第11話 アポルオンの巫女
「
ノック音が
どうやら机にふせて寝てしまっていたらしい。最近いろいろとやることがあり、昨日も夜遅くまで作業をしていたのが原因だろうか。少女にしてはなかなか珍しいミスだ。本来ならばやってしまったと自分に呆れるところなのだが、今はそんなことよりも別の感情が少女を支配していた。
なんだか懐かしい夢をみていた気がする。そう、かつて
「えっへへ……、まさかあんなことを誓わせるなんて、昔の私は若かったんだね……」
かつての無邪気な自分に対して、ほほえましげに笑ってしまう。
いくら少年の言葉が嬉しく舞い上がっていたとはいえ、あれはさすがにやりすぎていたと反省するしかない。どうやら昔の自分は相当夢見がちな女の子だったようだ。
「あのー、巫女様?」
すると再びノックの音が。
そういえば今は感慨にふけっている場合ではなかった。少女がいるのはとある豪邸の執務室。そして外には使用人が入室の許可を待っているところ。よってあわてながらも返事をした。
「ごめんね! どうぞ、入ってくれてかまわないんだよ」
「み、巫女様、し、失礼します! ――ええと、なにかありましたか?」
仕様人の若い女性はおそるおそる部屋に入ってきて、不安そうにたずねてきた。
彼女は二十代前半といったところであり、ここでは見かけない顔である。そういえば新しい新人が来ると聞いていたので、彼女のことなのだろう。
「えへへ、すこし居眠りをしちゃってただけだよ」
ほおをかきながら、かわいらしく舌をだす。
「も、申し訳ありません! 起こしてしまいましたか!?」
すると彼女はガバッと頭を下げて謝ってきた。
「いいよ、いいよ、気にしないで。むしろ起こしてくれて助かったぐらいなんだから。それで用件はなにかな?」
そんな彼女を手で制しながら、優しく笑いかける。
「はっ、そうでした。こちら巫女様宛てに届いたお荷物です!」
「ありがとう。そっちのテーブルに置いといてもらえるかな」
「わ、わかりました。ではこちらに置いておきます」
使用人の女性はかなり慎重に、荷物を指示された場所に置く。中身はそんなに対したものではないのに、かなりおそるおそるだ。まるで爆発物でも取り扱っているような感じである。
「あなた、新人さんだよね。私相手にそんなかしこまらなくてもいいよ。もっとフランクに名前を呼び捨てにしてくれてもいいし」
どうやら彼女はカノンに対して、相当気をつかっていると見て取れた。あまりの上の身分の相手に、なにか
なので警戒を解こうと、ほがらかにほほえんで気軽に話しかける。これからしばらく顔を合わせることになるのだから、できれば仲良くやっていきたかった。
「い、いえいえ!? そんな恐れ多いことできません! 巫女様はアポルオンの最上位に君臨する、序列一位側の人間であり、しかもアポルオンの巫女の役目をになわれたお方! ワタシのような下の者が話すことでさえ、おこがましいことなのですから!」
すると使用人の女性は両手を横にブンブン振って、必死に主張してくる。
「――あはは……、それはさすがに大げさすぎるよ。今の私が持つのは肩書だけ。権力だって先代の巫女である、おばあ様にはほど遠い。だからそこまでされるいわれはないんだよ?」
使用人の女性のあまりの態度に、もはや苦笑しか出てこない。
確かに自分はアポルオンの巫女であるが、先代から引き継いであまり時期がたっていない。まだまだ未熟者。さらにはこれまであった権力も、大きくそがれてしまっている状態なのだから。
「ご
しかし使用人の女性は、有無を言わせない勢いで断言してくる。
カノンの特別な立場のゆえん。アポルオンの理想を体現する者を指す言葉。アポルオンの巫女のことを。このことに関しては確かに事実なので、ここはいさぎよく受け止めるしかないようだ。
「――はぁ……、わかったんだよ。とりあえずは巫女様じゃなくて、名前で呼んでくれるかな?」
「は、はい! み、いえ、カノン様!」
