えてしまった。
『ご想像にお任せするわ』
木々のざわめきと共に、微かな声だけ残して。
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