「――あはは……、様づけはしなくていいんだけどなぁ……。でも、まあ、いっか。もう下がってくれていいよ」
あまりの徹底ぶりに、ほおをかきながら困った笑みを浮かべるしかない。ただこのままだとらちがあかないので、いったん彼女を帰してあげることにする。あまり無理を言うとかわいそうな気がしたので、また後日この件についてどうにかすることにした。
「そ、それでは失礼します!」
「そうだ。あなた、名前は?」
そういえば大事なことを聞き忘れていたので、聞いてみる。
「か、カノン様に名前を名乗るなんてめっそうもございません! そ、それでは!」
しかし使用人の女性はまさかの言葉を残して、あわてて部屋を後にしていった。
「ええ!? そこまでいくのかな!? ――はぁ……、そんなに私って怖く見えるのかなぁ……。少しショックだよぉ……」
あまりの出来事に目を丸くしたあと、がっくりうなだれてしまう。
(――確か
よく似たようなことがあるので、かつて親友に相談したところ、言われたのだ。なんでもにじみ出る高貴で清楚なお姫様オーラが、あまりにも強すぎるとかなんとか。そのため気後れしてしまい、仰々しくなる気持ちもわかるらしい。あとこの人のためなら、なんだってして見せるみたいな感じにもなるとかなんとか。
「――まぁ、いいかー……。――それよりも今はやることをやらないと」
そう思い作業に戻ろうとするが、どこか集中できない。おそらくさっきのなつかしい夢のせいか、心の奥で今だ感慨にふけっているのかもしれない。このままでは作業どころではないので、いったん気分を変えようとバルコニーに出ることにした。
「――うぅ……、やっぱり外はまだ肌寒いね」
寒さに震えながらも、バルコニーの手すりの方へと歩いていく。
空には雲一つない満天の星空が広がっており、なかなかの絶景である。このお屋敷の規模は相当広く、街外れの森の中にあるとあって辺りは静寂につつまれていた。
今頃はアポルオンのパーティーがどこかで行われているのだろうと、ふとそんなことを思う。一度くらい参加してみたいが、アポルオンの巫女は表舞台に立ってはいけないのだ。それゆえカノンは今のように、隠れて暮らさなければならないのであった。
そんな中、ひときわ輝く星に手を伸ばした。それはまるで決して届かない輝きをつかみとるかのように。だが当然のごとくその手はなにもつかめず、空振りにおわってしまう。カノンの心を支配するのはやはり、かつて誓いを交わした少年、
「私がんばるから。昔レージくんが綺麗だと言ってくれたこの理想を、実現させるために……」
現状この理想を叶えるのは、昔よりもさらに難しくなっていた。おそらく完全に夢物語で終わってしまいそうな勢いだが、それでもカノンの心はまだ折れていないのだ。
「たとえいくら状況が絶望的だったとしても、キミとの誓いの思い出がある限り、私は前に進み続けられるんだよ……」
そう、なぜならカノンが目指す理想をレイジは肯定してくれた。そしてさらに自分もカノンの夢を手伝いたいと言ってくれたのだ。騎士としてカノンの剣になることまで誓ってくれるほどに。もはやカノンにとっては、それだけで十分すぎたのである。そんな彼に自分の理想が叶った世界を見せてあげたい。その想いが今のカノン・アルスレインを動かす、一番の原動力になっているのであった。
「――だからね、レージくん。どうかこの夢が叶うように、
ひときわ
これはカノンの心からの本音。ただこのことで一つ気がかりなのは、レイジがカノンに対して罪悪感を抱いていないかどうか。あの誓いに関していえば、一方的に自分が悪い。つい浮かれていたとはいえ、本来ならあの
「――よし! がんばろう! 私にはまだまだやることがあるんだもんね!」
そして胸元近くでグッと
すべては久遠レイジと夢見た理想を実現するために。
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